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世界と日本を考える

[第14回]「不良外人クラブ」が半世紀を経て
リーダーシップ・プログラムになった

ジョージ・パッカード George Packard 米日財団理事長

 

ある夜、私は全学連幹部ら8人を目黒区の自宅に招いた。大使と引き合わせるためだ。
大使は米国旗をはためかせた黒のキャデラックで来たが、道が狭すぎて車は立ち往生し、近所の人が見物する騒ぎになった。
家は全員が座るには小さすぎて、みな床に車座になった。ビールを片手に、大使は日本語で語りかけ、彼らの話に熱心に耳を傾けた。後に大使は「日本での最も面白い夜の一つだった」と話した。この経験は、大使が安保反対運動を理解するのに非常に役立ったようだった。
私が歩んだ日米の戦後史は、今年日米両国で出版される予定だ。

肩書の下の人間を知る

私が日本にいる間に東京オリンピックが開かれ、新幹線が開通し、新しいビルが次々と建った。良い意味での愛国心があふれ、社会は熱気に満ちていた。

そうした時期に、非常に幸運な日本人との出会いがあった。ともに酒を飲み、歌い、胸を割って話をし合える仲間がいた。ちょっとくだけた場所に行けば、素晴らしい雰囲気が生まれ、学び合うことは多かった。
私は65年に帰国し、ジャーナリズムの世界に10年間身を置いた。79年、ジョンズホプキンス大の大学院の学院長になったが、14年間の在任中に、同大で米国と英国の若手をつなぐ「英米プロジェクト」が立ち上がった。
これは来年、25周年を迎える。私は、似たようなことが日米間でもできないものかと考えるようになった。しかし、資金がなかった。

98年に米日財団の理事長になり、このことを話すと、財団の理事会はすぐに支持してくれて、多くの賛同者が現れた。全く新しい試みだったからだ。
5年やってダメならやめよう、と思って始めたが、あと10年もすれば、参加者は約500人になる。人口比ではほんの一部かもしれないが、それぞれの分野で活躍している人々であることを考えれば、非常に大きな数字だ。外交官同士、ビジネスマン同士だけで付き合っていては薄っぺらな人間関係しかできない。多彩な人が集まり、肩書や制服の下にある人間を知ることができるのが、このプログラムだ。米国側の参加者の中には初めて日本を訪れる人も多い。そうした人が日本を好きになって帰ることの意味は大きい。

日本はいま、大きな変革の時にある。民主党政権で、外交政策はどうなるのか。
オバマ政権下で対日政策はどう変わるのか。米中接近で日本は素通りされるのではないか。憂慮する声は多い。
しかし、今年の参加者たちが、京都の町を歩きながら観光そっちのけで熱い議論を交わすのを見て、私は確信した。大丈夫。将来の日米両国を支える人物が、この中から確実に育っていくのだ、と。

(訳・構成 社会グループ 宮地ゆう)

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