TOPへ
RSS

世界と日本を考える

[第25回]

民主党政権の混乱は必然だった

鈴木崇弘 Takahiro Suzuki 城西国際大学客員教授 


参院選の敗退を受けて、菅政権の「政治主導」が後退を続けている。当初、官僚主導を排する司令塔となるはずだった「国家戦略局」も、首相の知恵袋的な組織へと縮小し、各省大臣や与党に配慮しながら政策運営を進める方向だという。

鈴木崇弘氏

選挙の敗因については、菅首相の消費税発言ばかりが強調されているが、むしろ、民主党政権の政策継続性や歴史観に対する認識の欠如、政策運営の未熟さと稚拙さに対して、国民が強い不満を感じたことが大きいのではないだろうか。

しかし、こうした事態は、ある意味、当然の帰結だったと言える。
民主党は「官僚依存打破」を標榜(ひょう・ぼう)し、政権発足当初こそ、政務三役を中心に官僚を抑え込んだ。そしてダム建設の中止や事務次官会議の廃止、あるいは外交密約の公開、事業仕分けといった新しい方向性や手法を矢継ぎ早に展開し、政治主導型政治の到来を強く印象づけた。

だが、こうした施策は、時間的余裕のあった野党時代に重ねた勉強の蓄積をはき出したにすぎない。いったん政権をとれば、入閣した議員たちは担当省庁の行事や日常的な政策判断で猛烈に忙しく、新しい政策を考える余裕はなくなる。そもそも、政務三役だけで政策分野すべてに対応すること自体、不可能だ。

結局のところ、現実の政策運営には、アイデアを継続的に提示し、政治家の手足として実効性のあるたたき台やビジョンをつくりあげる組織やシステムが不可欠なのだ。

現在の民主党の混乱と低迷は、官僚依存の脱却を声高に叫びながらも、代わって政策情報源と実行部隊となるシステムや政策インフラを十分に準備しなかったことに起因する。そして、立ちゆかなくなった政権は、再び「官僚依存」へと逆戻りの様相を呈している。

私は、留学や議員政策集団のスタッフ経験などを機に、日本には立法府を支える仕組み――具体的にはシンクタンクの機能がきわめて弱いことに気づき、かれこれ25年、その構築と理解の普及に従事してきた。いくつかのシンクタンク設立にもかかわった。政策情報源の多元化を図り、日本をより民主的な社会にしようとの思いからだった。

とりわけ1990年代後半からは、NPOや市民の社会的役割の重要性に関心が集まるようになる。バブル崩壊による長期低迷のなかで、自民党支配による55年体制や霞が関主導の制度疲労が指摘されるようにもなった。二大政党制による政権交代が現実味を帯びてくるなかで、市民を巻き込んだ政策形成過程の必要性が問われ出したのもこのころだ。

 

政党シンクタンクの挫折

 

欧米、とりわけ米国の政治においては、シンクタンクから多くの人材が政権中枢に登用されることで知られる。現政権も例外ではない。

オバマ大統領は、クリーンエネルギーへの投資を新しい産業の軸とする「グリーンニューディール」政策を推し進めている。これは、クリントン政権時代の大統領首席補佐官で、オバマの政権移行チームの共同議長でもあったジョン・ポデスタ氏が設立したシンクタンク「アメリカン進歩センター(CAP)」が提案してきたものだ。

CAPのスタッフの多くは、政権発足とともにシニアスタッフの職に就き、政策運営にかかわっている。さまざまな批判を浴びながらもオバマ大統領がそれなりの支持率を維持しているのは、こうしたシンクタンク出のスタッフが直接サポートしているからだ。

日本の政党も、こうした流れを意識しなかったわけではない。05~06年ごろには自民党、民主党の両方がほぼ同時期に自前のシンクタンクを設立した。自民党の「シンクタンク 2005・日本」、民主党の「公共政策プラットフォーム(プラトン)」がそれだ。

私は、「2005・日本」の理事・事務局長に就任し、小泉政権の末期から麻生政権まで4政権のもとで、党の政策形成にたずさわった。政策マーケティングや政権運営のアドバイスといった先進的な試みをしたとの自負はある。だが、現実には様々な壁に阻まれた。

 

(次ページへ続く)


すずき・たかひろ

東京大学法学部卒。マラヤ大学、イースト・ウエスト・センターやハワイ大学大学院などに留学。東京財団研究事業部長、大阪大学特任教授、「シンクタンク2005・日本」理事・事務局長などを経て城西国際大学大学院国際アドミニストレーション専攻客員教授。著書に『日本に「民主主義」を起業する』『シチズン・リテラシー』など。

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

世界のどこかで、日本の明日を考える 朝日新聞グローブとは?

Editor’s Note 編集長 新創刊のあいさつ

このページの先頭へ