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多くの乳児が命を失った~『汚れたミルク/あるセールスマンの告発』

© Cinemorphic, Sikhya Entertainment & ASAP Films 2014



シネマニア・リポート Cinemania Report [#37] 藤えりか


欧州メディアも扱いかねた話を、よく映画にしたと思う。4日に公開されたインド・仏・英映画『汚れたミルク/あるセールスマンの告発』(原題: Tigers)(2014年)は、パキスタンで乳児が相次ぎ死亡するなか、巨大な多国籍企業の告発に踏み切った実在の元営業マンを描いた作品だ。会社側の主張とは食い違ったまま、故国に居づらくなってカナダへ逃れた、モデルとなった男性にスカイプでインタビューした。




舞台は1990年代のパキスタン。食品・飲料の世界大手ラスタ社に転職した新婚のアヤン・ラシッド(イムラン・ハシュミ)は、病院や医師らに食い込んで粉ミルクの営業成績を伸ばし、トップクラスの営業マンとなる。だが懇意の医師ファイズ(サティヤディープ・ミスラ)から、貧困層を中心とした親たちが十分な知識のないまま、粉ミルクを不衛生な水に溶かして飲ませ、多くの乳児が死亡あるいは重篤な状態に陥っていると知らされる。上司ビラル(アディル・フセイン)らは、政府の水道不備を主張するばかり。自身の幼子を見つめながら自責と義憤の念に駆られたアヤンは、妻ザイナブ(ギータンジャリ)らにも背中を押されてラスタ社を去り、販売上の説明責任を同社に問う告発文書を出す。パキスタン当局から圧力をかけられ、告発に巻き込まれた医師らから冷たい目で見られるなか、アヤンは国際人権団体に駆け込み、ドイツのテレビ局から取材を受けるに至る。だが、アヤンがラスタ社から多額の和解金を要求したとも受け取れる「証拠」がテレビ局にもたらされ、放送は中止に。アヤンは窮地に立たされる――。


今作は2014年のトロント映画祭をはじめ各地の映画祭で上映。モデルとなったサイヤド・アーミル・ラザ・フセイン(46)は欧米のいくつかの映画祭に出向き、人権団体に伴われて経験を話してきた。だが本国では上映の見通しが立たず、商業公開としては今回の日本が世界初となった。

© Cinemorphic, Sikhya Entertainment & ASAP Films 2014


監督・共同脚本を担ったのは、ボスニア紛争を描いてアカデミー外国語映画賞受賞の『ノー・マンズ・ランド』の監督などで知られる、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)出身の映画監督ダニス・タノヴィッチ(48)。主役アヤンを演じたイムラン・ハシュミ(37)はインド映画界ボリウッドを代表する人気俳優だ。上司ビラル役のインド人俳優アディル・フセイン(53)は、アン・リー監督(62)が2度目のアカデミー監督賞を受賞した米映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(2012年)や、インド映画『マダム・イン・ニューヨーク』(2012年)にも出演している。つまり製作陣もキャストも豪華な顔ぶれだ。それだけに、世界的な大企業とその元社員の主張が食い違う未解決の問題を映画化するにあたって、細心の注意が払われた様子が伺える。


今作は企業名や人物名を基本的に仮名としているが、冒頭で一度だけ、モデルとなった世界最大の食品・飲料企業ネスレ(本社・スイス)の実名を出す。そのうえで、英国の映画製作陣らが取材を重ねながら「証拠」の背景に迫りつつ、弁護士と法的リスクを打ち合わせ、この話が映画化に足るかどうかを探る劇中劇の形をとっている。ことの真相に決着がついていないだけに、それぞれの言い分をなるべく客観的に描くよう努めた苦肉の策に映る。

© Cinemorphic, Sikhya Entertainment & ASAP Films 2014


原題のタイガー(Tigers)は、劇中、営業マンを鼓舞するため会社側が使った呼称を由来とする。映画では、医師や看護師らに物品攻勢をかけるための資金をアヤンが上司から渡されるさまも描かれる。


今作のそうした営業マンのありようは、自社製品の効能や副作用などの情報を医師らに伝えながら売り込む、いわゆる医薬情報担当者(MR)の旧来の手法に似ている。私は経済部の駆け出し記者だった2000年代初めに化学業界を担当したことがあるが、MR経験のある製薬会社の人から、医師や病院に自社の製品を処方してもらうための接待攻勢をいかに猛烈にかけてきたか聞かされたのを思い出す。そうした過剰接待が問題となり、日本もここ数年、業界が自主規制を打ち出しているが。


