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豊かさのニューノーマル

若い人たちが移住してきた。地元はどう迎える?

東京発のベンチャーをはじめ、移住が盛り上がっている秋田県五城目町。東京からの思わぬ熱い視線、地元の人たちはどう受け止めているのだろう。地元を知り尽くした経営者のみなさんに、聞いた。(GLOBE記者 西村宏治)


秋田県五城目町の内川地区=西村宏治撮影

まず向かったのは、街中にある創業1688年の老舗、福禄寿酒造。16代目の社長、渡邉康衛さん(38)は地元にこだわった酒づくりを続ける一方で、小学校の廃校にできたシェアオフィスに入居してきた起業家たちとも積極的に交流している。秋田に根づく人たちからみた、東京そして地元とは。


――生まれも育ちも地元。東京へのイメージは、もともとどんなものでしたか?

すごくあこがれていました。テレビではずっと巨人戦を見ていましたし、中学の修学旅行も東京。高校時代は、東京に行くために勉強していたようなもんです。大学卒業後、実家が人手不足だということですぐに帰りましたが、もう少しいたかった。情報が多くて、新しいものが一番に入ってくるところでしたし、刺激的でした。


――こちらに戻ったときの印象はどうでしたか。

実家に帰った2001年ごろは、たまたま家業的にも焼酎ブームが来るなど大変な時期だったこともあって、そのころはまだ地元がどうかとか、そういったことは考えられない状況でした。

渡邉康衛さん=西村宏治撮影

――その後、秋田を見直すようになったということですが、どんなきっかけがあったのでしょうか。

わたしたちは「福禄寿」という伝統的なブランドを持っていますが、2006年に「一白水成」という新しいブランドの酒を出しました。これは地元の素材を使った、地元にこだわったお酒です。2004年に自分が会社を任されるようになり、将来に向けてどういう酒を造っていくべきか考えたときに、最終的に行き着いたのが地元にこだわることでした。今では地元の農家さんと一緒に、酒米づくりも手がけています。


大きかったのは、東京の有名な酒販店さんのアドバイスでした。講演を聞きにいったことをきっかけに声をかけていただき、新しい酒をつくりはじめました。東京には極端な話、日本中のいいお酒が集まってきます。そこで私たちを選んでいただくためには、私たちにどういう強みがあるかを、どうしても考えます。それで行き着いたのが、秋田を感じられるもの、五城目を感じられるものを飲んでいただきたい、ということでした。


――確かに秋田は、酒どころ、酒づくりの材料がそろっています。

大変ありがたいことですが、やはり田んぼに囲まれた五城目でつくった酒となれば、おいしそうな感じがしますよね。それを逆に意識するようになりました。ダメだと言われないように、しっかりいいお酒を出していかなくてはいけない。こういう土地で、こういう農家さんと、こういうお米でつくっていますということを、しっかり伝えていきたいと思うようになりました。

古い店構えを残す福禄寿酒造=西村宏治撮影

――大都市の消費者が、そうしたものを求めるようになった、という感じもしますか?

感覚的なものですが、東日本大震災の後から、そうしたことが特にお客様に響くようになったんじゃないかと感じています。それまでは、たとえば米は美山錦で、とか、精米歩合は何%で、とかいう技術的な面などが注目されることが多かったと思いますが、今はそれよりも、どんな人が、どんなところで、どんな風につくっている酒なのかということを感じていただいているように思います。つくっている場所に行ってみたいとか、つくっている人に会ってみたいとか、そういうことが増えてきています。


――そう感じていたところに、今度は都市からいろんなベンチャーの方などが移住してくるようになりました。

それでも最初は、なんでわざわざここまで来るのかな、と思いました。ただ、たとえば保育園のグラウンドが広いことに感動しているとか、そういうことで、こちらが気づかされることも多かったですよね。東京だけじゃない。私たちの当たり前が、当たり前じゃないところもあるんだな、ということに改めて気づかされたのも彼らとの出会いがあったからですね。そこで、一緒になにかやってみようか、ということも考えるようになりました。


――東京から来た人ならではの目線、どんなところに感じましたか?

たくさんありますが、たとえばシェアビレッジ(※)の取り組みもそうですよね。地元の人でも「誰も住まないよ」と思っているものが、実は貴重で、来たいと思っている人もたくさんいるんだ、ということをうまく表現してくれたと思います。結局、私自身もそうですが、地元が好きだったんです。それに改めて気づかせてもらった、というのは本当によかったなと思います。


※シェアビレッジ 五城目町内の築130年の古民家を、会費にあたる「年貢」を払った会員「村民」でシェアし、宿泊したり、郷土料理を体験したりするプロジェクト。

街中には古いお寺や屋敷も残っている=西村宏治撮影

――影響は、広がっていると感じますか。

変わってきた第一歩、というところだと思っています。彼らは起業家だから、いろんなことにチャレンジして仕事をつくっていきます。その雰囲気が、少しずつ広がっていると思います。私自身、地元の酒を楽しめる場所をつくろうと、新たなチャレンジをしようと思っています。同級生とかと話をすると、昔は「帰りたいけど、仕事がない」と言われれば、それで会話が終わっていたんです。でも今では、胸を張ってこう言いますよ。「仕事なら、自分でつくればいい」って。地方には地方の事情があって、仕事のチャンスも実は少なくない。それを、実例で見せられてきたわけですからね。


昔は、このあたりの「アメリカンドリーム」と言えば、東京で大成功することでした。でも、今では私自身も、東京はたまに出張で行くだけでいい、という感じです。飛行機で1時間。行こうと思えば、すぐに行けます。そろそろ、東京だけじゃないんじゃないか、地方にはもっともっと可能性があるんじゃないかと感じています。いまは五城目で酒づくりができていることを、心からありがたく思っています。



