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海の向こうの国で暮らす人々への想像力

フォトジャーナリスト 林典子 #06

photo:Hayashi Noriko


朝食を終えて4階の部屋へ戻り、日本から持って来たインスタントコーヒーを飲みながらテレビを付けた。緊迫した朝鮮半島情勢を伝える英語のニュースが流れている。私はコーヒーカップを片手に窓辺へ向かい、窓を開けて見下ろした。


職場や学校へ急ぐ人々が足早に歩いている。2人の男子がふざけながら走っているうちに中年男性の背中にぶつかった。「ふざけないで前を向いて歩きなさい!」とでも叱られたようだ。2人は肩を落とし、並んで歩き出した。


向かいからは黄色いワンピースとハイヒールを履いた女性が歩いてくる。男子2人の様子を微笑ましく見つめながら横を通り過ぎた。


しばらくして飼い犬らしき犬を追いかける小さな女の子が勢いよく転び、恥ずかしそうに起き上がった。


私は部屋の下の通りを行く人々を眺めながら、彼らの私的な暮らしを想像した。あの女性は数ある衣服の中でなぜ今日は黄色いワンピースを選んだのだろう、あの男性はどこへ向かっているのだろう、小さな女の子はあの飼い犬と一緒にどんな家に帰るのだろう。


ふと、イラン人作家アーザル・ナフィーシー氏の著書『テヘランでロリータを読む』に紹介されている一節を思い出した。


「読者よ、どうか私たちの姿を想像していただきたい。そうでなければ、私たちは本当には存在しない。(中略)もっとも私的な、秘密の瞬間に、人生のごくありふれた場面にいる私たちを、音楽を聴き、恋に落ち、木陰の道を歩いている私たちを」


そうだ。この国に生きる人たちも、ありふれた日常を生きているのだ。

平壌のホテルの部屋の窓辺
photo:Hayashi Noriko

私が朝鮮民主主義人民共和国を訪れたのは、4月下旬のことである。3月1日から大規模な米韓合同軍事演習が実施され、米海軍の原子力空母カール・ビンソンも投入され、朝鮮半島情勢が緊迫の度を増す最中だった。


2013年に初めて訪朝して以降、この国を訪れるのは6回目だ。そのたびに新しい驚きがある。


昨年5月に訪れた時は、平壌市民の生活水準の向上を実感した。平壌国際商品展覧会は国内企業に加えて中国、ドイツ、インドネシアなど外国企業も参加し、熱気に包まれていた。化粧品の展示ブースでは周囲の女性たちに押しつぶされそうになった。


来場者たちは品質を見極めながら何を買うかを選択しているようだった。ノートパソコンなどの電化製品や衣服などを買い抱え、外で待機している数えきれないほどのタクシーへ向かっていった。


そして今回。地方都市でもタクシーやバスなどの公共交通機関が充実し、若い女性の洋服やアクセサリーなどのファッションも多様化している印象を受けた。


私は1959年に始まった「帰国事業」で朝鮮人の夫とともに渡った日本人配偶者の女性たち(日本人妻)の取材を続けている。今回は東部の沿岸都市である元山(ウォンサン)と咸興(ハムン)を訪れた。この取材はさらに続けていくが、今回は朝鮮半島情勢が緊迫する最中の訪問で感じたことを紹介したい。

元山に行く途中の休憩所で働く売店の女性
photo:Hayashi Noriko

元山は平壌から車で3時間ほど。途中立ち寄った休憩所には、コーヒーやスナック菓子の他にアオダイショウをアルコールに浸けた薬酒(ファンクロンイ酒)が置かれていた。全身の機能を高め老化予防にも効果があるそうで、アルコールが苦手な私も毎回一口だけいただく。


元山を訪れるのは4回目。秋に訪れた際は、地元の方から濃厚な干し柿をいただいた。夏は採れたてのハマグリを取材の合間に海辺で食べた。今回は取材で日本人女性のご自宅を訪れた際、あんずで梅干しのように作った漬け物をいただいた。


この国でインターネットを使うのは費用がかさむ。私は滞在中、取材費を節約してインターネットを使わない。そのため、朝鮮人民軍創設85周年の記念日である4月25日に「元山付近で大規模な砲撃訓練が行われたもようだ」という報道も、実は帰国してから知った。


私が元山にいる間、市民の様子に変化はみられなかった。チマチョゴリ風ウエディングドレスを着た花嫁とスーツ姿の男性が海に架かる吊り橋を歩いていた。平壌で結婚を祝うカップルたちを見るのは珍しくないが、元山では始めて見る光景だった。ホテル近くの桟橋は釣り人で賑わい、子供たちがわざと橋を揺らして楽しんでいた。


