![]()
ほとんどの読者は携帯小説サイトにアクセスして携帯電話で読んでいる。小説を配布する方式として、非常に効果的であることは間違いない。そしてその内容も、若者に非常に親しみやすいもので、若者にとって読みやすく、若者言葉が満載で、絵文字が駆使され、日本の10代の若者が友だち同士で意思疎通をするような言葉で書かれている。
またケータイ小説は連載のように順次発表されるため、読者はコメントをし(時にはその物語の筋に影響を与えることすらある)、続きを書くよう筆者を激励し、友だちにも読むように勧めるといったことを通じて、参加者になっていく。ケータイ小説が紙の本という形で出版する準備が整ったときには、100万人規模の強いファン層が形成されていることも珍しくない。
商品ができる前に、その商品を称賛するソーシャル・ネットワークができあがっているという、マーケティング担当者にとって夢のような状況が生まれる。そして、インターネット上では無料で読めるにもかかわらず、同じ小説が、表紙に挟まれた格好の紙の本として出版されると、驚異的な売り上げを記録する。
こうした書籍は、ケータイ小説をめぐって発生した読書体験と共同体生活の記念品なのだ。極めて高い人気があり、米国と同様に厳しい状況にある日本の出版界の希望となっている。
日本では、携帯小説家は未熟で、文学的価値が低いと批判されている。携帯小説家が生み出したスタイルが世界に行き渡ると、世界中の文学を破壊してしまうのではないかという懸念すら存在する(もしもそんなことが起こるとしたら、それは、自ら読む対象により多くを求めない読者の責任であろう。しかし、私は、より高い質の作品を求める目の肥えた読者が常に存在するはずだと信じるようになっている)。
ケータイ小説は小説としては平凡だが、その作者たちによるテクノロジーの駆使において、驚くほど進んでいることを強調しておきたい。それは、米国や世界中の作家に、重要な示唆を与えるものといえる。
こうした日本の若い女性は、伝統的な出版の次に来る世界における「ひな型」を作り上げたのだ。著者が自ら、無料の配布ネットワークであるインターネットで作品を発表し、読者が作家の成功のために努力し、親友同士のような誰にも遠慮しない親密さと即時性を持って語り合う。出版される本は付け足しに過ぎないが、何千も何万も、場合によっては何百万もの人が、1冊あたり12ドルを、あるいは少なくとも9ドル99セントを、キンドル版に喜んで支払うことになるのである。