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20歳まで外国を知らず/フランス人社長 老舗を背負う #1

クリストフ・ウェバー 武田薬品工業CEO



みなさん、こんにちは。武田薬品工業の社長のクリストフ・ウェバーです。社員からはクリストフとファースト・ネームで呼ばれています。まずは自己紹介を兼ねて、私のこれまで歩んできた道について書きたいと思います。


私はフランス・アルザス地方ストラスブールの出身です。ドイツとの国境に近いアルプスのふもとで、少年時代は山登りばかりして育ちました。製薬業界に入ったのは、なんといっても医者だった両親の影響が大きいでしょう。姉もパリで心臓病の専門医の道を選びました。親族にも医者と大学教授が多く、子供のころから本を読むことが多かったです。


突然の「父と弟の死」


ある日、父の死と弟の死が突然、訪れました。その後の人生とキャリアを大きく左右した出来事です。一緒に山登りをしていた時に雪崩がおきて、父は私の目の前で亡くなりました。


私はまだ15歳。家族を背負わなければいけないという大きな責任を感じ、危険な高い山への登山はやめ、その代わり、勉学に集中するようになりました。その後、7歳年下の弟を車の事故で亡くしました。こうした悲劇が、人の命に関わる仕事を選ぶことにつながったと思っています。


大学では生物学と薬理学を学びました。薬理学と薬物動態学で博士号をとり、統計学も勉強しました。新薬の開発は実験の繰り返しですからね。ファイナンスも勉強しました。これは社長になったいま、すごく役にたっています。


撮影・北村玲奈


初めての勤め先はオーストラリアのローカルな製薬会社でした。実はこれが私のグローバルな体験の第一歩。今でこそ仕事で世界を飛び回っていますが、両親が地元に根付いた医者だったため、20歳になるまでずっと同じ場所で暮らしていました。


英語は就職して初めて勉強したんですよ。スタートが遅いですよね。フランスの片田舎で生まれ育ったので、外国語の習得はそんなに必要なかったんです。


いま、日本人社員と話をするとき、英語で苦労しているようにみえます。「心配するな。英語が話せなくても自信をもて」と、いつも言っています。英語がほとんどできなかった私が言うのですから、説得力があるでしょう? もっと言えば、彼らが話す相手である社長自身が、フランス語なまりの強い英語を話しているのですから。


妻がいなければ・・・


オーストラリアで1年勤務したあと、グラクソ・スミスクライン(GKS)に移って20年ほど働きました。来日前はベルギー、シンガポールにいました。シンガポールではアジア太平洋全域を担当していたので、アジアの貧しかった国々が豊かになり、製薬市場が成長していく様子を肌で感じることができました。


これだけ世界を飛び回れているのは妻のおかげです。妻もフランス人ですが、アメリカで育った経験があり、複数の言語を話せる国際的な人なので、とても助けられています。滞在先の国々では、そのつど仕事を得てがんばってきましたが、そのうち働くことはあきらめてしまいました。


そのような犠牲を払ってでも私の仕事についてきてくれているのですから、本当に感謝しなければなりません。単身で平気な人や、やむをえず単身勤務を受け入れる人もいますが、私は全然そういうタイプではないので、妻がついてきてくれなければ海外で仕事はしていません。


撮影・仙波理


日本は初めてですが、家族はこの国が大好きになりました。外国人にとって日本で暮らすことは難しいと、よく言われます。でも私たちがそう感じたことは一度もありません。


日本に来るまで8カ国に住んでいたので、新しい土地でもすぐ慣れてしまうという面もあるのですが、妻もたくさんの日本人の友人に囲まれながら素晴らしい経験をしており、すっかり馴染んでいます。


自分の性格を一言で表すと、「何に対してもオープンで、新しいこと好き」ということでしょうか。例えば来日すると決まった時には、さっそく歴史の本を読み、文化について学び始めました。知的好奇心は人一倍です。それと、だれかのことを知りたいと思ったら、その人とかなり時間をかけて議論しようとしますね。


壁を取り除きたいですから。それが幹部レベルだと、普段から顔をあわせているから容易にできるのですが、若い社員だとそうはいかない。だから私は若い社員と積極的にコミュニケーションを取るようにしています。


怒ったことがないんです


あと、怒ることがありません。キレないです。私が声を荒らげるところを目にした人はいないはず。精神的に安定しているのは山で育ったから。リスクや想定外のことに対して、相対化して落ち着いて分析できるからだと思っています。


武田薬品工業に来ることは考えてもいませんでした。すでにキャリア的には十分満足していたし、20年間、同じ会社に勤め、国際的な仕事も任され、成功を収めていたからです。


ところが武田薬品工業の幹部たちと何回か会っているうちに、この会社の可能性を感じました。可能性が高いということ、それはつまり、自分自身が何かユニークな「創造」をできるかもしれないチャンスがあることだと私はとらえました。もちろんリスクはあるのですが、本当の意味のリスクとは、そのチャンスを逃すことでしょう。


日本企業行き、周囲からは「反対の嵐」


ただ、日本企業の幹部になることに関しては、「引き受けるな」と周囲からたくさんの反対がありました。日本企業のいわゆる「外国人幹部」というのは、グローバルな視点からいうと、決して評価が高くないからです。


多くの外国人は成功せずに去っていき、逆にキャリアに傷をつけてしまっています。しかし、そういう反対にあうと、なおさらチャレンジしたいと思うのが私です。


いま武田の社員に必要なこと、それは日本にとって必要なことともつながりますが、「もっと冒険的になること」だと思っています。 皆さんは、それが何を意味するとお考えですか?


次回は、私自身の日本での体験から、チャレンジすることの大事さについてお話ししたいと思っています。


(次回は9月下旬に掲載する予定です)




Christophe Weber

フランス生まれ。製薬の世界大手グラクソ・スミスクラインに約20年勤めた後、2014年に武田薬品工業に移った。15年4月から現職。


Click here to read this column in English.


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