次に向かったのは、街中から10分ほど離れた山間部の内川地区。畑澤與左右衛門社長(70)が経営する認定農業法人、有限会社アグリは、この地区を中心に林業と農業を手がけている。


――農村の移り変わりを見てこられた世代だと思います。

最初の変化は1960年代ですよ。若者がどんどん都会へ出て行きました。それでも兼業農家だったり、定年で戻ってくるひとがいたりして、なんとか田んぼが維持されていたんです。それももたなくなって高齢化と人口減に拍車がかかってきたのは、この10年ですね。


私たちは、林業のほか、農業では30ヘクタールほどの田んぼで米を生産しています。田んぼについて言うと、15年ほど前に0.5ヘクタールほどで始めて、その後、どんどん頼まれることが増えてきました。逆に言えば、コメづくりをギブアップするひとが増えてきたからです。


どうしてそこまで手を広げてコメをつくっているのかというと、このあたりの集落は、田んぼと山と住まいが、一体で残ってきたんです。それを、一体で残していきたい。そうでないと10年、20年でない、もっと長い目で見てここが残っていかないんです。ところが難しいのは、それを残していくための人手がいないということです。

畑澤與左右衛門さん=西村宏治撮影

――やることはたくあんある。でも人がいない。

そうです。やることはたくさんあるんです。そういう意味では、仕事もたくさんある。農林業だけじゃないですよ。建設業でも、いまは直さなくちゃいけないところが結構あるんです。でも、やる人がいない。とくに大きな問題は、人を育てる期間ですよね。その期間をどう確保するかなんです。


――将来にむけて、担い手をどうつくっていくかなんですね。

いま、子ども向けのイベントをやっています。雪遊びをしたり、田植えをしたり、稲刈りをしたり、トラクターで馬ソリをひいたり。昔の遊びを体験してもらおうと思っています。子どもが好きだし、こうして自然や農業に触れることが、その後に役立つだろうとも思います。


そうやって発信していくなかで、その中のひとりでもいいから、田んぼの仕事や山の仕事に興味を持って、将来やってくれればいいな、と思っているんです。これはずいぶん先のことでしょうが、今からやっておかないといけないことですね。


でも興味を持ってくれたからといって、それで暮らせなかったら、やりたくてもできないでしょう。だから私の思いとしては若い世代、子育て世代がきちんと暮らせる福利厚生を準備したい。そのためにいま、挑戦しているところですね。お金が回っていかないと、何も続いていかないですから。


――いま、地方へ移り住む若い人たちが増えているんですが、「田舎」への目線が変わったと感じますか?

こういう挑戦を始めた大きなきっかけはね、若い従業員が東京から来てくれたことです。一度は「よく考えて」と言ったんですが、それでも来たいと言って、来た。今年で6年目になりますが、頼もしいです。そういう従業員を見ているとね、そこまで地元にこだわらなくてもいい、きちんとやってくれる人たちがいればいいし、その人たちのためにも、なんとか経営を持続可能な形にして引き継いでいかなくちゃいけないと思うようになったのです。


ここらは空き家があるから、若い人たちもそこに住めばいい。結婚して、子育てが心配なら学校に近い街中に住めばいい。そして本当に引退する世代になったら、それこそ東京へ帰ったっていい。そう言ってるんです。


――そうしたところに、シェアオフィスができて若い起業家たちが移り住んでくるようになった。その影響はどう感じていますか。

私は世代も違うし、彼らが何をやっているのか、わからないことだらけです。でも、ここで何かやりたいというなら協力するよ、って言ったんです。家をつくるなら、いろいろ持って行っていいよって。彼らはここで子どもを育てたいっていうでしょ、それは私がやりたかったことと同じなんです。ここで子どもが育って、その子たちが山と田んぼを守っていってくれたら、最高じゃないですか。

町内には、いたるところに田園風景が広がっている=西村宏治撮影

実際に彼らのような人たちが少しずつ増えてきたことで、残すことをあきらめかけていた地元の人たちも、変わり始めていると思います。前はね、山と田んぼ残すなんて言っても、「誰がやるの」とか「そんなのできるの」という声もあった。でも、彼らがこうやってきて動いてくれているおかげで、本当にここは残すべきところで、残していけるんじゃないか、という雰囲気が出てきています。


――都市の目を持ち込んだ、ということが大きかった。

そうです。たとえば、ここみたいな中山間地でとれるコメはすごくおいしいけど、値段では勝負できないんです。だから少しでも直接の販路を広げないといけないし、ブランド価値を高めなくちゃいけないと思っていました。でも、それをほしい人が本当にいるのか、ここにいるとわからないんです。


いま五城目に移ってきてくれている人たちは、いろいろ事業をやっているので自分たちのネットワークを持っています。東京とか、都市部とつながっているでしょ。そこで、都会にもこんな田舎に関心を持ってくれるひとがいるというのがわかった。だから今はそこをもう少し広げてね、たとえば何人かで田んぼの「オーナー」になってもらって、田植えと収穫は必ず来てもらって、あとはこちらで管理するとか、そういうことができないかと考えています。それも、ここが都会と直接つながれたからできることです。


木材にしても、コメや野菜にしても、加工もやっていけないかと考えています。アイデアはいっぱいありますから、どうなっていくのか、楽しみです。私もいい年ですからね、体もいろいろ大変なことはあるんです。でもね、ちゃんとお金が回るような基盤づくりをして、引き継ぎたいと思っています。

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