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カンボジアで生まれたボンヘイの14年

フォトジャーナリスト 林典子 #07

photo:Hayashi Noriko

カンボジアの世界的観光地・シェムリアップのパブストリートは新年を祝う観光客でごった返していた。

私は人ごみをかき分けながら、ひとりの少年の背中を追っていた。

少年は「ここだよ。彼を連れてくるから待ってて!」と言って店と店の狭い隙間から路地裏へ入り、30秒もたたずに戻ってきた。

その隣には、わけも分からずに呼び出されたボンヘイがきょとんと立っていた。

「あっ、良かった。ボンヘイが生きている!」

ボンヘイは私に気づき、両手を目元に持ってきてカメラを撮るジェスチャーをしながら、ニコリと笑った。

彼に会うのは4年ぶりだ。覚えていてくれたのだ。

ボンヘイは14歳になっていた。

8歳のボンヘイ(2009)
photo:Hayashi Noriko

この街を訪れたのは昨年1月初旬だった。

まずは4年前にボンヘイが祖母と暮らしていた集落を訪ね、ふたりを探した。

アンコール遺跡のチケット売り場のすぐ裏だ。

ふたりが暮らしていた家に人の気配はなく、戦争博物館に展示しきれない内戦時代の武器が無造作にしまわれていた。

近所の人々は「2年前に祖母が亡くなった後は、あの子がどこへ行ったのか全く分からない」と口を揃えた。ボンヘイという名前すら知らないようだった。


私は数時間、ボンヘイの写真を見せながら訪ね回った。そして彼を知る16歳の少年を見つけたのだ。

そこから少年とトゥクトゥク(三輪タクシー)に乗って30分。街の中心部でボンヘイに再会することができた。

ボンヘイの髪の毛はボサボサで、洋服は汚れ裸足だった。

彼はストリートチルドレンになってしまったのか。

彼の名は「ボンヘイ」であることを知るのは私しかいないかもしれない。

彼がたいへんな病気であることを知るのも私だけかもしれない。

そう想像すると恐ろしくなった。

意思疎通ができず、祖母の腕の中で暴れるボンヘイ(2009)
photo:Hayashi Noriko
ボンヘイと自らのHIV感染者用の「手帳」を見せるボンヘイの母親(2009)
photo:Hayashi Noriko

初めてボンヘイに出会ったのは2009年11月だった。

彼は8歳だった。30歳の母と60歳の祖母と3人、小さな家で暮らしていた。ボンヘイは母子感染でHIVに感染していた。さらに生まれた時から耳が聞こえず、言葉を話すことができなかった。

自分がHIVに感染していることも、HIVという存在自体も知らなかった。

昼はろう学校に通い、夜は家に住み着いている犬と一緒に寝ていた。

甘えん坊で身体は小さく、幼稚園児のようで8歳には見えなかった。

母親は離婚をした夫からHIVに感染したという。

彼女は「息子が15歳くらいになったらHIVのことを打ち明けたい。ただ、手話もできず、字も読めない。どう伝えれば理解してもらえるのか……」と心配していた。


国連合同エイズ計画によると、世界のHIV感染者数は3670万人(15年末時点)。カンボジアでは1991年に初めて感染者が発見されて以降、 発症者数が増加し、一時期は全人口の3%にまでなったが、近年は政府や国際機関などの取り組みで改善され、現在の感染者数は全人口の約0.6%だという。

一方で母子感染経路による感染者数は年々増え続け、年間約2500~4000人の子どもが母子感染して生まれてくるという。

授業中に集中力がなくなり、毛糸を窓の格子に巻き付けて遊ぶボンヘイ(2009)
photo:Hayashi Noriko
ろう学校へ通うボンヘイの送り迎えで自宅と学校を毎日往復する60歳の祖母。嫌がるボンヘイを持ち上げて自転車に乗せる。娘と孫の生活を支えるため、近所の人たちの洋服などを洗濯し、1日100円程度を稼いでいる(2009)
photo:Hayashi Noriko

それから2年後の11年秋、私は再びボンヘイを訪ねた。母親はエイズを発症してすでに亡くなっていた。

ボンヘイはもう学校には通わず、祖母と移動遊園地で空き缶を集め、お金に変えて生活していた。

2年前は甘えてばかりいたのに、いつの間にか祖母を支えるようになっていた。遊園地で他の子どもたちが遊んでいても、彼は夜中までもくもくと缶を拾っていた。

祖母はボンヘイがエイズを発症しないように、毎日2回抗レトロウィルスを必ず飲ませていた。

彼は自転車に乗るのが好きで、時々川へ釣りに行くのを楽しんでいるようだった。

体調が良くなった母親は、学校までボンヘイを見送りに来た(2009)
photo:Hayashi Noriko
母親の遺灰が入った小さな壷を手にする祖母とボンヘイ。母親は2010年春に亡くなった(2011)
photo:Hayashi Noriko

