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ピンチはチャンスである アーティスト 栗林隆 #06




あなたは、人生最大のピンチに立ったことがあるだろうか? これはもうやばい、終わりかもしれない。キツい、つらい、死にたい。今回のトリップミュージアムは、自分の人生で起こったそんなピンチの話をしようと思う。


まだほんの50年ちょい前の人生の中で、たしかに様々なピンチを体験してきたような気がする。しかしそれらは過ぎてしまえば良い思い出であり、その時はピンチでも後になればきっかけを作るチャンスであったり、出来事であったと思う。


人生最初にピンチだ! と思った記憶は、小学校2年生の時だったような気がする。人生最後のおねしょをした時である。きちんとした記憶ではないが、幼少期、けっこう寝小便をしていたと思う(笑)。しかし小学校に入ってからは、全くもってその行為が収まり、安心しきってその日も眠りについていた。思えば、なんか夢を見ていたと思う。


実家から歩いて数分のところにある瀬戸内の教会。歴史ある土地に生まれ育った


その当時よく見ていた夢は白黒の夢で、まっすぐの細い道を大きな丸い球体がゴロゴロゴロゴロただ規則的に転がっていく夢である。しかし、その球体が転がっていくにつれ、なぜか不安がどんどん高まり、最後にはその球体、道、夢自体がぐしゃぐしゃになってしまい、その恐怖で目を覚ます、というものであった。大抵かなりの寝汗をかいている。


あとは、空を飛ぶ夢。空を飛ぶといっても、かなり超低空、地上50cmくらいを凄く力んで飛ぶのである。一応飛べているのだが、全然気持ちよくない(笑)。そして最後の夢は、トイレに行きたくて我慢して我慢して、どこにいってもオシッコができず、最後に家の2階のバルコニーから見つからないようにオシッコをしてしまう夢である。たぶんこの時は、この最後の夢でなかったかと思われる。何回か見たことのある、このバルコニーからオシッコの夢。実は、現実の世界でもバルコニーからオシッコをしてみたくてしょうがなく、親父のゲンコツが怖くて全然実現できなかった案件であった。その思いも夢の中に盛り込まれていたのだと思う。


その日は、勇気を持って、思い切って行為に及んだのである(夢の中だが)。 その気持ち良さ、晴れやかさ。寝小便を体験したことのあるほとんどの皆さんは理解していただけると思う、その気持ち良さのあとに、あの不快感が襲ってくることを。股の間が突然温かくなりびしょびしょになるあの感覚である。しまった!! と思っても時すでに遅しである。


しかしその日の惨事はそれだけで終わらなかった。びっくりして飛び起きパンツをみようととっさに脱いだのだが、なんと自分のあそこがエレクトしていて、オシッコが噴水のように出続けているのだ。自分の意思とは裏腹に、ものすごい勢いで出続けるオシッコは止まることなく、周りの布団からベッドから部屋のいたるところに飛び散り、治まった時には周りじゅうびしょびしょになってしまっていた。


人生最大のピンチである。


親父は怒るとかなり怖い。しかもゲンコツはかなり痛い。ドスンと脳みそを揺らすあれだ。


逃げるかどうか一瞬悩んだが、とにかく姉貴と親を起こさないように、タオルで必死に拭いたのを覚えている。

当然朝に発覚し、親父の制裁をもらうこととなった。その後寝小便はしていないが、現実でこっそりとベランダからのションベンは実行した。


実家のバルコニー。ここからの放水を望んでいた(笑)。 実際、後ろめたさと気持ち良さは格別であった


2回目に人生最大のピンチ! と思ったのも、確か小学校の時だったと思う。これは4年生だったか5年生だったかはっきりと覚えていない。


私は長崎県の平戸瀬戸を望む小さな集落で育ったのだが、小学校までの距離が4キロほどあった。毎日朝6時過ぎに起きて、まだ暗い中出かけるのだが、山を三つほど越えなくてはいけなかった。玄関を出てすぐに、表の道路に行くのではなく、自分たちが作った裏山の獣道のような山道を行くのである。毎日毎日通っているので、どこにどの木があってどこにどの枝がどのようなあんばいで生えているか全て知りつくしている。ものすごい勢いで山道を登り、下っていくのである。ショートカットをするといっても、しょせん小学生である。4キロの道無き道を通うには、やはり1時間以上かかってしまう。


1時間目に間に合うようにとにかく走って学校に向かうのであるが、たまに遅刻しそうになると、カラスを捕まえたり、放されている子豚を捕まえて学校に持って行き、教室に入る前に放り込み、教室内の混乱と悲鳴に乗じて忍び込み、遅刻を誤魔化すようなことは日常茶飯事であった。問題のピンチは、そんな学校生活の下校中に起こったのである。いつもは集団下校や仲の良い友達、従兄弟や後輩たちとともに遊びながら家に帰っていた。夕方に学校を出、真っ暗になるまで遊んで帰ったものである。電気も何もない真っ暗な道のりや山道であっても、先に言った通りどこに何があるか把握しているので、ものすごい勢いで走って帰れるのである。


そんなある日、数人で下校していたのだが、どういうわけか最終的に一人になってしまったのだ。皆さんはどうなのかわからないが、私の子供の頃は、男の子には武勇伝が必要であった。皆がいる時に勇気を見せるのが一番手っ取り早いのだが、しくじったりビビって逃げたりすると、弱虫意気地なしのそしりを受けて逆効果になってしまう。好きな女の子にも嫌われてしまうというものだ。そこで私は一人でことに挑み武勇伝をつくり、次の日のヒーローになりたいと考えたのだと思う(あくまでも憶測だが、多分間違いない)。


