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パキスタンで出会った、綺麗でありたいヒジュラたち

フォトジャーナリスト 林典子 #08

photo:Hayashi Noriko


パキスタン政府は今年6月、性別欄に第3の性を意味する「X」を記載したパスポートを初めて発給した。

トランスジェンダーコミュニティーの権利を求める活動家で「トランス・アクション・パキスタン」代表のファルザナ・リアズさんが自身のパスポートの写真をFacebookにアップし、この事実が広く伝わった。

パキスタンでは約50万人のトランスジェンダーや「ヒジュラ」がいると推定されている。


ヒジュラとは、パキスタンの公用語ウルドゥー語で「両性具有」「半陰陽」を意味する。そのほとんどは、女性としてのアイデンティティーを持っている、去勢または女装している男性と言われる。

古くは聖者としてインドの神話にも登場する存在だった。現代では娼婦や踊り子として社会の片隅で生活する者が多い。

今回、パスポートの性別記載についての投稿を見て、パキスタンを取材していた時に偶然出会ったヒジュラの人々のことを思い出した。

身だしなみを整えるヒジュラたち
photo:Hayashi Noriko

パキスタン東部、インドとの国境に近い大都市ラホールの旧市街に、赤線地区ヒーラ・マンディはある。

日が沈むころだった。取材の合間にこの地区の狭い小道を歩いていた時、鮮やかな衣装を身にまとい、素早く歩いていく3人のヒジュラに出会った。

3人は街の一角で、15畳ほどの小さなアパートを借りて共同生活を送っていた。その自宅へ、私を招き入れてくれた。


16歳のヒジュラは幼いときに家族から見放され、ここにやってきた。身長は180cmほどで、ほっそりとした体格。顔は少年のようだが、ピンク色の伝統衣装を着たその立ち振る舞いは完全に少女のようだった。

彼女たちは部屋の奥の布団の上に座ると、素早くメイク道具やアクセサリーを無造作に並べ始めた。そして、爪を綺麗に整え、ピンクのマニキュアを塗り、うっすらとヒゲの生え際が分かる顔にファンデーションで厚化粧を施し、お互いの長い髪を丁寧に梳(と)かし始めた。


カメラを構える私のところにもやってきて、楽しそうに慣れた手つきで真っ赤な口紅を塗ってくれた。

これから知人の誕生日パーティーに出かけるとのこと。

ヒジュラはしばしば結婚式や子供の誕生などの祝いの場に呼ばれ、歌や舞踊を披露し生計を立てている。

何度も鏡を見ながら、ポーズを決めて身だしなみを慎重にチェックしているその様子から、女性として綺麗でありたいという思いがひしひしと伝わってきた。

顔に硫酸をかけられてしまったヒジュラのザファールさん
photo:Hayashi Noriko

パキスタンでは2009年に身分証明書に第3の性を記載できるようになり、13年にはトランスジェンダーの候補者が選挙に出馬するなど、性の多様化を容認する流れはあった。

一方で、差別感情は根強く残り、襲撃や集団レイプなどの攻撃も度々起きている。15年以降、パキスタン北西部のカイバル・パクトゥンクワ州だけで約45人のトランスジェンダーが殺害されたという報道もある。


この国では女性に対する暴力の一つとして顔に硫酸をかける事件(アシッド・アタック)が多発し、年間に150~300人が被害を受けていると報告されている。トランスジェンダーも被害者に含まれている。

農薬の一部に使われる硫酸は500mlペットボトルの量でも100円ほど。簡単に市場で手に入る。

ヒジュラであるザファールさんに出会ったのは、パキスタン各地でアシッド・アタックの被害者を取材していた10年。当時25歳だった。

ザファールさんは硫酸をかけられる前の写真を見せてくれた
photo:Hayashi Noriko

ザファールさんは結婚式やパーティーで踊りを披露する仕事をしていたが、男性からのアプローチを断り続けていた03年のある夜、仕事直後に待ち伏せされ、硫酸をかけられたという。

彼女は両目の視力を失い、家族に支えられて暮らしている。

待ち合わせ場所の動物園にやってきたザファールさんは、地味な茶色の服をまとっていたが、爪の真っ赤なマニキュアから女性であり続けたいという意思が伝わってきた。


ヒジュラやトランスジェンダーが被害を受けても、医師が治療を拒否したり、警察が事件として扱うことを拒否したりすることが少なくない。

パスポートに第3の性を記載できることになったのは新たな一歩だが、性的マイノリティーの人々がより安心して暮らすことのできる社会になっていくことを祈っている。


(次回は8月2日に掲載する予定です)


はやし・のりこ

1983年、神奈川県川崎市生まれ。2006年から西アフリカ・ガンビア共和国の現地紙で写真を撮り始める。「メディアが取り上げない場所で暮らす、一人ひとりの想いや問題を伝えたい」と、硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、HIVに母子感染したカンボジアの少年、誘拐結婚させられたキルギスの少女などを写真に収めてきた。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳-いま、この世界の片隅で』、写真集『キルギスの誘拐結婚』がある。16年12月に写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。ホームページはこちら(http://norikohayashi.jp)


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