モデルとなったアーミルにスカイプでインタビューした。


アーミルがパキスタンの製薬会社からネスレに転職したのは1994年12月、24歳の時。「世界的な大企業に勤めるのは、パキスタンではいい暮らしを意味した。給料もいいし、ステータスも高い」とアーミルは振り返った。入社すると約10日間の研修を受け、「どの医師が友好的で、どの医師がライバル社の粉ミルクを親たちにすすめているかを把握せよ、と言われた。多くの患者を診ているトップクラスの医師を接待するための金も出す、と言われた。月間売り上げ目標額を達成するのが仕事だと言われた」とアーミルは説明する。


だがある時、今作でも描かれているように、乳児が相次ぎ死亡または重症に陥っている、と親しい医師から知らされた。すでに幼い長男がいたアーミルはショックを受けた。ちょうどその頃、長男が転んで頭から血を流す事故が起きたという。頭を2針縫って包帯を巻く長男を前に泣く妻を見て、アーミルは「子どもが死ぬかもしれない、と父親として慌て、心配になった。子どもの命は、たった一人でも救えるなら十分すぎるくらいだという気持ちになった。粉ミルクが正しく使われず死んでいくのを止めようと文書を送ったのは、そうした動機からだ」。


アーミルはさらに語った。「パキスタンだけの問題ではない、と思った。乳児に清潔な水を与えられない環境にいる人たちはアフリカにもいる。映画が公開されたことで、世界への注意喚起になればと思う。そのためには映画になるのが一番だと思う」

© Cinemorphic, Sikhya Entertainment & ASAP Films 2014



ネスレの日本法人の広報担当者に尋ねると、こんな答えが返ってきた。「主張された内容は事実とはまったく異なり、ネスレの活動に関する事実を大きく歪めたもの。ネスレが世界中で行っている、母乳代替品の責任あるマーケティングに関するポリシーと実践にはまったく一致していない。ネスレは、責任ある母乳代替品のマーケティングのため、世界で最も健全なシステムを持っている」。ネスレは実際、国際NPOが企業の取り組みを評価・格付けする「栄養へのアクセス指標(ATNI)」の母乳代替品マーケティング部門で、2016年に首位となっている。


そうした主張の食い違いが存在するだけなら、ドイツのテレビ局も当時、取材映像を放送したのではないかと思う。だが会社側に金銭を要求したと受け取れる「証拠」がもたらされたことで、今作でも描かれているように、上層部の判断で放送が取りやめとなった。それについて質問すると、アーミルは言った。「会社側は私が脅迫したと主張しているようだが、そもそも『これを公にしたら訴える』としたうえで金を払うと言ったのは彼らだ。フェアではない」。アーミルはさらに、「この映画は私の人生がどうというよりも、乳児の命をめぐる話だ」と主張した。

スカイプでインタビューした、今作のモデルとなったサイヤド・アーミル・ラザ・フセイン(左)と妻=本人提供

会社側と彼との間で何があったにせよ、また責任の所在がどこにあるか以前に、パキスタンで多くの乳児が死亡した現実は重い。だからこそ、オスカー監督タノヴィッチも困難を承知で映画化したのだろう。タノヴィッチ監督はオフィシャルインタビューで、「彼が口止め料を得ようとしたからといって、粉ミルクの誤った使用によって乳児が死に続けてきた問題は変わらない。パキスタンの病院で医師と話したが、子どもたちの死亡はいまだに大規模に起きている」と語っている。


アーミルは、パキスタンの地元で騒動が大きくなるなか、当局からも目をつけられたと感じ、2000年に故国をひとり去り、カナダへ移った。トロントでタクシー運転手として生計を立て、カナダ国籍もとって妻子をようやくカナダへ迎えられたのは2006年だ。その間、2003年に母が、その約3ヵ月後に父が亡くなり、つまり両親の死に目には遭えなかった。「映画では両親が非常に重要な役割として出てくる。それだけに、とてもつらい現実だ」とアーミルは語った。今は妻と22歳の長男、19歳の長女、10歳の次女と一家5人で暮らしながら、自動車ディーラーの長男を手伝う形で販売や営業の仕事をしている。


乳児の死亡多発について警告した医師ファイズのモデルとなった男性は今、英ノッティンガムで開業医をしている。アーミルとは今も、連絡を取り合う友人同士だという。



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藤えりか(とう・えりか)

1970年生まれ。経済部や国際報道部などを経て2011~14年にロサンゼルス支局長、ラテンアメリカを含む大統領選から事件にIT、映画界まで取材。映画好きが高じて脚本を学んだことも。現在GLOBE記者。ツイッターは@erika_asahi



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