昨年1月、4年ぶりに再会したボンヘイは、背丈が私とほとんど変わらないくらいにまで成長していた。

翌日、街の中心にあるアンコール小児病院へ連れて行くと、すぐに女性の看護師がやってきた。

「この子は病院が嫌いで、いつも逃げ出そうとするの」

この数週間、ずっとボンヘイを探していたらしい。

詳しく聞くと、彼女は何年も前からボンヘイを診てきたが、14年に祖母が亡くなった後、孤児院を運営する地元のNGOに引き取られたのだという。

彼女はすぐにNGOに連絡し、ケアマネジャーである若い男性がバイクで飛んで来た。チャントルさんだ。ぽっちゃりしていて、目がクリクリで、優しそうな男性だった。

NGO職員のチャントルさんと移動タクシーに乗るボンヘイ(2016)
photo:Hayashi Noriko

ボンヘイは施設の子どもたちと喧嘩し、自ら施設から逃げ出して路上生活することがたびたびあったのだという。

「施設は刑務所ではないので、ドアはいつもオープンにしてあります。ボンヘイが外に出たいと思う時、力づくで連れ戻す権利はないのです。その代わり、施設の外でも出来るだけフォローし、HIV患者が飲む抗レトロウィルス薬を飲ませるために、彼をできるだけ探し出し、たむろしている道端へ行って飲ませたりしています」


ボンヘイはHIVに感染しており、定期的に病院で検査を受け、抗レトロウィルスを摂取しなければいけない。しかし、施設から出るとどうしてもその間隔が長くなる。

施設にいたら食べ物も温かいベッドもあるが、彼は自由に行動できる外を好んだ。路上で一緒に暮らす子どもたちのグループもあるらしい。

時々、欧米の観光客からお金を貰い、年下の孤児たちに食べ物を買い与えるボンヘイの姿を見たと、露店の女性が教えてくれた。

病院で健康診断を受けるボンヘイ(2016)
photo:Hayashi Noriko

ボンヘイは身振りでコミュニケーションを取るのが上手くなり、私とも簡単な意思疎通が問題なくできた。

2年前に使っていたお気に入りの自転車は年上の子どもたちと喧嘩をした際に壊されてしまったという。

彼は4年前に自転車を運転する姿を私が撮影した時のことも覚えていた。左手でハンドルを握り、右手でシャッターを押す私の姿を再現しながら、ゲラゲラと笑った。

「しばらくしたら飛行機でまたどこかへ行くの」と聞いてきた。

おばあちゃんは天国へ行った、と指を空の方へ向けた。


彼は飛行機やカメラの存在をどのように学んでいったのか。

人の死をどう理解したのか。

8歳のボンヘイはほとんどコミュニケーションが取れなかったが、自分の思いをここまで上手く伝えられるようになるまで、彼なりに相当な努力をしたのだと思った。

就寝前、蚊帳の中で母親と手振り身振りでコミュニケーションをとるボンヘイ(2009)
photo:Hayashi Noriko

私はシェムリアップに1週間滞在し、施設に戻ったボンヘイをたびたび訪れた。

その際、NGOの担当者チャントルさんから抗レトロウィルス薬について身振りで説明され、薬を飲むボンヘイの姿を目にした。

彼はエイズの存在を100%理解していなくても、この薬を飲むことが大切だということは理解しているようだった。

ボンヘイのように耳が聞こえずHIVに感染している人々への対策にはまだまだ課題が多く、世界的にも研究は進んでいない、と病院の医師は話していた。


それから7カ月たった昨年7月、チャントルさんから1枚の写真がLINEで送られてきた。

やせ細ったボンヘイが写っていた。顎が尖り手足は骨と同じ細さだった。

再び施設を飛び出し、しばらく行方が分からなくなっていたという。その間薬を飲まず、病院にもいかなかったらしい。ボンヘイはすぐに入院することになった。

翌日送られてきた写真では、ベッドに横になり表情に全く力が入っていなかったが、カメラに向かってピースサインをしていた。

それから1週間後の8月3日、ボンヘイは息を引き取った。

自宅に住み着く犬に頬を寄せるボンヘイ(2009)
photo:Hayashi Noriko

生まれつきHIVに感染し、言葉を話すことも聞くこともできない世界で毎日を過ごし、学校にはほとんど通わず、かなり貧しい暮らしをしてきた。

12歳で孤児になり14年で一生を終えた。

それでも、不幸が重なったかわいそうな人生だったわけではない。

彼が亡くなって、もうすぐ1年になる。

会うたびに成長し、厳しい環境でも日常の中で小さな楽しみや幸せを見つける強さを持ち、生き生きとした彼の姿が自然と思い出されてくる。


(次回は7月19日に掲載する予定です)



はやし・のりこ

1983年、神奈川県川崎市生まれ。2006年から西アフリカ・ガンビア共和国の現地紙で写真を撮り始める。「メディアが取り上げない場所で暮らす、一人ひとりの想いや問題を伝えたい」と、硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、HIVに母子感染したカンボジアの少年、誘拐結婚させられたキルギスの少女などを写真に収めてきた。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳-いま、この世界の片隅で』、写真集『キルギスの誘拐結婚』がある。16年12月に写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。ホームページはこちら(http://norikohayashi.jp)


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