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米国へ渡ったヤズディの「家族会議」

フォトジャーナリスト 林典子 #02

photo:Hayashi Noriko


イラクの故郷カナ・ソール村。思い出の農場は破壊された
photo:Hayashi Noriko


「米国に残って幸せになると思う?イラクに一緒に帰ろう。私が必ず2人の面倒を見るから」

夜中2時を過ぎている。アワズ(24)は夫シフォックの父アショールと母バーフィにささやいた。隣の部屋で寝ている家族たちに聞こえないように。

「もう米国に来てしまったんだ。私たちに選択肢はないよ」

アショールが返事をすると、バーフィは民族衣装の白いスカーフでこぼれる涙を拭いた。

米国中部、ネブラスカ州の州都リンカーンにあるアパート。ここは、私とアワズが使う6畳ほどの寝室だ。

1時間後、アショールが自室に戻り、バーフィが就寝したのを確認すると、アワズが声を潜めて私に話しかけてきた。

「ねえ、今の私たちの会話、ビデオに撮った?」

この日の夕方から延々と続く家族会議の様子を、私はビデオに記録していた。

「その動画、あとで私にシェアしてくれる?イラクに帰った夫のシフォックに送りたいの。こんな話し合いをしなければならなくなっていることを分かって欲しいから」

米国に渡ったアワズ。車の窓越しに外を眺める
photo:Hayashi Noriko


「イラクへ帰りたい」

アショールとバーフィの夫妻はイラク北西部のシンガル山麓カナ・ソール村出身のヤズディ教徒だ。ダーシュ(イスラム国)がシンガル山麓のヤズディの村々を襲撃した2014年8月以降、イラク北部のドホーク郊外で国内避難民として生活していたが、今年3月10日に米国へ渡った。

夫妻には37歳から16歳までの子ども10人と孫2人がいる。私はイラクを訪れるたびにこの大家族が避難していた小さな民家を取材拠点にし、一緒に雑魚寝をして暮らしていた。

ハサン(37)、シフォック(31)、ナワフ(28)の息子3人はイラク駐留のアメリカ軍で通訳をしていた。米国は従軍通訳の経験があるヤズディとその家族の入国を認めている。昨夏に渡米していた息子3人を頼りに、夫妻は米国へ向かったのだ。

アワズは昨年、歯科大のクラスメートだったシフォックと結婚し、一緒に米国へ渡った。二人は米国で歯科医になるつもりだったが、高額の授業料が必要な米国の歯科大を卒業しなければならないことがわかり、安全が確保された米国ではなく、イラクへ戻って生きていくことを決意。シフォックは両親と入れかわるように一足早く帰国し、アワズも数週間後に戻ることが決まっていた。

「毎日、昼2時から夜12時まで工場で部品のパーツを作る流れ作業をしているの。ただひたすら、ロボットのように。私はイラクで教育も受けることができたし、歯科医として生きていきたい。とても迷ったけれど、帰国することを決めたの」

私がネブラスカを訪ねたのは、アショールとバーフィの夫妻が到着して一週間が過ぎた時だった。 米国にはヤズディが自立するための語学学校や職場紹介などのサポートがあるが、夫妻は言葉が通じず生活様式も異なる米国社会にかなり戸惑っていた。車社会への順応は難しく、自由に外出できないでいた。故郷のシンガルでは税金や家賃は存在しなかったため、それらの支払いには抵抗があった。薬もイラクよりずっと高く、入手困難だった。食費や医療費の公的支援を受けると18歳を超えた子どもと離れて暮らすよう促されることにも納得できない様子だった。

「シンガルでは狭い家でも家族で一緒に暮らすのが当たり前だった。米国では息子や孫たちと離れて暮らさなくてはいけない。この国は何もかもが複雑だよ」

米国にやってきて1週間。夫妻は「イラクへ帰りたい」とたびたび口にした。米国にとどまるべきか、イラクへ戻るべきか。毎日のように家族会議が開かれ、家中を重い空気が覆っていた。

