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豊かさのニューノーマル

ロナウジーニョの故郷で民主主義を考える

独裁のスイッチ⑦

故郷ポルトアレグレで行われた試合で2009年4月、ブラジル代表としてプレーするロナウジーニョ=AP

沖縄県から見て地球のちょうど反対側に、「陽気な港」という名前の町がある。ブラジル南部、ポルトアレグレ。日本でも人気を博したサッカーのスーパースター、元ブラジル代表のロナウジーニョ(37)の故郷だ。変幻自在の足技とはじける笑顔で世界のファンを魅了した彼だが、幼い頃は貧しい環境で育った。そんなロナウジーニョ少年にも影響を与えたであろう、民主主義の画期的な試みが28年前、世界に先駆けてこの町で始まっていた。(GLOBE記者・玉川透)


「地下トンネル」の真相


ロナウジーニョが実家とナイトクラブの間にトンネル建設を計画していた――。


6年前、ポルトアレグレの地元ケーブルテレビが報じたゴシップが話題になった。奔放な夜遊びで知られるロナウジーニョが、実家近くのクラブを買収し、パパラッチの目を避けつつ通うためにトンネル建設を申請したが、市当局に却下されたという内容だった。


果たして、真相はいかに?


ロナウジーニョの実家の玄関。門の向こうに延々と並木道が続いている=10月27日、ポルトアレグレ、玉川透撮影

今は母と兄一家が暮らすというその家を、10月下旬に訪れた。市南郊の丘の上に白い外壁の2階建て家屋が建つ。スーパースターの実家にしては控えめだと思いきや、これは玄関。鉄扉の隙間から中をうかがうと、熱帯植物の並木道がどこまでも続いていた。スキンヘッドのいかついガードマンが現れて、こう言った。「ここから先は立ち入り禁止だよ」


失礼しました。たまたま、そばの電柱に登って修繕工事をしている男性がいたので、「何か見えますか?」と聞いてみた。「道路がどこまでも続いているだけ。その先は見えない」。とてつもなく広いお庭のようだ。


ロナウジーニョが買い取った実家近くのアミューズメント施設=10月27日、ポルトアレグレ、玉川透撮影

問題のナイトクラブはどこか。辺りを見回すと、玄関から大通りを隔てて200メートルほどの一角に、紫色の風変わりな建物がある。どういう趣向か、エッフェル塔や凱旋門、ルーブル美術館のガラス製ピラミッドなどパリにちなんだ大型模型がいくつも並んでいる。


取材を申し込むと、広報担当の女性が応対してくれた。「元々はサンバのショーを見せるナイトクラブで、ロナウジーニョが買い取り、現在はフランス人の共同管理者がアミューズメント施設に改装しました。先週オープンしたばかりで、今もロナウジーニョがオーナーです」


写真撮影は許可されなかったが、施設の中は案内してくれた。チャイナドレスの女性や黒服のバーテンダーが開店準備に忙しそう。1階のホールにはコインゲーム機360台が並び、2階は120人収容のレストランになっている。米ラスベガスのカジノをほうふつとさせる。


ロナウジーニョが買い取ったアミューズメント施設の責任者。先週オープンしたばかりで、「客入りは上々」という=10月27日、ポルトアレグレ、玉川透撮影


ホールの一隅に、地下に続く階段を見つけた。もしや、これがうわさのトンネルか!?


広報担当の女性は首を横に振った。「従業員の更衣室です。トンネルについては、ロナウジーニョ個人の問題なのでお答えできません」


結局、真相はわからずじまいだったが、ロナウジーニョが並々ならぬ成功を手にしたことはよく分かった。だが地元のタクシー運転手、エーベルトン・シルバ(35)は、こう言う。「ロナウジーニョはたしかにサッカーの天才だったけど、運にも恵まれていた」


シルバが、ロナウジーニョの実家から車で5分ほどの丘の上に連れて行ってくれた。斜面にへばりつくように家々が並ぶ。外壁ははがれ落ち、窓ガラスがあちこち割れている。「ファベーラ」と呼ばれるスラム街だ。


その集落を指さしてシルバは言った。「犯罪組織の縄張り争いでドンパチが絶えない。昨晩も銃声が聞こえた。組織のやつらは、路上でサッカーをしている少年たちに小遣いを渡して手なずけていく。ロナウジーニョだって、そうなっていたかもしれない」


輝かしい栄光とどん底の生活は、まさに紙一重。そこには、ブラジル社会の闇が垣間見える。


故郷ポルトアレグレで2006年12月、地元の貧しい子供たちのためにサッカー教室を開いたロナウジーニョ=ロイター



ロナウジーニョ少年も恩恵?


