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「1984」と「リキッド・モダニティ」(前編)

社会学者ジグムント・バウマンの問うたこと(上)




今年のはじめ、ジグムント・バウマンという一人の偉大な社会学者が91歳で長い生涯を終えた。体制・時代を超えて生き抜いてきた彼は、名実ともに現代世界を代表する社会学者だった。そんなバウマンは実際、この世界をどう捉え、何を問うていたのか。ますます混迷を深める現代、そのことについて考えてみたい。(亜細亜大学講師〈現代社会理論〉 長谷川啓介)




往年のジグムント・バウマン(ロイター)

 

1.今なぜバウマンなのか

「この世界はどうなっていくんだ」。当惑と不安の入り混じった思いで、昨今の国内外のニュースを見ている人も少なくないだろう。例えばアメリカの「トランプ現象」は、まさにそのような事態の象徴的な事例に見える。そんな今、英作家ジョージ・オーウェルの『1984』が改めて読まれているともいう。権力者が事実を平気で蔑ろにする姿が現実と重なって見えたり、ディストピア(反理想郷)小説にどこか時代の気分に通じたりする面があるのかもしれない。だが、2017年の世界を読み解くのに1948年に書かれた『1984』は有効な手がかりになるのだろうか?


実際に1984年がやってきた30数年前のことをバウマンは次のように書いている。確かに記念イベントは開かれた。が、それは一時の盛り上がりで、すぐに忘れ去られていったことのほうが印象的であった、と。思えば、21世紀にも村上春樹のお陰で注目を集めたはずだが、それもいつぞや忘れ去られていたのではないか?とすれば、『1984』は古典的名著として敬意を払われつつ、図書館の棚で静かに眠りにつこうとしていたと言うべきではないか?その本が今日、再び脚光を浴び、いま一度叩き起こされている。その姿はどこか死にきれないゾンビを思わせるところがあるといえば、言い過ぎだろうか?


しかし、この遅ればせの「1984現象」は、はからずも今日バウマンを読み解く上で格好の手がかりを提供している。というのも、2000年に発表された代表作とされる『リキッド・モダニティ』は、まさに『1984』を書き換えようとする試みだったと読むこともできるからである(もちろん小説ではなく社会学の本なのだが)。リキッド・モダニティ(液体的近代)とは何かについては、本稿を通じてみていくわけだが、ひとまずそれは、近代社会を形作ってきた基本的枠組み(家族、仕事、地域、国家、思想など)が揺らぎ、不安定で不確実な相貌を示すようになった現代社会のことだと言えるだろう。その捉えがたい姿をバウマンは、社会学の古典から同時代の様々な知見を縦横に読み解きつつ、誰もが知る固体と液体の比喩を巧みに用いて(液体とはまさに「捉えがたい」何かであろう)、洒脱なエッセー風の文体で描き出していく。その構図は概略次のようなものだ。


近代は、安定していた伝統社会を流動化させる一方で、例えば、工場や国民国家といった、合理的に設計・管理されるべき新たな空間を生み出していった。人々は伝統のしがらみから解放されることで、むしろその新たな空間の強固な枠組みの中に組織化され規律化されていく。こうした論理の展開する時代をバウマンは、ソリッド・モダニティ(固体的近代)と呼ぶ。そのような「固体的近代」の基調的論理をグロテスクなまでに展開した先に現れたのが全体主義だと彼は見たのだ。


彼は、全体主義の最盛期を直に経験している。その起伏に富んだ経歴はバウマンの社会学の内容と無関係とは思えない。1925年ポーランドにユダヤ人として生まれた彼は、大戦期を旧ソ連で過ごす。祖国に帰還し要職を務めるが、60年代末には亡命を強いられる。70年代以降はイギリスに落ち着き手堅い研究を発表していたが、世界に名をはせたのはかなり晩年で、『リキッド・モダニティ』は75歳のときの作品である。その後も最晩年まで関連書籍を上梓し続け、いつしか翻訳も35カ国以上、日本でも20冊以上刊行されている。全体主義の詳細な分析としては、高い評価を受けた『近代とホロコースト』があるし、社会主義に関する様々な論考もある。そんなバウマンによっても、『1984』は全体主義の本質を鋭く描き出したものとしてしばしば言及されている。


しかし時代は大きく変わった。バウマンの真骨頂は、それを捉え返したところにある。工場や国民国家が役目を終えたとすれば言いすぎだが、グローバル化、情報化、消費化が言われる現代、明らかに往時の中心的地位を失いつつある。経営の柔軟化や規制緩和などによって従来の枠組みが液状化していくのと並行して、人々は管理されるというより、各自自由に振る舞うことを奨励あるいは強制され、個人化が進展していく。このような時代の到来をバウマンは「リキッド・モダニティ」と表現したのだ。


いまや「固体的近代」に形成された近代世界の見方は時代の変化に合わせて刷新されなければならない。しかし、それは言うほど簡単ではない。同書の序で、バウマンは「ゾンビ概念」とも言うべき考えに触れている。かつてどんなに切れ味があったとしても、もはや時代に合わなくなった概念が往々にして死に損ない、いつまでもはい出てくる、というような意味である。


だとすれば、『1984』がいかに古典的名著であれ、現在改めて呼び出される現象はまさに「ゾンビ的」なのではないか。そして、いま『1984』を読み直すのなら、少なくともバウマンの見解も押さえておくべきではないだろうか。

(次ページへ続く)

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