米ネブラスカ州に渡ったアショール一家。リビングで昼食をとっている
photo:Hayashi Noriko


「米国に残ることにしたよ」

アワズがアショールとバーフィの夫妻に帰国を説得した冒頭シーンの8時間前、首都ワシントンに移住したナワフから電話がかかっていた。彼は昨年イラクの大学を首席で卒業した夫妻自慢の息子だ。

アワズが「ナワフ、元気?お父さんとお母さん、私と一緒にイラクに帰るから」と伝えると、ナワフは「お父さんに代わってくれる?」と言った。

アショールは携帯電話を受け取ると奥の部屋へ移動し、閉じこもった。1時間近くたち、うつむき加減に部屋から出てきて妻バーフィに携帯電話を渡し、こう言った。

「米国に残ることにしたよ。ナワフが『僕が責任を持って2人の面倒を見るから米国にいて欲しい。イラクは不安定で何があるか分からない』と言われたんだ」

しばらくして携帯電話を手に戻ってきたバーフィも「今、決めたの。ここに残るって」と悲しそうにつぶやいた。

そばで聞いていた長男ハサンの妻が声を荒げた。

「イラクへ帰りたいって常に文句を言っていたでしょ。こんな状態で米国に残るなんて無理に決まっている!」

バーフィは泣きそうだった。

「イラクに戻っても昔のようにみんなで一緒に暮らすことはできないでしょ。私たち2人だけでイラクに戻っても、どうやって生きていけばいいの?」

子ども10人のうち、3人はドイツへ、1人はオランダへ、難民として渡った。2人の息子(ハサンとナワフ)は米国へ移住し、イラクに残る3人も近く米国へ渡る予定だ。将来的にイラクに残るのは、アワズの夫である三男シフォックだけだ。

「本当はイラクに戻りたいんでしょ。だったら一緒に戻りましょうよ」

アワズは優しくバーフィに語りかけ、肩をさすって続けた。

「家族は世界中にバラバラになってしまったけど、 私とシフォックの近くの家で暮らせば、行き来も簡単にできる。私だって2人をしっかり支えていきたいんだから」

寝室のベッドに腰掛けるバーフィ
photo:Hayashi Noriko


イラクからの写真

この日の夕食は沈黙が続いた。アショールとバーフィの夫妻はチャイを飲み終わると、アワズと私の寝室にやってきた。

「ねえ、どうしたらいい?」

バーフィは泣いていた。この時ほど寂しげな彼女の表情を私は見たことがない。

イラク軍兵士だったアショールは家を空けることが多く、バーフィは100頭以上の家畜の羊の面倒をみながら子ども10人を育てあげた。ドイツに渡った息子ジョージが「本当に強い母親だ。弱音を吐いたことも涙を見せることもほとんどなかった」と話していたのを思い出した。

私が回していたビデオカメラに向かって、アワズが語りかけた。

「たとえイラクから逃れることができたとしても、ずっと問題は続いていくの」

日本へ帰国した私のもとへ、アワズの夫シフォックから写真が送られてきたのは、4月10日のことだった。

イラクへ戻ったアワズが写っている。空港から移動中のタクシーの車内で撮影されたものらしい。アワズの両隣には、いつもと同じ民族衣装を着たアショールとバーフィの夫妻が座っていた。

ダーシュ(イスラム国)の攻撃を受ける前に農場で育てていた羊たちと写るバーフィ。長男ハサンが撮影


(次回は5月10日に掲載する予定です)




はやし・のりこ

1983年、神奈川県川崎市生まれ。2006年から西アフリカ・ガンビア共和国の現地紙で写真を撮り始める。「メディアが取り上げない場所で暮らす、一人ひとりの想いや問題を伝えたい」と、硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、HIVに母子感染したカンボジアの少年、誘拐結婚させられたキルギスの少女などを写真に収めてきた。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳-いま、この世界の片隅で』、写真集『キルギスの誘拐結婚』がある。16年12月に写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。ホームページはこちら(http://norikohayashi.jp)



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