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ニュースの裏側

[第5回] 模索続くシビリアンコントロール

役割増す自衛隊、「統制」の担い手は

佐藤武嗣 Taketsugu Sato GLOBE記者

戦後日本のシビリアンコントロール(文民統制)では、戦前・戦中の軍暴走の反省から「軍による国の安全」よりも「軍からの安全」に重きを置いてきた。
政治家は正面から「自衛隊」と向き合うことを避け、防衛官僚という文官に安全弁役を果たさせた。文官である背広組(内局)が制服組(自衛官)を抑え込むという意味で「文官統制」とも呼ばれる。

だが、01年の米同時多発テロ事件以降、イラク派遣など自衛隊の海外での活動が活発化するなか、「文官統制」のあり方を見直そうとする動きが始まった。議論を喚起したのは自民党の石破茂(52)。さらに、「政治主導」を掲げて政権交代を実現させた民主党政権で、長島昭久(47)が次なる「担い手」として布石を打ちつつある。

背広vs.制服

文官統制の象徴とされるのが「防衛参事官制度」だ。1954年の自衛隊創設とともにできた防衛庁設置法で規定され、重大事項は防衛参事官という局長級以上の官僚だけで構成する会議で最終的に決め、大臣を補佐する仕組みだ。実力部隊である自衛隊が政治に関与しないよう防衛官僚がその間に入り「安全弁」の役割を担ってきた。その「文官統制」のあり方に最初に異議を唱えたのは制服組だった。

 

防衛省昇格前の04年6月。防衛庁長官だった石破のもとに設置された「防衛力のあり方検討会議」で、内局トップの事務次官守屋武昌と海上自衛隊トップの海上幕僚長古庄幸一がにらみ合っていた。
「統合作戦のあり方として問題点をまとめた資料がある。配ってもよいか」。古庄がおもむろに取り出した紙には、「防衛参事官制度」や防衛事務次官の権限を見直すべきだとの提言が書かれていた。
従来、制服組が直接、大臣に提言などを「直訴」することはなかった。制服組には積年の不満がくすぶっており、確信犯的に古庄が打って出たのだ。
「そうなんだよ!」。石破はその提案に大きくうなずき、防衛官僚が顔をこわばらせるなか、制度の見直しを指示した。自民党政権下で防衛大臣を2度歴任した国防族。
国際情勢の変化で、自衛隊の任務が広がり、海外派遣の頻度も10年前とは比べものにならないほど増加している。
「『文官』を逐一かませた意思決定で、果たして有事の時に動くのだろうか」と考えていた。
「国民に責任を負えるのは『文官』ではなく、国民の負託を受けた政治家しかない」
この時の石破の指示が布石となって、防衛参事官制度は、自民党政権下の今年5月末、自民、公明、民主などが賛成した防衛省設置法改正で廃止された。

石破は参事官制度廃止にとどまらず、防衛省・自衛隊全体の組織改編も推し進めようとした。海上幕僚監部がインド洋での海上自衛隊の給油量取り違えを隠蔽していた問題などに怒った首相の福田康夫が、07年12月に防衛省のあり方を見直すために首相官邸に設置した防衛省改革会議で、石破は独自案を提示した。
提案は、作戦運用や防衛力整備などで、従来の背広と制服の敷居を取り払い、政治主導でそれを「統制」するという構想だ。「背広と制服をただ並列すればいいのかというとそうではない。背広・制服が混在して大臣を支える形もある」
だが、参事官制度廃止には拍手喝采だった制服組も、今度は「組織の崩壊につながる」と反発した。

一方、背広と制服が並列になることにすら抵抗のあった福田は、石破案に頭を抱え、改革会議メンバーだった防衛大学校長五百旗頭真に独自案をつくるよう促した。
東京都内のホテルにこもり、福田が見守るなか、石破と五百旗頭が4時間にわたり議論した。「文官統制」はそれなりに歴史的役割を果たしてきたと見ていた五百旗頭も、「背広と制服の不信の構造」を見直すことには賛成した。だが、陸海空各自衛隊の敷居をなくし、内局ともまぜて、それを政治が束ねて統制するという石破案には反対した。
五百旗頭はその理由をこう振り返る。「石破案は、政治が使いやすい軍隊。だが、安全保障に関して果たして日本の政治がそこまで成熟しているだろうか」。最終案は、背広と制服の敷居は残しつつ、部隊運用は制服中心の統合幕僚監部に統合、逆に防衛力整備などは「内局」に一本化する折衷案で決着した。

(次ページへ続く)

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