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しかし、ここで日本を民主主義国家に変える「簡単な方法」がある。
有権者の過半数は、1票に満たない選挙権しか与えられていない。にもかかわらず、その多くは、総選挙と同時に行われる最高裁裁判官の国民審査の際、「一票の格差は合憲」と考える裁判官に不信任票を投じていない。
これは、「合理的な人間は、自己の利益に反する判断をしない」という命題に反している。
この摩訶不思議な現実は、有権者が、審査対象の各裁判官が一票の格差について合憲派、違憲派のどちらなのか、という情報を知らないまま、国民審査権を形だけ行使してきたことによって生じたものだ。
各裁判官の立場を知った上で国民審査権を行使しよう、という機運が広がることが必要だ。
筆者は先日、近くのコーヒー店の女性店員3名に話を聞いた。3名とも都民で、衆院選に行った経験があった。
「選挙の時、最高裁国民審査の紙に何か書いたことがありますか」と聞くと、3名とも答えは「いいえ」であり、国民審査が何かを知らなかった。
「あなたの選挙権が0.8票の価値しかないと知っていましたか?」との問いには、全員が「知らなかった。ひどい」と答えた。
「都民の選挙権は一人0.8票でも違憲ではない、と最高裁が判決したとします。
A判事は、判決に賛成した合憲派。B判事は、反対した違憲派です。国民審査ではどうしますか?」と尋ねると、3名とも「A判事に不信任の印をつけます」と回答した。
筆者は、最後に、「先ほどは、都民は0.8票と言いましたが、実際は、衆院議員1名を選出する高知3区と東京6区の有権者の数には、1対2以上の差があります」と説明した。
選挙に行く有権者は、選挙権が重要だと知っている。自分の選挙権の価値が0.8票と知れば、他人から説得されなくても、A判事を支持しないだろう。
いずれにせよ選挙に行くのだから、そのついでにA判事に不信任の投票をする可能性は高い。問題点に気づいた各有権者が、同じインタビューを他の3人に行うという輪が次々と広がっていけば、この試みは成功する。
国民審査の結果、「合憲派」と「違憲派」に有意な差が出れば、それまで「合憲派」だった判事が意見を変えることも十分あり得る。有権者は、「一人一票」の問題につき、それぞれの裁判官が判決の中でどのような意見を示しているか、例えば、今度の国民審査の対象になるであろう裁判官のうち、涌井裁判官と那須裁判官は、07年の最高裁判決で合憲との意見だった、ということを知った上で、国民審査権を行使すべきである。そうすれば、最高裁裁判官は、有権者の意見が何かを直接知ったうえで「一人一票」の問題を判断できるはずだ。国民の有する国民審査権は、選挙権と並ぶ国民の重要な権利である。そして、国民審査権に「一票の格差」はない。
2009年の日本では、人口の過半を占める都市の人が、地方の人より不利益を被っている。1964年の米国では、不利益を強いられる黒人が、人口比11%のマイノリティーだったことを考えると、一票の格差をなくす点では、いまの日本の方が、45年前の米国よりはるかに容易なはずだ。
0.8人前の日本人と、一人前の日本人がいるのではない。皆、「一人一票」の同じ一人前の日本人である。
日本人は今度の衆院選から、国民審査権を初めて意識的に行使することによって、日本を民主主義国家にするという歴史の一頁を開くことができる。現在の日本と将来の日本のために。