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記録の力

「難民の記憶の糸はここに」~UNHCRアーカイブ

国連難民高等弁務官事務所 モンセラート・ガラヨア氏に聞く

難民支援に取り組む国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)には、難民やそれを生んだ紛争についてのアーカイブがある。それは1996年、当時の高等弁務官だった緒方貞子さんのイニシアチブで始まった。なぜ難民の記録を残すのか。どうやって。スイス・ジュネーブにあるUNHCRの本部を訪ね、記録管理・アーカイブ課長を10年にわたり務めるモンセラート・ガラヨア氏(57)に聞いた。

書庫に立つモンセラート・ガラヨア氏=写真はいずれも高橋友佳理撮影

「難民は苦しみを記憶する権利を持っている」

UNHCRは1950年に国連機関のひとつとして立ち上げられた。難民や国内避難民、帰還民や無国籍者が避難先や移住先の国で支援を受けられるよう、各国政府に働きかけている。発足当時の難民は100万人ほどだったが、いまや6500万人にふくれあがり、128カ国で活動を行っている。


当初、UNHCRではアーカイブをつくることはルール化されていなかった。

データは作られ保管されていたが、組織内での利用にとどまっていた。研究者でもあった緒方さんは研究者やジャーナリストたちにも記録が公開されるべきだと考えた。90年に高等弁務官に就任し、96年にアーカイブは始まった。


緒方さんは退任した2000年、高等弁務官としての最後の日にUNHCRの書庫を訪れた。自分の名前が書かれたファイルがきちんとそこにあるかを確認したのだ。私はまだ課長ではなくスタッフだったが、その場にいて緒方さんにアーカイブを見せることができた。今でも光栄に思っている。緒方さんのファイルは退任から20年後である2020年に開示される予定だ。緒方さんの後、高等弁務官に関するファイルはアーカイブに送られてきて保存されるのが伝統になった。


危機が起こり、終焉すると人々は母国に帰ったり第三国などに移住したりするようになる。その時彼らが持っている記憶の糸は、アーカイブにしか残っていない。人々の記憶を保管することで歴史を保管していきたいと思っている。経験した苦しみやそこからの解放を記憶していく権利を彼らは持っていると思う。アーカイブというのは勝者の物語を保管するところではないか、とよく言われる。被害者、犠牲者は忘れ去られがちだ。しかし私たちは犠牲者を助ける組織であるから、犠牲者の記憶こそが重要であり、その記録を保管していきたいと考えている。


どう記録するか


記録管理アーカイブ課は総勢20人。うちアーキビストの資格を持っているのは7人。この人数で128カ国に散らばったオフィスから集めた1100万個の電子記録と、書架の長さで12キロに及ぶ紙のファイルを管理している。危機が発生している現場で一刻を争って対応している同僚たちに記録を残すことの意味を説くことは容易なことではない。


UNHCRの記録の特徴は、非常に危険な現場で作られるため、担当者が頻繁に代わること。だから記録を利用する人が作った本人でないことが多い。オフィスによっては紙のファイルで保管しているところもあるが、いまはデジタル化が進んでいる。


11年に始まった「シリア危機」の際は、最初からデジタル化していくことにした。アーカイブ課の職員をヨルダンとレバノンに派遣したところ、膨大な難民のファイルはあるものの管理が行き届いておらず、保管する十分なスペースもないことがわかった。難民の情報を紙のファイルのままで残すことと、難民の安全を守ることができなくなる恐れがあると考え、紙の原本は破棄し、すべてデジタルでシステムに登録していくことにした。システムは特別な安全装置を設けたサーバーで管理されている。


世界中のオフィスにいる職員たちが日々記録を作り、保存している。私たちは研修のために世界中に赴くことができないため、オンライントレーニングのシステムを作り、各自が自宅やホテルでも記録の作成、保存についての研修を受けられるようにした。忙しい現場では、記録を作るのは余計な仕事だと思われがちだが、私たちは「記録は難民を守るために必要なんですよ」と言い続けている。


