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世界と日本を考える

[第19回]
引きこもりの若者が日本社会を映す

マイケル・ジーレンジガー Michael Zielenziger ジャーナリスト

初めて日本に暮らした1996年、私は世界経済を牽引する国の復活を目にすることになるだろうと期待していた。なんだかんだ言っても、誰もが日本こそが未来だと思っていた時代だった。新幹線やビデオゲームを作り、自動車産業と家電の世界市場の主役だった国は、ヨーロッパ、北米や他のアジア諸国とは明らかに一線を画していたのだ。

マイケル・ジーレンジガー氏

ところが、日本は自らを活性化することが出来ないまま、「失われた20年」に沈み込むことになった。

日本の長期的な停滞の予兆としてはっきりと映し出されていたのは、若者たちの状態だった。彼らは束縛されている世界の中でモチベーションがあがらないまま働く場に不平や不満を募らせ、伝統的な社会の束縛の外に自由や機会を求めていた。新しい発想や創造性や活気に満ちた個人のイニシアチブが求められる世界で、大人になりきれない彼らは路頭に迷っているようだった。

私は「引きこもり」という社会的な病を知って初めて、日本が直面している問題について理解することができた。

100万人以上の日本の若者がこの病をわずらっていると言われるが、他の社会には見られない。彼らは両親に寝室のドアの前まで食事を運んでもらい、外出したり他の人と交わったりすることを拒絶していた。なぜこんなに多くの若者が、壁を作ってしまうのか。

よく言われていたのは、怠け者の尻をたたいて家から出させ、社会復帰させる必要があるという見方だ。もう一つは、こうした若者(8割が男性)には精神的な問題があり、強力な薬や精神療法が必要だというものだった。

閉じこもっている方が安全

私は、こうした理解が正しいのか知りたいと思った。しかし、引きこもりに会うのは難しいことだった。だいたい、家から出ない彼らにどうやって会ったらいいのか。

私はまず、引きこもりの親を支援する会の会合に行ってみた。親たちは、外に出て苦悩を話す勇気を持っている人たちだった。カウンセラーの中には患者に会わせてくれる人もいた。

引きこもりの若者の多くは、両親との間で本当の気持ちを伝え合うことがあまりない家庭に育っていた。彼らは学校の授業はほとんど意味がないと思いながらも、いい成績を取るためのプレッシャーを感じていた。

暴力を伴ういじめにあい、寝室に逃げ込んでいた。彼らは上質な本を読みたがったり、漫画を描いたり、コンピューターを使ったりしたがっていたが、自分の興味のあることを学校や仕事で外に出すことができずにいた。彼らは、「外の世界が非情で危険なら、家の中に閉じこもっている方が安全だ」と話した。

あるカウンセラーは、私がカウンセリングの助けになることに気付いた。日本人はよく他の人の顔色をうかがうが、引きこもりは特に非難を受けることに敏感だと言う。私は外国人であることで、他の日本人たちと同じように彼らを見ることはないから、私と話す時には非常にリラックスしていたのだ。

こうした若者を十数人、何カ月も取材した結果私が行き着いたのは、広く言われていることとは別の結論だった。私が会った「引きこもり」の多くは聡明(そう・めい)で、繊細で、しっかりとした考え方を持っていた。やる気の出ない日々の決まり切った仕事に我慢し、日本社会が彼らに求めるように服従することに耐えられなくなっていた。同じであることを求める社会のなかで、人と違いたいと思っていた。

(次ページへ続く)

マイケル・ジーレンジガー氏の略歴

1955年生まれ。03年まで7年間、米国の30以上の日刊紙を所有するナイトリッダー社の東京支局長を務めた。アジア各国の社会政治経済も取材。95年には中国報道でピュリツァー賞の最終候補になった。9・11以降はアフガンやパキスタン、イスラエルなども取材対象にしている。

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