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忘れられた南スーダン自衛隊派遣

アフリカ研究者 白戸圭一 06

民間人虐殺が頻発

 ところが、日本が伝統的PKOの運用原則を踏襲して国内法を整備した90年代初頭の時点で、世界各地の武力紛争は既に新しい様相を呈し始めていた。これら「新しい紛争」の多くはアフリカで発生し、国連PKOの在り方を大きく変えるきっかけとなった。

 「紛争当事者間の停戦合意」「紛争当事者の受け入れ同意」「PKOの中立性」といった伝統的PKOの原則に決定的な打撃を与えた紛争は、ルワンダ政府と反政府勢力が戦ったルワンダ内戦(90~94年)だった。94年4月、停戦監視のためにルワンダに駐留していた国連PKOの目の前で、政権側が主導する大量虐殺が始まった。だが、「中立」の原則に固執した国連PKOは紛争当事者になることを恐れ、武力行使を躊躇(ちゅうちょ)しているうちに約3か月で推定80万~100万人の市民が虐殺されてしまったのである。

1994年に起きたルワンダ大虐殺の記念館に、犠牲になった子どもの写真が並ぶ

 90年代から2000年代初頭にかけてのアフリカでは、ルワンダ以外でも紛争が多発した。20件近い紛争が同時進行であった年もあり、そのほぼ全てが内戦だった。内戦の原因は様々だが、冷戦時代に米ソ両陣営からの支援でかろうじて命脈を保っていたアフリカ各国の抑圧的政権が、米ソからの支援停止(削減)によって衰え、国内の反体制派が武装蜂起したケースが多かった。

 ソマリアやコンゴ民主共和国(旧ザイール)の内戦のように、国家(政府)による統治が全面崩壊し、複数の非国家主体(武装勢力)が入り乱れて戦うこともあった。前線を挟んだ武装集団間の戦いというよりも、治安秩序の全面崩壊と形容するのが妥当な状況であり、無軌道な武装勢力の戦闘員による民間人虐殺や集団レイプが頻発した。

 このような特徴を備えた新しい紛争では、紛争当事者の武装勢力は離合集散を繰り返すため、彼らから「停戦合意」や「受け入れ同意」を取り付けることが事実上不可能な場合が多い。「中立」に固執していたのでは、民間人虐殺を防ぐことも難しい。

 私はPKO問題の専門家ではないが、アフリカの武力紛争の取材を続ける過程で、停戦監視を主任務とする伝統的な国連PKOの限界を目の当たりにすることになった。


国連の原則も変わる


 そこで国連は、アナン事務総長(当時)のリーダーシップの下で、90年代後半からPKOの運用原則の徹底した見直しを重ねてきた。2000年3月には国連内に「国連平和活動検討パネル」が設置され、同年8月に「ブラヒミ・リポート」と呼ばれる報告書が発表された。

 この報告書は、「紛争当事者の受け入れ同意」「PKOの中立性」「自衛以外の武力不行使」など伝統的PKOの原則が依然として重要であることを確認する一方、強力な交戦規則の設定や中立概念の修正など「より柔軟で弾力的な原則の適用」を国連に求めた。


 現在の国連PKOの運用原則を理解するうえで重要なのは、国連PKO局が08年1月に作成した包括的政策文書「国連平和維持活動 原則と指針」(通称・キャップストーン・ドクトリン)である。

 キャップストーン・ドクトリンは、「紛争当事者の受け入れ同意」や「PKOの公平性」といった運用原則の重要性を指摘した。ただし同時に、必ずしも全ての紛争当事者の同意が必要なわけではないことや、中立に固執するあまりPKOが止まってはならないことなどを強調し、民間人保護などの必要性が生じた場合には武力行使も躊躇しない考えを打ち出している。日本が四半世紀前に定めた「5原則」に固執し続けている間に、世界の武力紛争の様態は劇的に変化し、日本がかつてモデルにした国連の原則も、現実に合わせて大きく変容したのである。


(次ページへ続く)

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