私はこの仕事に誇りを持っている。書庫の書類に向き合うとき、私の前の担当者たちが私に語りかけているように感じる。彼らがいかに真剣に、情熱的に仕事に取り組んだかを感じ、その資料を目にすることができる喜びを感じる。アーキビストの仕事は書類を並べているだけではない。扱っているアーカイブは歴史を書くのに必要な情報であり、私たちはそれらが作られた時と同じ状態で保管する。アーカイブは、それを見る者を文書が作られた時代に連れていく「タイムマシン」なのだ。


公開について


紛争に関する資料や各機関の交渉などの資料は、原則として作成から20年後に一般公開される。一方、難民の個人ファイルは難民が生きている間は難民本人もしくは難民の法的代理人しか見ることはできず、死後もしくは75年後に一般公開される。例外として親族や子孫が申し込めば、それより早く見ることができる。


情報を見に来る人は三つのタイプがいる。一つはUNHCR内部の利用者。二つ目は難民本人。三つ目が研究者やジャーナリストだ。

難民にかんする資料を調べに来たインド出身の大学院生(背景を一部加工しています)
ジュネーブのUNHCR


現在、南アジア危機やバルカン半島危機についての情報が開示され、研究者たちから問い合わせを受けている。20年後、私の後継者のアーキビストがシリアについて多くの質問を投げかけられることだろう。この作業は木を植えて森や庭を作るのに似ている。私たちが木を植え、次世代がそこから実を得る。私たちは未来のために植樹を続けるのだ。



ジュネーブのUNHCR本部を難民が直接訪れることはほとんどない。難民の個人情報については、各地のUNHCRの事務所から問い合わせがきて、こちらからファイルの電子コピーを提供することがほとんどだが、直接メールで本人から問い合わせがくることもある。


ベトナム戦争によってボートピープルとして難民となった米国人男性の例をあげよう。この男性は2歳のときに難民となり、家族とともにタイを経由して米国に移住した。そこで大学に進み、歴史学の大学教授になった。彼がこのアーカイブに来たとき、彼は自分にかんするいかに多くの情報があるかを知って驚いていた。


ポーランド出身のユダヤ人女性がいた。彼女の亡くなった父は家族で唯一のホロコーストの生き残りだと彼女に繰り返し言っていた。しかし彼女は後に、叔父が生きていると知り、その記録を探しに連絡をしてきた。残念ながら私たちのところに記録はなかったが、私は別の機関に彼女をつないだ。後日、叔父はすでに亡くなっていたが、ホロコーストを生き延びてドイツで家庭を持っていたことが分かったと、彼女から連絡があった。父以外に生き延びた家族がいたことがわかり、彼女は感謝していた。


日本から毎夏、アーキビストが資料整理に


09年から毎年、日本からプロのアーキビストたちがジュネーブに来て、ボランティアで資料整理を担ってくれている。国際資料研究所を主宰する小川千代子さんをはじめとする経験豊富なアーキビストたちで、最近は「海外アーカイブ・ボランティアの会」の名前で活動している。扱いが難しい資料の整理もこちらが教えることなくやってのける。UNHCRの職員の中には、アーカイブを作る仕事が世界中にあることを知らない人もいる。そんな時、「はるか遠く日本からアーキビストがやってきて、この作業をしているんですよ」と宣伝に使わせてもらっている。今年も8月末から約10日間小川さんら4人が訪れ、公開間近の85年から95年の資料整理を手伝ってくれた。日本では記録行政が遅れていると言われるが、私が知る小川さんをはじめとするアーキビストたちは大変すばらしく、その貢献に感謝している。(構成・GLOBE記者 高橋友佳理)

今夏、UNHCRで資料整理を行った右から大西愛さん、元ナミさん、小川千代子さんとガラヨア氏=海外アーカイブ・ボランティアの会提供




Montserrat Canela Garayoa

スペイン・カタローニャ地方政府セルヴェラ歴史文書館長、バルセロナ文化部記録管理課長を歴任後、2000年にUNHCRへ。08年から現職。

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