「ロナウジーニョの一家も貧しかった頃、この仕組みの恩恵を少なからず受けたはずだ」


ポルトアレグレの元市長、オリビオ・ドゥトラ(76)は、そう振り返る。


彼が市長に初当選した翌年の1989年、世界で初めてポルトアレグレに導入したのが「市民参加型予算編成」(参加型予算)という仕組みだった。

ポルトアレグレに市民参加型予算を導入した経緯を語る当時の市長オリビオ・ドゥトラ=10月27日、ポルトアレグレ、玉川透撮影

自治体の限られた予算をどの事業に優先的に配分するか。それを市の財政当局や市議会だけでなく、地域住民が集会に参加して議論しながら決める仕組みだ。議会制民主主義では民意を反映しきれない問題を解決する一つの手段として注目され、ブラジル国内の他の自治体や南米諸国、欧米の都市などに広がった。発祥地のポルトアレグレは代表的な成功例といわれている。


ドゥトラによれば、発想のはじまりは軍政下の1970年代。当時、リオグランデ・ド・スル州の首都だったポルトアレグレ市は工業で栄え、周辺の農村から人々が流入した。貧しい人々が集中して暮らす地区では、交通や下水道、電気などのインフラが整わず、環境汚染が進むなど様々な社会問題が発生。地域住民が集会を開いて、市に改善を求めても聞き入れられなかった。


ドゥトラによると、ある集会で市の担当者がこう言った。「予算とは短い毛布のようなものだ。足が寒いと言って引っ張れば、頭が出てしまう。逆もしかり。全てをカバーできる予算というものはない」


その時、集会に参加していた女性の一人がこう反論した。「毛布はサイズを決めてから作るものでしょ。でも、あなた方はサイズを測るときに、私たちにいちども意見を求めに来なかった。もし正しいサイズがあらかじめ分かっていれば、私のところもカバーされたのに」


市の担当者はぐうの音も出なかったという。ドゥトラたちは集会後、彼女の言葉を振り返り、公共の予算は市当局や議会まかせにせず、市民自身が考えるべきだという結論に至った。これが参加型予算のきっかけになったという。


ポルトアレグレの参加型予算は、貧困層の救済を掲げていたため、老朽住宅の建て替えや上下水道整備などファベーラの環境改善に優先して予算があてられた。


ポルトアレグレ郊外のファベーラ(スラム街)。丘の斜面に張り付くように家が並ぶ=10月27日、玉川透撮影


ドゥトラは参加型予算の利点について、「市民が監視の目を光らせることで、為政者(市長)に圧力をかけ続け、汚職や利益誘導の防止にもつながる」と説明する。


一方で、問題も残されていた。「軍政時代が長かったことで、市民に『政治に参加しない文化』が根付いていた。参加の意欲をかき立てるのは容易ではなかった」


導入から28年。「成功モデル」ともてはやされたポルトアレグレの参加型予算にも、ほころびが目立つ。


リオグランデ・ド・スル州連邦大学教授で参加型予算を研究してきたルシアノ・フェドッチ(59)は「参加型予算は今、危機的状況にある」と警鐘を鳴らす。


参加型予算で達成した公共事業はこれまで約8000件に上る一方、約2300件が手つかずの状態で残されている。

市民参加型予算編成の明暗について語るルシアノ・フェドッチ=10月26日、ポルトアレグレ、玉川透撮影

フェドッチによれば、原因は財源不足だ。ここ数年の経済不況で、ポルトアレグレ市の税収は落ち込み、今年ついに参加型予算を中断せざるを得なくなった。


市民の参加意欲はどうか。フェドッチの調査によると、1990年時点での参加型予算の集会参加はわずか628人にすぎなかった。しかし、徐々に増えて2002年には1万7397人に。その後しばらく伸び悩んだものの、ブラジル経済が冷え込んだ15年には2万0661人(前年比19%増)に跳ね上がった。


集会への参加人数だけをみれば、市民の熱意はけっして冷めていないようにも見える。だが、フェドッチがここ数年の参加者の社会階層などを分析したところ、低所得、低学歴、黒人系の参加率が非常に高かった。一方、中間層や富裕層の割合が極端に低かったという。

2006年12月、故郷ポルトアレグレで開かれたイベントで地元の子供たちにサインするロナウジーニョ=AP

「底辺層は、行政に必要な対応を求めて積極的に集会に参加する一方で、中流以上には無関心が広がる。格差社会のブラジルで公的資金の公平な分配をめざしたのに、かえって分断が進んでいる」と、フェドッチは分析する。


それでは、参加型予算は民主主義の新しい形のヒントにはなり得ないのか。


フェドッチは言う。「議員代表制にも欠点があり、さまざまな問題が浮かび上がっている。参加型予算はそれと完全に置き換わるものではないが、市民の政治参加を広げるという意味で補完的な貢献はできると思う。民主主義に『酸素』を与えて元気にするようなものだ」

ポルトアレグレのファベーラ(スラム街)で遊ぶ子供たち。ロナウジーニョも子供の頃に路上でボールを追いかけた=10月下旬、玉川透撮影

ポルトアレグレ中心部にあるヴィラ・プラネターリア地区を訪れると、半裸の少年たちが路上でサッカーボールを追いかけていた。参加型予算でファベーラが再生した成功例の一つとして語られている。かつてロナウジーニョも、同じように技を磨いたに違いない。この少年たちにも、ロナウジーニョとまではいかないまでも、幸運があらんことを願わずにはいられなかった。




GLOBE「豊かさのニューノーマル」の「独裁のスイッチ」編。次回は、早稲田大学の豊永郁子教授(比較政治)が、古代ギリシャの哲学者プラトンの「知恵」を読み解いて、「民主主義と独裁」の微妙な関係に迫ります。

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