![]()
![]()
1929年の大恐慌と今回との大きな違いは、保護主義が台頭していないことだ。もし世界が依然ドルを必要とするなら、ことはうまく運ぶ。だが、ドルが見捨てられるなら、危機はより大きくなるだろう。景気後退が10年も続き、大量の失業を招いて社会と政治の危機につながるなら、民主主義そのものへの疑問も出て来よう。
日本はすでに、10年間にわたって続いた危機(バブルの崩壊に伴う「失われた10年」)を味わった。この時の日本の経験から世界は多くを学ぼうとしている。日本のような後退は願い下げだと、対処法を考えている。
ただ、市場には法規則がない。コントロールできないままどんどん物事が進む、無法の世界だ。出口が見えないままに、負債ばかりが膨らんでいく。非常に危険な構造だ。
破局を避けるためには、市場と国家の均衡が必要だ。危機の根底には、法治国家のグローバル化なしに市場がグローバル化してしまったことがある。「地球規模の法治国家建設」に至る道を構想する必要がある。
このような世界の中で、さて、日本はどうなるだろうか。
私は日本車を一台所有している。ハイブリッド車を探したのだが、欧州メーカーで適当なものが見つからなかった。日本の技術がどれだけ発展しているか、実感している。
けれども、日本の問題はそこにあるのでない。最大の弱みは人口だ。移民を拒んだことによって引き起こされる恐ろしいほどの国内の高齢化と人口減少は、大きな問題となるだろう。
日本には80年代、世界の中心都市となるチャンスがあった。当時の日本は、世界に対して大きな関心を抱いていた。だが、世界の中心となるためには、「普遍化」という使命を担わなければならない。つまり、世界に向かって開かれること、世界を支配しようとする欲望を持つこと、世界から関心を持たれることだ。
80年代に日本が選択したのは、そのような道でなかった。日本は、外国人を受け入れない道を選んだ。米国の企業をいったん買収し始めたものの、バブル崩壊の処理に手間取り、内にこもってしまい、自分たちだけの世界で生きていこうとするようになった。並はずれた技術力があるにもかかわらず、官僚の特権維持にこだわった。この開放性の欠如によって、日本は世界の中心になる機会を逃してしまった。
日本がチャンスを生かせなかったのは、ひとえに開放の精神を欠いていたから、というほかない。
私は『21世紀の歴史』で「2025年、日本の経済力は、世界第5位ですらないかもしれない」「アジア最大の勢力となるのは韓国であろう」と書いた。韓国は今、生活水準や技術の進歩において日本と肩を並べている。情報工学や都市工学の分野では、日本より上回っているかも知れない。しかも、韓国は中国に対して、日本よりもずっと緊密な関係を築き、中国市場へのアクセスを確保している。
日本をフランスと比べてみても、違いは明らかだ。フランスは少子化問題に取り組んできたし、欧州の一員として共通市場を持つに至った。イデオロギーや政治、過去の問題について、私たちはドイツとの間で話し合いを続けてきたからだ。残念なことに、日本は中国との確執を解決できていないし、アジア共通市場も構築できていない。
日本が今後、かつてのように世界の中心を狙う地位に戻る可能性は、もちろんある。その際のキーワードも「開放」だ。競争が激しくなるのを覚悟の上で国を開くべきだ。
開放によって自らの国家アイデンティティーを喪失してしまうのでは、との懸念が日本にはあるようだ。しかし、国を開放することと国家アイデンティティーは本来、何の関係もない。フランスは国を開いたが、アイデンティティーを失わなかったでないか。
国際化を拒むのはもちろん、一つの政治的な選択だ。その決定にとやかく言うつもりはない。ただ、それは高くつく選択だ。
40年後、日本は人口が大きく減少し、世代構成が若返って均衡を保っているかも知れない。また、その間に労働人口が少ないことで機械化が進むかもしれない。しかし、その前に、大変困難な時期を過ごさなければならないだろう。
それを避けるために、現在非常に低い一世帯あたりの子どもの数を増やす努力をするか、移民を入れるかの措置をとるべきだ。人口の構成を大胆に変えることだ。
(訳・構成 パリ支局長 国末憲人)