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世界と日本を考える

[第17回]
今だからこそ米ビジネススクールが面白い。
新たな存在意義を模索して
塩崎彰久 Akihisa Shiozaki ペンシルベニア大学経営大学院(ウォートン校)学生自治会長

秋。古都フィラデルフィアにあるペンシルベニア大学ウォートン校のキャンパスは美しい紅葉に染まる。

建国の都Philadelphiaの美しい夕日=2009年9月、塩崎彰久撮影

今年3月、伝統と栄誉ある同校の学生自治会長に選出されてから8カ月。米国の主要ビジネススクールで日本人の学生自治会長は初めてだそうで、多くの方の励ましやアドバイスを頂きながら何とか務めてきた。
弁護士という職業に就いた私が再留学先にビジネススクールを選んだのは、グローバル資本主義の最先端で、次代につながる経済社会のあり方をとことん考え抜いてみたかったからだ。とくにウォートンは、トップスクールの中でも学生の実務経験が豊かで、米国外からの留学生の割合も高い。世界で一勝負してきた才知あふれる若手の間で、自分がどこまで通用するのか試してみたいという思いが強かった。

実際に入学してその環境レベルの高さには大きな衝撃を受けた。なかでも驚いたのが、学生自治組織(WGA)の機能と役割の大きさだ。WGAは、2学年計1600人の全学生で構成され、NPOとして完全に独立した法人格をもつ。約120の学生クラブや会議を傘下に、年間4億~5億円の予算を切り盛りし、1億円規模のファンドも運用。専属の会計士まで雇っている一大組織だ。
日本の大学のサークルと異なるのは、こうしたクラブが授業で学んだビジネススキルを実践する場として明確に意識されている点だ。新しいクラブを立ち上げるのは起業の練習だし、何かを企画して実行することはリーダーシップを磨く絶好の機会となる。授業とクラブ活動、理論と実践がパラレルに存在し、学生たちはその間を日々行ったり来たりしながら将来に必要な力を身につけていく。
どんなヤツか、将来一緒にビジネスをやれそうな相手か、冷徹に「品定め」されている緊張感も漂う1600人の世界で、どう自己表現するか。待ってるだけでは機会は巡ってこない。自ら手を挙げてはじめて「こいつはおもしろい」と仲間たちに認識してもらえる。厳しいが刺激あふれる場所だ。

学生会長に立候補した理由

だが2008年秋、米国の住宅ローンの不良債権化を機に起きた金融危機は、まさに「世界を変え」てしまった。連日ウォール街の最高経営責任者(CEO)たちの懺悔する姿がテレビで流れ、フィラデルフィアの街も失業や生活苦に悩む人々の怒りと不安がたまり、ギスギスした様相を帯びていった。

最新設備を備えたWhartonのメイン校舎Huntsman Hall=Wharton提供

「この原因は誰がつくったのか」「グリード(強欲)な人間を生み出したのは、経済合理性に偏った非人間的なビジネススクール教育ではないか」といった議論が起き、「ウォール街のCEOを山のように輩出してきたウォートンこそが諸悪の根源だ」とのバッシングに、学内の雰囲気も悪化した。

ウォートンの学生であれば夏に金融機関でインターンをやった時点で内定率は99%、というのが当たり前だったが、09年の卒業生の2割は就職先が見つからないまま。「当てがはずれた」「どうしたらいいかわからない」といった不安や虚脱感が広がった。
そんな閉塞感を目の当たりにして、「このままではいけない」との思いが私を学生会長への立候補に駆り立てた。世界中から凄い才能が集まっているのに、不安がったり自己批判に浸ったりしているだけでいいのか。もう一度協力して自信を取り戻し、社会にポジティブな影響をもたらす大学コミュニティーを再生したい――。

そんな思いを掲げて3月、会長と副会長2人、財務担当1人の4人1組で手をあげ、1週間キャンペーンを展開した。失敗やトラブルもあったが、僅差で2位のチームに競り勝った。以来、全校あげて奉仕活動デーを実施したり、社会的起業など新たなキャリア分野の開拓に力を入れたりしてきた。ボランティアで一緒に汗を流した地元の小学生の父親に「ウォートンのイメージが変わった」と言われた時は本当に嬉しかった。

(次ページへ続く)

塩崎彰久氏の略歴

1976年生まれ。
東京大学法学部在学中に司法試験に合格。卒業後、スタンフォード大学で国際政策修士を取得。
2002年より長島・大野・常松法律事務所にてM&Aやコーポレートガバナンスを主とした弁護士活動に入る。08年秋からウォ-トンビジネススクールに留学中。
ウォ-トン校のHPはhttp://www.wharton.upenn.edu/

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