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東大では、この時代になってもいわゆる「四行教授」のステータスが高いという信じがたい現状がある。
四行教授とは、履歴書に「東京大学卒、東大助手、東大助教授、東大教授」(これからは准教授などが入って5、6行になる人も多いだろうが基本的には変わらない)の4行しかないという、純粋培養の道を歩んだ人のことだ。これが最も由緒正しく、付け加えるとしても2、3年の海外留学で箔(はく)をつける程度。東大に限らず、役所、企業にもある硬直化した日本の組織の特徴をよくあらわしている。
ちなみに日本で教育を受けた自然科学系のノーベル賞受賞者には、「四行教授」は1人もいない。
実は、こうした構造の根は深い。日本では、勉強のできる子供が中学生ぐらいで自我に目覚める頃から、親や親類、学校や地域など周囲の期待を感じるようになる。入試偏差値最難関とされる東大理科3類の場合、定員は100人足らずで、灘、開成などの全国的超有名進学校の出身者がほぼ半分を占める。残りは約40人~50人で、年によっては合格者の出ない県もあり、郷土の期待を一身に背負う。「春の選抜高校野球大会の代表校」の様相だ。
いったん東大に入れば優越意識に駆られる。なぜわざわざ外に行くのか、とリスクをとろうとしない精神構造になりがちだ。しかし、チャレンジを避けるのは、世界のトップになれる可能性をつんでいることに等しい。ぬくぬくとした羊水にくるまれた、ひ弱な秀才で終わってしまう。残念なことだ。
私自身、医者一家に生まれ、東大医学部を卒業後、助手になってから、初めて米国に留学した。告白すれば、教授の指示通りに研究留学をし、2年たったら東大に帰るつもりだった。
しかし私の指導者から「君は私の仕事を手伝いに来たわけではない、2年後に君自身が独立した研究者になるため、自分で考えて好きな研究をしていい」と言われて衝撃を受けた。さらに「研究者としては対等だ。私が間違っていると思ったらどんどん発言しなさい」とも。
内心、「これは大変なことになった」と思った。しかし、それは、私がそれまでの東大の序列を離れ、個人として、研究のプロとして、自分で考えて研究する最初の機会だった。1年間はあまり成果が出せず、教授は冷たい態度だったが、面白いデータが出てくると、私の研究室に顔を出して議論し、アドバイスし、助け舟を出してくれるようになった。
だれかほかの先輩のためにではなく、自分のためにする研究が苦しいけれど楽しくなり、退路を断って「四行教授」への道を捨ててしまった。
それ以来、米国内で場所を3回変え、世界中のプロを目指す研究、さらに教育者として開かれた相互評価の中に身を置いて腎臓の研究と内科の教育に参加した。医師免許、専門医資格など、米国で必要な資格を獲得し、診療にも従事。内科の教授になった。
明治以来、東大は効率よく国家に必要な人材を供給してきた功は確かだ。ノーベル賞は一つの例だが、他大学に比べてはるかに優位な立場で、優れた可能性を持つ若者を受け入れながら、どのような責任を果たすのか、パラダイム転換が求められている。若い時から「他流試合」を重ね、世界の一流の学者や多くの競争相手と出会い、次世代の仲間のグローバルなネットワークをつくることが欠かせない時代だ。
若い学生、研究者は世界の舞台で活躍できる素地、可能性を十分に持っていると確信している。しかし、まだまだ「四行教授」が幅をきかせているのが実情だ。優秀な学生を大学に残し、自分の研究の手足として、後継者として、自分の業績に貢献させようという発想から抜け出ていない。次世代の創造性、独創性を引き出すのではなく、「つぶしている」教授もいる。研究でも教育でもなく、東大教授という看板にすがり、地位の保全にきゅうきゅうとしている人すらいる。
東大では、研究や教育の現場で「ときめく」経験に出会うことが、世界の一流大学に比べるとはるかに少ない。東大型の土壌につかっている限り、多かれ少なかれ、「権威のクローン」になってしまう。根と幹はどんどん太くなって、効率的にたくさんの論文など果実が収穫できるようにはなっても、魅力溢(あふ)れる新しい芽、そこからの新しい樹とその果実をもたらすことはない。
人づくりこそが日本にとって最も重要な課題だ。たとえノーベル賞には届かなくても、若いうちから世界の一流に身近に接し、薫陶を受け、多様な優れた若い研究者と切磋琢磨(せっ・さ・たく・ま)する環境で研究する。富士山だけではなく、エベレストやK2について知り、到達できるかどうかは別にして、チャレンジする。自分はどの程度の位置にいるのかを知り、自分を探すのだ。若者は荒野を目指さないのか?
優秀な学生は多くてもチャレンジ精神が薄いように感じる。グローバル時代のいまこそ「既得権」を持つ方々の英断と、若い人々の勇気に期待したい。日本の将来はここにかかっている。