通訳の男性は「穏やかな日常の印象を受けるかもしれませんが、朝鮮はこれまで以上に緊張感に包まれています。私たちも平和を望んでいます。しかし、先制攻撃をされれば、国を守る為に一つになって戦います。その準備も出来ています」。いつもは温和な彼が、このときは強い眼差しだった。平和を望みながらも戦う準備は出来ている、という二つの想いが同時に複雑に存在しているように感じた。

元山の桟橋を歩いていたカップル
photo:Hayashi Noriko

元山の北に位置する工業都市・咸興では、取材で出会った同世代の方たちと一緒に咸興冷麺を食べた。平壌冷麺と比べて辛く、麺が細長いと言われる。私にはちょうど良い辛さだった。ただ、麺が長くてどうしても食べるのが遅くなる。「麺をハサミで切りましょうか?」と気遣ってもらったが、ここは最後まで切らずにいただいた。


ある男性は「子供が遊ぼう、遊ぼうといって、私に飛びついてくるので、毎日疲れてしまいます」と嬉しそうにスマートフォンを見せてくれた。自宅でプロレスごっこの相手になっている写真が何枚も映されていた。別れ際、彼はテーブルの向かいから私をまっすぐ見つめて笑顔で握手を求めてきた。固い握手だった。


咸興の朝は6時半に目が覚めた。部屋の前には海が広がる。砂浜をひとりで散歩し、立ち止まった。


海の向こうに、日本がある。「この国について、日本では今、どのように報道されているのだろう。この国に生きている個人に思いを馳せる日本人はどれだけいるだろうか」と考えた。

咸興の朝に歩いた浜辺
photo:Hayashi Noriko

15年10月に訪朝した際、これまで取材をしてきた各地の写真を通訳の男性に見せたことがある。アフリカ諸国やパキスタン、キルギス、カンボジア、イラク、トルコ、そして日本……。私は当時、朝鮮半島とイラクの取材を同時並行で進めていた。治安の安定しないイラクでの取材について、日本では批判を受けることもあった。


いつもは冗談の多い彼が、写真を見終わると口を真一文字に閉じて大きな瞳で私を見つめ、語りかけた。


「ご両親は本当に素晴らしい方ですね。私も子供がいますから、何歳になっても我が子を心配する親の気持ちはよく分かります。遠くへ、それも不安定な地域へ娘が出かければ絶対に心配なはずなんですよ。それでも林さんのことを信頼して、取材活動の意義を理解して送り出しているというのは、本当に素晴らしいことだと思います」


生まれ育った環境や社会体制が違っても、人は分かり合える可能性がある。それは他の国や地域でもしばしば感じることだが、同じ感覚を私はこの時に抱いた。この国で出会った人々は、根本的には私たちと変わらない、似たようなユーモアのセンスを持った、人情に溢れた人々なのだ。

平壌の大同江
photo:Hayashi Noriko

この国での取材は「コントロールされている」とよく言われる。確かに思い通りのタイミングや場所で取材ができないことは多い。一方、繰り返し流される軍事パレードの映像や日本人には奇妙に映るテーマの取り上げ方など、イメージに沿った内容にあてはめているだけの報道も多い。そこに暮らす人々への想像力が欠けているように思う。このままでは高齢化する在朝日本人や在朝被爆者、拉致被害者の問題など、両国にとって解決されるべき課題が結局は後回しになるのではないかと心配だ。


私が平壌の窓の外を歩く人々を眺めて想像を巡らせるように、一瞬を記録する写真は人々にありのままを見せるだけでなく、その前後の時間を想像させ、意識を刺激し、考えさせる。現場を訪ねると簡単に知った気分になりがちだが、何度訪問してもまだまだ知らないのだと自分に言い聞かせながら、この国の人々の暮らしを日本の人々に感じてもらえるよう、私は写真に記録していきたい。


中国経由で帰国する飛行機の中で飛行経路画面を見た時、「元山」の文字が朝鮮半島の地図に表示されていた。何だかとても冷たく遠い場所のような印象を受けた。元山の海辺で日本に思いを馳せた時には二つの国があんなに近く感じられたのに。


ふと、現地で出会った一人ひとりとのエピソードが思い出された。その瞬間、微かに心が温かくなり、距離がぐっと縮まった気がした。今日もあの桟橋できっと魚を釣っているであろう、元山の人々の姿が自然に想像できた。私自身の日常に彼らがはっきりと存在してくるのを実感した。


(次回は7月5日に掲載する予定です)



はやし・のりこ

1983年、神奈川県川崎市生まれ。2006年から西アフリカ・ガンビア共和国の現地紙で写真を撮り始める。「メディアが取り上げない場所で暮らす、一人ひとりの想いや問題を伝えたい」と、硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、HIVに母子感染したカンボジアの少年、誘拐結婚させられたキルギスの少女などを写真に収めてきた。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳-いま、この世界の片隅で』、写真集『キルギスの誘拐結婚』がある。16年12月に写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。ホームページはこちら(http://norikohayashi.jp)


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