TOPへ
RSS

世界と日本を考える

[第8回] ハラキリとMangaのはざまで
〈文化輸出〉に必要なもの

塩谷陽子 Yoko Shioya ジャパン・ソサエティー芸術監督

昨年、30代前半の米国人振付家とコペンハーゲンで夕食を共にした時のこと。Mangaを取り入れたダンス作品を創作中の彼は、文字の読めない日本の漫画を眺めて育ったのだと語り、日本のサブカルチャーに大いなる知識と興味を示す。よもやまの話題がデンマークの王室に触れたところで、彼は何げなく言った。「日本にロイヤルファミリーはいるの?」いすからずり落ちた。まっとう以上の高等教育を受けた彼が日本の天皇の存在を知らないという驚きは、彼の無知に対してではなく、「日本文化への知識」に至る道程がひどく分節化し多様化しているという事実に対してだ。

かつて、JSでの舞台公演に企画を持ち寄る米国人アーティストと言えば、尺八を日本で学んだとか、能を題材にした作品を作りたい等、かなり本気で日本の古典を勉強した者ばかりだった。こうした《ジャパン専科》のアーティストが数多くいるわけもなく、特定の面々が繰り返し持ち込んでくるという様相だった。

それが5年ほど前から、前述の振付家のように「Manga」や村上春樹、コスプレ現象などに触発されて作品を作りたいという今日的な素材を抱えた連中が数多く押し掛けてくるようになった。
ソフトパワーは確かにパワーをふるっているのだ。が、彼らに「日本をかつて開国させたのは米国だ」などという話をしたならば、SFでも聞くような表情になる。日本の国策とか文化外交の視点でこの現象を眺めた時、「いいさ、とにかく日本に興味を持つ人口が増えているんだから」と言い切れるのか?

基本としてのデータベース

やはりバランスのとれた知識と理解をもって欲しいと思う筆者は、彼らを系統だった知識へ誘(いざな)おうとするわけだが、その時にいつも感じる壁は「日本にはデータベースがない」ことだ。例えば、「黒船は神奈川県の横須賀に来たのよ」と、ローマ字表記の日本地図帳を渡しても、彼らは神奈川県を探し出せない。たとえ日本語が読めても、探せない。なぜなら日本の地図帳は普通、北海道から沖縄まで北→南順に並んでいて、県の配列を知らなければ目的のページにたどりつけないからだ。米国の地図帳は必ずアルファベット順だから、各州の位置など知らずともアラバマ州なら「A」、ユタ州なら「U」とやって探せるのに。

ABC順という必要最低限の知識だけでモノゴトがたどれる――これがデータベースの基本なのだが、日本はめちゃめちゃだ。東京の地下鉄のリストは銀座線から始まって丸ノ内線に続き、副都心線が最後。あいうえお順ではなく、開通の古い順だ。手元にある英語版・日本の劇団一覧は、「The」で始まるものが「T」にリストされている。「The」は無視してABC順に並べるのが英語の慣習なのに。かくしてローマ字表記になっていてすら求める情報に容易にたどりつけない事態とあいなる。

文化の輸出とは、裏を返せば「文化を他国から輸入してもらう」ことだ。であれば、彼らが楽々と所在地や情報や判断材料にたどり着けるようにしてやるべきだろう。国が、市場先導のソフトパワーに便乗して「文化の輸出」を掲げるのも悪くない。だが、輸出を《正しく》促進したいなら、まずは国内のデータベースの整備とその基本規則への教育という役割を担って欲しい。と、日本文化を米国に理解してもらうという職に携わるこの在米日本人は、日々切実に思うのである。

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

世界のどこかで、日本の明日を考える 朝日新聞グローブとは?

Editor’s Note 編集長 新創刊のあいさつ

このページの先頭へ