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アーティスト 栗林隆 01




世界を旅する美術館


この連載は、私、現代美術家の栗林隆が、時間や国を超えて、様々な体験や空間を、美術館などの「ホワイトキューブ」の中だけではなく、世界の様々な場所の全てを美術館になぞらえて届け、私の体験や想いとともに、皆さんに共有してもらおうというものである。


栄えある第1回目は、香港から。


今回、私は毎年香港で行われる「アートバーゼル香港」というアートフェアに作品を出展するためやって来た。


アートフェアという言葉を初めて耳にする人もいると思う。要するに、アートの品評会のようなもので、世界中の著名なギャラリーがブースを出し、自分たちのお抱えのアーティストの作品を展示し、販売する場所である。

スイス・バーゼルで行われる「アートバーゼル」、ロンドンやニューヨークで開催される「フリーズ」というアートフェアなどが有名である。


アジアではこの「アートバーゼル香港」が最も規模が大きく、世界中のアート関係者がこの時期、香港に上陸するのである。


アーティストの端くれである私も、もちろん作品を展示するためにここにいる。日本人でありながら、日本のギャラリーがつかない私は、今回インドネシアのギャラリーから作品を出展することとなった。


実は私は2013年から、インドネシアのジョグジャカルタというところに住まいを移しているのだが、長くなるのでインドネシアのことはまたの機会にお話ししたい。

「世界会議」の舞台美術のために和紙でつくった3メートル50センチの向日葵


基本的に、ギャラリーという存在は、アーティストの作品を販売し、その手間を提供する代わりに報酬を得る。一方でアーティストをメジャーにし、育て上げる役割も担うため、お互いに「共存共栄」がとても大切である。


歴史や伝統のあるギャラリーや、強い資金力があるギャラリーなどでは、そこに所属するだけである程度未来を保証されるというようなことがあるのも事実だ。もちろん、アーティスト自体にその実力や才能がない限り、とっとと切り捨てられる可能性もあるが、「老舗」と言われるギャラリーにおいては、長い時間をかけてアーティストを育てていくので、「アーティストはギャラリーとともに育つ」という表現は必ずしも間違いではない。


しかし、現代においては、作品を商品ととらえ、マーケットの対象としか見ないギャラリーも増えた。今でははやり廃りで作品の価値が上下したり、作品の良しあしに関係なく、アーティストの名前だけで取引が行われたりするシーンもしばしば見られるようになった。また、多くのアート作品は、ビジネスの対象となり、高額でやり取りされるため、新しいコレクター達の中には、作品自体よりも、その作品の商品価値に興味を持ち、価格をつり上げることだけに執着する人たちがいることも否めない。


インターネットの普及もあり、これだけ多様化した社会の中で、色々な意味合いができることは当然であるが、本来のアートの持っている存在意義が、ここ20年近くで大きく変わってしまったことは残念でもある。



「未来」のイメージをつくるのは誰?



さて、香港、言わずと知れた大都市である。

まるで空の上にいるかのよう。 撮影・栗林隆


アジアの大都市では、シンガポールにしろ、上海にしろ、バンコク、ジャカルタでもいいが、未来都市を連想させるような20世紀的な高層ビル、建造物が、今なお建て続けられている。世の中に都市計画なるものが存在するが、街を歩きながら思うのは、いったいどこの誰が、これらの都市を計画しているのかということだ。


人々がより良い生活をする為に環境や空間は作られるはずなのだが、どの都市をどう見ても、そのように作られているとは考えにくい。


思えば 「未来」というイメージは、誰によって作られているのだろうか?


若い人たちは知らないかもしれないが、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」という映画がある。時代に大きく関わった監督の作品だが、1990年代を生きてきた私たちの世代には、あれが未来の一つのイメージでもあった。


しかし、現実に今は2017年で、当時描いた「未来」より遥かに先の時代に来ているにもかかわらず、2001年に飛ぶであろうと思い描いた宇宙旅行の世界を夢見て、今なおこの時代を生きている人たちがいる。言うなれば、「時空を超えた矛盾」が起こっているのである。


理想と現実は違う、などとはよく言われるが、政治や経済を動かす一部の人間たちが、自分たちに都合の良いように、未来はこうなるべきなのだよ、と誘導しているのが私たちの生きている世界である。AIだ、ロボットだと、映画の世界では当たり前のように出てくるものが、実際の世界では全く機能していないのも現実だ。


車がタイヤなしで飛べないのも、ガソリンで走らなくてはいけないのも、技術の進化がどうこうではなく、結局は「利権」にまつわる話であり、誰一人として本当の未来をきちんと考えてはいないのである。


なぜ、私たちは「未来」を想像した時に、緑豊かで自然にあふれ、美しい海に囲まれた、人々と自然とが調和する世界を想像しないのだろう。


周囲の自然をリスペクトし、その土地でとれた食べものを食べ、理にかなったエネルギーを使う社会。若者は将来への不安なく子どもが産めて、子どもたちが自殺する必要もない、未来を夢見ることができる普通の社会。


いや、想像したとしても、それを許さない世界や人々がいるのであろう。


私たちは進化や進歩、技術の意味を履き違えてはいないだろうか。情報や教育により、勘違いするように生きてこさせられたのだとしても、そろそろ「2001年宇宙の旅」の呪縛から解き放たれるべきである。


本当の未来とは、私たちの中にあり、それはいくらでも書き換え自由なアートのようなものなのである。街を歩きながら、いまだにつくり続けられる高層ビルの建設現場の不自然な空間、想像力のない世界を眺めながら、ふとそんなことを考えた、今回の香港であった。


私の香港の旅は今日で終わる。明日からはタイの沖、アンダマン海でクルーズ船に乗り、水中と空中の世界を行き来する生活が始まる。


その昔、まだ若くて稼ぎもなかった時代、ダイビングのインストラクターで稼いでいた時期があった。今はその時の仲間のショップに、年に1度、ガイドやアシスタントの仕事で呼び出され、真っ青な宇宙を浮遊するような世界に連れて行ってもらえるのだ。海の中で4メートル近いマンタや7メートル近くあるジンベエザメたちと会うと、今さらながら自分たち人間の小ささや、やっていることの滑稽さを思い知らされる。


そして何より、彼らが与えてくれる、包み込むような安心感と温かさ。

人間本来の姿や、必要なことをその一瞬で我々に伝えてくれる。


私が向かう次の「美術館」は、水の中である。



(次回は4月28日に掲載する予定です)




くりばやし・たかし



1968年生まれ、長崎県出身。武蔵野美術大学卒、ドイツ・クンストアカデミーデュッセルドルフ修了(マイスターシューラー)。2006年シンガポール・ビエンナーレ参加、2010年森美術館「ネイチャーセンス」展、2012年十和田市現代美術館で個展。6月4日から始まる北アルプス国際芸術祭(長野)に参加予定。インドネシア在住。 takashi kuribayashi







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