その向かう相手とは、いつも帰り道に放牧されているどでかい牛! の横にいる子牛である。


いや、親牛はもう、その迫力と凄みでなにもできないのであるが、いつも自分たちが腹が立つ、というか本当に戦っているのは、この親の威をかるムカつく子牛の方であった。夕方、下校の時間帯に、ショートカットする道にいつも2頭は放たれており、特に子牛の方はなにかと我々を威嚇し突進するフリをしてくるのだ。私たちの間では、その突進してくる子牛にどれだけ我慢し逃げずに居られるかというのが根性と勇気の証しであった。子牛といっても我々よりはるかに大きい。実際につっ込んでこられるとかなり怖いしビビるのである。


私はその日、意を決して自分の限界に臨んでみることにした。仲間はいない、ビビってすぐ逃げてもちくられることはない。


案の定、牛の親子はハエを追いやるためにしっぽをフリフリしながらその場所にいた。


面白いもので、子牛はすでに私たちを認知しているのだろう。私に気づくとまた来たかとばかりにすぐに戦闘モードに入り威嚇をしてきた。その時点でビビってしまい漏らしそうであったのだが、今日は違う、思い切ってこちらも子牛を煽り「よかけん来いさー!」と声を張り上げてみた。緊張で思ったより声が出すぎてしまったせいかもしれないが、子牛は自分に向かってまっしぐらに突っ込んできた。


やばい!!


ビビって段々畑に逃げ込んだがその先に逃げ場はない。焦って振り向くと、そのまま子牛が突進してくるのが見えた。その時、ふと自分の服を見たのだが、真っ赤なTシャツを着ている自分に気がついた。


またもや人生最大のピンチである。


しまった!! と思った次の瞬間、子牛は私を突き飛ばし、自分が空中に舞い上がるのがわかった。ものすごいスローモーションである。段々畑の下の段に落ちていったことだけは今も覚えている。


しばらくして目が覚めた。畑に大の字で寝ている自分がいて、まわりは夕暮れを迎えカラスの鳴き声が遠くで聞こえていた。たぶん、2時間くらい気を失っていたのかもしれない。


実家から見る風景。自然から学ぶ事は多いが、ピンチも沢山あった


小学校時代は、おとぎ話のような出来事が沢山あった。孟宗竹に登り、竹から竹に飛び移り、手を滑らせて落ちたときもピンチだった。今考えればよく生きていたものである。


このように言い出したら私なんかピンチの連続で生きてきた。人にしたら大したピンチではないのかもしれないが、自分にとってはいつも最大のピンチである。


大学時代バイクで事故にあったときもそうである。当時私はハーレーの1200ccのモンスターバイクに乗っていた。

なんで学生がそんなバイクに乗れるのか? 実はその前に400ccのカワサキに乗っていたのだが、タクシーにはねられて保険金が転がり込み、そのお金でハーレーに乗ることができたのである。別に当たり屋ではないのだが(笑)。その日も上京した親父と会うために、五日市街道を都心に向けて走らせていた。


その後の記憶はない。気がつけば、病院のベッドの中である。信号無視をした軽の営業車が私のバイクの前に飛び込んできたらしく、倍の排気量がある自分のバイクがその車にノーブレーキで突っ込んだらしい。突っ込んだのが助手席側だったので運転手は奇跡的に軽傷で済んだが、私は腕と顔がかなりぐしゃぐしゃになっていた。特に右手首の状態がひどく、関節は複雑骨折で神経は切れ、ほぼ元通りになることはないということだった。あまり記憶にないのだが、麻酔と手術を繰り返し、担ぎ込まれた救急病院の院長との最終面談で告げられた言葉は、「右手切断の決断」であった。


人生最大のピンチである。右手を切るか切らないか、明日までに決めろというのだ!


マジか!!??


切らないと壊死が進み片腕もなくすことになるという。


寝ずに苦しんで苦しんだ。苦しんだ末に出した答えは、切らないことだった。


いやいやいや、自分の手は切れないだろう(笑)。医者とすったもんだしているときだった。実はその救急病院、主に緊急の患者を診ている病院で、きちんとした医者がおらず、週に1回大学病院から専門の先生を呼んでいる病院であった。


なんだどうした? とたまたま検診に来ていた大学病院の先生が、私の手の診断をしてくれたのだ。結果、大学病院に移って手術すれば、多少の後遺症は残るだろうが手首を切る必要はない、ということであった。次の日、私は大学病院にとっとと転院することにした。危うく右手をなくすところであった。問題はあるものの、今も私の右手は私と共に生きている。


ピンチはチャンスである。と、よく言われる。今までの人生で多かれ少なかれ、大なり小なり、ピンチを切り抜けてきた気がする。その全ては経験となり今の自分を形成してきてくれた。


そして今? もちろん今私は人生最大のピンチに立たされている(笑)。

しかしこれは、神が与えてくれた最大のチャンスであり、成長の一つであることを自分は知っている。


(次回は7月14日に掲載する予定です)




くりばやし・たかし



1968年生まれ、長崎県出身。武蔵野美術大学卒、ドイツ・クンストアカデミーデュッセルドルフ修了(マイスターシューラー)。2006年シンガポール・ビエンナーレ参加、2010年森美術館「ネイチャーセンス」展、2012年十和田市現代美術館で個展。7月30日まで開催中の北アルプス国際芸術祭(長野)で作品を展示中。インドネシア在住。 takashi kuribayashi



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