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「幸運な敗者」へのごほうび

スポーツ記者 稲垣康介 #06


テニスには「ラッキールーザー」という言葉があります。

直訳すれば、「幸運な敗者」。当初は大会の出場権を獲得できなかった選手に、けがなどによる欠員が出たため、繰り上げでチャンスが巡ってくることを指す言葉です。


6月20日、ドイツ・ハレで開かれていた男子ツアーのゲリー・ウェバー・オープンで、世界ランキング66位の杉田祐一(三菱電機)が、このラッキールーザー枠で、「生ける伝説」、ロジャー・フェデラー(スイス)と初対決しました。

あこがれのフェデラー(左)との初対決に敗れた後、握手を交わす杉田=ドイツ・ハレ、稲垣康介撮影

「僕がプロになりたてのころはフェデラー選手がダントツで強かったので、もちろん目標というか、あこがれの選手」。杉田の言葉です。改めて説明するまでもないかもしれませんが、フェデラーは4大大会で歴代1位の18度の優勝を誇っています。35歳のベテランながら、今年1月の全豪オープンで5年ぶりの4大大会制覇をし、復活を印象づけました。特に芝生のサーフェスを得意とし、「芝の聖地」として名高いウィンブルドン選手権は7度、王者に輝いています。


そもそも実現しないはずのカードでした。杉田は予選決勝でミハイル・ユージニー(ロシア)と3時間35分戦い、6―7、7―6、6―7という3セット連続タイブレークで敗れていました。獲得した総ポイント数は全く同じという、文字どおり互角に渡り合った末の惜敗でした。

フェデラーが「あの好勝負の最終セットの20ポイントぐらいは見ていたよ。だから、杉田がどんなプレースタイルなのか、少し頭に入っていた」と記者会見で自ら言及するほどの死闘でした。

失意で大会から去る予定が、試合当日になってフェデラーの対戦相手が棄権し、急きょお鉢が回ってきたわけです。

今回のゲリー・ウェバー・オープンで9度目の優勝を果たしたロジャー・フェデラー=AP

杉田に「吉報」が届いた瞬間のことを振り返ってもらいました。「昼過ぎですかね。朝、軽く練習して、お昼過ぎに大会関係者から連絡があった、という感じですかね」

対戦相手がフェデラーだと聞いたときの率直な心境は? 「うれしかったですね。彼と芝生のコートで試合を出来るというのはめったにない経験ですし、まあちょっと正直、この一戦は冷静に戦うのは無理だな、と感じていた」


長年、トップアスリートが競う世界を取材してきて、「努力は必ず報われるわけではない」という厳しさは身に染みています。それだけに、予選で力を出し尽くしながら及ばなかった杉田に、こうしたチャンスが巡ってくるのは、取材する側としてもうれしい気持ちになりました。仮に順調に予選を通過していたら、1回戦では実現しないカードだったわけですから。

フェデラー戦でショットを放つ杉田=ドイツ・ハレ、稲垣康介撮影

舞台はセンターコート。杉田は最初のサービスゲームでフェデラーに1ポイントも許さない上々の出来でした。しかし、地力の差は否めませんでした。3―6、1―6のストレート負け。


「あっさりです。完敗です。気持ちよく打たれて、という感じでした。予想通りというか、予想以上にテンポが速くて、もう少しバックのラリーで自分なりに仕掛けられると思ったけど、バックのクロスを早い段階で打たれるので、すべて主導権を向こうに握られる感じですかね。やはり素晴らしいですね」。負けた悔しさより、敬服の念がにじむ敗者のコメントでした。


映像ではなく、実際にネットを挟んで打ち合ったからこそ実感できるコメントもありました。「サーブのコースも非常に読みづらいですね。徐々にスピードを上げてこられて、読まないと取れないようになった。打つコースもギリギリまでしっかり隠して打ってきますし、反応できなかった」


最後に意地を見せたのが第2セット第6ゲーム。マッチポイントを握られてから5点連取で唯一のブレークに成功しました。


思いがけないレジェンドとの対決を終えた感慨に浸りつつ、杉田は先を見据えていました。

「まあ、ここからですね。もう一度、対戦する機会があれば、今回どのくらいのテンポでプレーするかもわかったので、次は気持ちの面でも落ち着いて勝負できると思う。そこまで自分のレベルを上げたい。また戦えるトーナメントに出場することが大事なので」


早ければ、7月3日開幕のウィンブルドン選手権で実現するかもしれません。杉田は昨年、予選1回戦で世界ランキング772位の地元選手に敗れましたが、今年は世界ランキングも昨年6月末の99位からコツコツとポイントを積み上げ、現在は66位。初めて予選免除で本戦の出場権を獲得しています。この1年の努力が、見事に報われたのです。


(次回は7月14日に掲載予定です)




いながき・こうすけ


朝日新聞欧州総局(ロンドン)駐在のスポーツ担当編集委員。欧州で暮らすのは2001年から4年間のロンドン、アテネ駐在以来。著書に『ダウン・ザ・ライン 錦織圭』(朝日新聞出版)。世界のあらゆる情報が瞬時にインターネットで入手できる時代だからこそ、取材現場の臨場感が伝わるコラムをお届けできたらと思っています。


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