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息づく伝統に触れた英国の夏

スポーツ記者 稲垣康介 #08


英国の7月は日本のうだるような暑さとは無縁です。スポーツをするにも、観戦するにも適した気候です。伝統的に国際的なスポーツイベントが毎年、この時期に開かれます。もちろん、気まぐれな英国の天気ですから突然のにわか雨に見舞われることもありますが……。


代表的なのがテニスのウィンブルドン選手権です。オーストラリアのメルボルンで開かれる全豪オープン、パリが舞台の全仏オープン、米ニューヨークで催される全米オープンと並び、4大大会と呼ばれています。たまに日本メディアで「全英オープン」という表記が散見されますが、これ、間違いです。残り3つの4大大会は、その国のテニス協会が主催しているので、全豪、全仏、全米という名称でOKですが、ウィンブルドンは会場となるオール・イングランド・テニスクラブという民間のクラブが主催しているもので、「ブリティッシュ・オープン」ではないのです。


実は、ウィンブルドンというのも正式名称ではありません。正式には「ザ・ローン・テニス・チャンピオンシップス」。「ザ・チャンピオンシップス」とも略されます。「THE」という冠詞をつけることで、私たちこそが選手権大会を開いた先駆けなんですよ、という自負がにじんできます。

ウィンブルドン選手権と全英オープンの分厚いメディアガイド=稲垣康介撮影

何しろ、クラブの創設は1868年ですから、日本でいうと明治元年。王政復古の大号令、戊辰戦争、大政奉還の時代です。西郷隆盛、土方歳三らの顔を思い浮かべると、「芝の聖地」の伝統と格式が、なんとなくイメージできませんか?


感心するのが、その歴史の詳細が毎年発行される年鑑でわかることです。ページ数はおよそ600ページ。過去の優勝者などはもちろん、史上最長試合、賞金の推移、センターコート乱入事件の歴史、左利きの優勝者、コートのレイアウトの変遷、収容人数など、事細かに書かれています。

ウィンブルドン選手権の男子シングルスで8度目の優勝を飾ったロジャー・フェデラー=AP

今年は「史上最高のプレーヤー」と評されるロジャー・フェデラー(スイス)が男子シングルスで8度目の優勝を飾りましたが、これはピート・サンプラス(米)らを抜き、単独での最多優勝記録でした。そうした記録もすぐに自分で調べられます。


この夏、フェデラーの歓喜の涙をセンターコートの記者席で見届けることが出来ました。16年前、19歳だったフェデラーが5連覇を狙ったサンプラスを直接対決で破った試合にも立ち会っていただけに、感慨深いものがありました。錦織圭(日清食品)の4大大会デビューは2008年のウィンブルドンですから、まだ16年前というと、日本男子で世界ランキングのトップ10に名を連ねる選手が出てくるなんて、想像すら出来なかったころです。年鑑をパラパラとめくると、過去に記者席で見てきた名勝負や、幼いときに深夜、テレビで見た激闘の記憶がよみがえってきます。


ウィンブルドンの季節が終わると、次はゴルフの全英オープンです。こちらも、正式名称は「THE OPEN(ジ・オープン)」。1860年、世界で最も古いゴルフトーナメントとして知られるプライドを感じます。ちなみに、第1回大会が開かれたのは、桜田門外の変で大老井伊直弼が暗殺された年になります。


今年の舞台はリバプールから北へ車で40分ほどの街サウスポートの海岸沿いのコースでした。持ち回り制の全英オープンで、過去9回開かれた由緒あるコースです。世界ランキング2位で大会を迎えた松山英樹の日本男子初となるメジャー大会制覇なるかが注目でした。ゴルフ取材の経験は乏しいので不安がありましたが、頼りになったのが230ページを超すメディアガイドでした。ウィンブルドン同様、1860年の第1回大会からの優勝者の写真(草創期は絵)をはじめ、ありとあらゆるデータが網羅されています。松山の第3ラウンドの時は、このような記事を書きました。引用してみます。


「第3ラウンドで松山は16番で試練に立たされた。第1打を右の深いラフに曲げた。現場は草が生い茂るすり鉢状の穴。このコースの「伝説」が息づく場所のすぐそばだった。

1961年、ゴルフの全英オープンで奇跡的な快打を放ち初優勝を果たした故アーノルド・パーマー=AP

1961年、昨秋亡くなったアーノルド・パーマーさんが、この地点の茂みから奇跡的な快打を放ち、全英初優勝につなげた。栄誉をたたえる記念プレートが現場に埋め込まれている。


松山は平然と窮地を脱してみせた。2打目をグリーンそばまで運び、パーでしのいだ。直前の15番で約1メートルのバーディーパットを外しており、ここでスコアを落としたら、落胆しても不思議でない場面で耐えた。(中略)次の17番でこの日5度目のバーディーを奪い、4アンダー。前日の「晴れれば伸ばさないとチャンスはない。4、5アンダーをめざす」との意気込みを有言実行、5位に浮上した。首位とは7打差。全英では99年、ポール・ローリー(英)が最終日に10打差を追いつき、逆転優勝した前例がある」(7月24日付朝刊)


過去の大会の名場面から、最終日に何打差を逆転して優勝したのかまで記録が整理されているから、原稿にもうんちくを盛り込めることができるわけです。優勝したジョーダン・スピース(米)が言っていました。「全英オープンを観戦に来るギャラリーは、世界的にも最も教養がある」。目の肥えたファンの前でプレーすることの名誉、そしてギャラリーへの敬意について語っていました。

ゴルフの全英オープンで7月、ギャラリーに見守られながらプレーするジョーダン・スピース=AP

近代スポーツ発祥の国である英国のスポーツ文化の奥深さを体感した夏。4日には陸上の世界選手権がロンドンで開幕しました。陸上短距離のスーパースターで今大会限りでの引退を表明しているウサイン・ボルト(ジャマイカ)も1日の記者会見で言っていました。


「ロンドンは午前中の予選からスタジアムがお客さんで一杯になる。そんな会場はほかにない。最高の舞台だよ」


(次回は8月18日に掲載予定です)




いながき・こうすけ



朝日新聞欧州総局(ロンドン)駐在のスポーツ担当編集委員。欧州で暮らすのは2001年から4年間のロンドン、アテネ駐在以来。著書に『ダウン・ザ・ライン 錦織圭』(朝日新聞出版)。世界のあらゆる情報が瞬時にインターネットで入手できる時代だからこそ、取材現場の臨場感が伝わるコラムをお届けできたらと思っています。



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