RSS

豊かさのニューノーマル

実はもともとのんびり生きていた日本人

京都大学の広井良典教授に聞きました(下)

国内総生産(GDP)の拡大を第一にめざす社会からの脱却――。そんな社会がインタビュー第2回までにだいぶ思い描けるようになってきましたが、そうはいっても中国やインド、アフリカは成長が続いています。結局、GDP成長をめざす主役が交代するだけ? 京都大学こころの未来研究センター広井良典教授(56)に聞くシリーズの最終回、日本の「原点」も見えてきました。(GLOBE編集部 宋光祐)





京都大学こころの未来研究センターの広井良典教授(右)にインタビューする宋光祐記者=大島隆撮影

――先進国では経済成長が鈍っていますが、中国やインド、アフリカでは成長が続いています。地球規模で見れば、経済成長の牽引役が交代するだけで、成長主義は変わらないのではないでしょうか。

歴史的に見れば、近代になって最初に資本主義ないし成長経済に乗り出したのは欧州であり、米国でした。そこに日本が現れ、新興国が追いつくようになってきた。資本主義の波は世界に広がり、その「最後のフロンティア」としてアフリカが出てきたのが今の状況です。


先進国の立場から見れば、GDPが増えないのは単純に言えば、これだけモノがあふれた社会では、欠乏よりも過剰が支配的になり、そんな状態では国内ではモノは売れず、最後はマーケットはアフリカにしかない、ということになります。外部に市場を求めていく以外に術がなくなり、資本主義は飽和状態になっている部分があります。


これは昔からのことですが、途上国が先進国を必要としているのではなく、先進国が途上国を必要としているのです。そもそも途上国という言い方自体が、先進国の見方です。最初は原料の供給元として、次はモノを売るマーケットとして、さらに工場の移転先として、先進国が途上国を必要とし、市場経済の世界に巻き込んできた面があります。


国連の長期人口推計によると、世界の人口は2100年に112億人でほぼ定常化します。20世紀は16億人→60億人と世界人口が4倍近く増えましたが、21世紀は60億人→112億人と2倍にもなりません。しかも、2100年まで人口が一貫して増えるわけではない。21世紀前半の増加が多く、その後はゆるやかな増加となって、110億人前後で定常化する。


世界がいわばグローバル定常型社会に向かいつつあり、言い換えれば、そうならない限り持続可能ではないということです。英国で生まれた資本主義が、いみじくも人類発祥の地であるアフリカにまで広がることで、最終局面を迎えてほぼ定常化する。望ましいシナリオは、拡大・成長が徐々に安定し、資源に依存しない経済になることで定常化し、紛争も収まっていくことです。今はその分かれ道なのだと思います。経済や人口の構造は変化しているけど、まだ意識は高度成長的なものを引きずっているのかもしれません。


――仮に定常型社会が実現した場合、どういった政策が必要になるのでしょうか。

定常型社会とは、すべてがほんわかと丸くおさまる社会ではなく、市場経済を否定するものでもないので、協調やシェアの要素が増す部分はあっても、ダイナミックであり、ある面では競争が激しくなります。だからこそ富の再分配が重要になってきます。


米国や日本は成長志向が強くて、貧しい人が豊かになるには、経済全体のパイを大きくする以外に方法がない。一方、欧州では再分配への社会的合意が強いので、富も労働もみんなで分かち合って過労死や失業にならないようにしている。会社や家族を超えて支えあうという再分配の意識が成熟していかないと、格差が広がり競争が激しくなるばかりです。


人間の意識や行動様式は経済社会の変化に後からついてくるもので、希望を込めて言えば、全体のパイがあまり拡大しない社会では、拡大・成長よりも持続可能性や相互扶助、循環などをキーワードに価値の基準が移り、人間の行動様式や経営のあり方が変わっていく部分があると思います。


――すでに定常型社会を実現していたり、モデルになったりする国やコミュニティーはありますか。

私のなかでは、ドイツやデンマークが一番近いと感じます。ドイツは経済が好調ですが、人々の心の持ちようは成熟しています。イタリアよりも休暇が多くて労働時間が短い社会になっています。それなのに経済もうまく回っている。これは北風と太陽のような話で、「拡大・成長が必要だ」とばかり言って、もっと働けと北風を吹かせてもみんなが疲れ果てて新しいアイデアも出て来ない。一方で、「もう少し各個人が好きなことをやっていけばいいんじゃないの」と考えて行動した方が、結果的に経済もうまく循環していく。


社会の構造も、中央集権的ではなく、分散的でローカルから積み上げていく。日本では人口20万人くらいの都市でも空洞化しているが、ドイツでは5万人や1万人の都市でも中心部がにぎわっている。私はほぼ毎年ドイツの様々な地方都市をまわってきましたが、中心部から自動車を完全にシャットアウトして歩行者だけの空間にすることで、賑わいがありつつ、ゆったりしたコミュニティ空間をつくっています。それが定常型社会のイメージそのものです。


日本も、定常型社会は夢の世界ではありません。江戸時代の終わりや明治時代に日本を訪れた外国人は口をそろえて「こんなにのんびりした国民を見たことがない」と言っている。資本主義が加速化していた当時のヨーロッパ人はものすごく時間に追われていたのです。日本人がもともと勤勉だというのは全くの神話で、明治以降、国民総出で富国強兵や「拡大・成長」に向かうなかでそうなっただけで、定常型社会という感覚は日本人にとって「なつかしい未来」なのです。



広井良典(ひろい・よしのり)

1961年生まれ。京都大学こころの未来研究センター教授。専門は公共政策と科学哲学.。

この記事をすすめる 編集部へのご意見ご感想

  
ソーシャルブックマーク
このエントリーをはてなブックマークに追加
Facabookでのコメント

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

Information | 履歴・総合ガイド・購読のお申込み

Editor's Note | 編集長から

PC版表示 | スマホ版表示