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「ミニマリスト」になりたいわけじゃない

みうらじゅんが考えるミニマリスト

「持たない暮らし」の反対側から見える姿


もらってもうれしくない土産物「いやげ物」やゴムヘビなど、普通ならいらないモノを収集してきた、みうらじゅん(59)。モノを最小限に減らすミニマリストをどう見るのか。「持たない暮らし」の対極にいるサブカル界の帝王に聞いてみた。(構成:宋光祐、敬称略)


photo:Motooki Hayasaka

――モノをできるだけ減らして暮らすミニマリストについてどう思いますか。

自分が乱されるのが嫌だからそうしてるんだろうなと思います。かき乱されてもいいと思えば、何でもいいんですけどね。結局、自分がすっきりするとか、自分が主語じゃないですか。なんかワーッとあった方が人が喜ぶならあってもいいと、僕は思いますけど。


――モノを持つのは他人のためですか?

モノを持つのはエンターテインメントですからね。家にモノがなければ、「アイツの家に行ったときに、おっかしいもんがあった」ということがないわけでしょ。例えばダサいCD買っていたとか。

高校時代に普段はロックが好きだとか言っているのについつい、ダサい、フォークのレコードを買ってしまって(笑)。友だちが家に遊びに来るたび、恥ずかしいからそのレコードを裏返しにして見られないようにしたことがよくありました。その時は本当に恥ずかしいけど、どこか人にスキを見せて喜んでもらおうという気持ちがあるんですよね。


――どうしてそんな風に考えるようになったのでしょう。

一人っ子だったので友だちに帰って欲しくなかったんです。そのためには、友だちが興味を持ちそうなものを次々押し入れから出していくんです。はじめは「これ見たくない」とか言われても次々出すうちに、何か一つぐらい興味を引くモノがあるじゃないですか。そうやって僕は「接待船」を出していたんです。

だから京都の実家の部屋は、自分の部屋であって自分の部屋でないところがありました。人が来るための部屋で、考え方としては応接間ですね。モノを持たない人は接待とかエンターテインメントが嫌いなんじゃないでしょうか。


――いつからモノを集めるようになったのですか。

小学1年生の時から怪獣の写真を集めていたんです。僕にとっての課題は、その写真をどうするか。ただ置いてあっても仕方ないですからね。スクラップ帳に貼るとか、何か違う使い方をしてみては、友だちや、さらに先生も喜ぶかも知れないってね。

小学生の時、新聞部でもなかったけど、勝手に新聞を作って教室の後ろの壁に張り出していたんですよ。その時に、場違いなところに何かを置いたりすると、そのモノがいつもと違うように見えて面白いということを見つけた気がします。その癖が小学校の時からついているんですよね。

ただ、僕の場合は、モノを集めることだけではなくて発表癖がくせ者なんです(笑)。あるモノが単体では何も面白くなくても、別のモノや概念と結びついた時に化学変化が起こることを待っているんです。それはいつ起こるかは自分でも分からないから置いておくしかないんです。だから基本、モノはとっておきのものではなくて、「取って置くのもの」というヤツです。


――集めたモノは全部でいくつぐらいありますか。

そんなの分かりません(笑)。スクラップに貼ってある切り抜きをどう数えるかとか、個数が言えないものもありますから。そもそも数える気がないから集めているわけで。何個たまったと言う人は、ある程度まで集めるとやめてしまうと思うんです。無尽蔵にあると思っていないと、モノって集める気にならないものですよ。


――仕事のためとはいえ、やっぱりモノを捨てられない習性があるんですよね。

以前から収集癖はあります。それは母方の祖父の影響もあるかもしれません。町の歴史家を自称して、自費出版で本を何冊か出していたような人ですから。モノをすごく集めていたし、新聞でも何でもスクラップのために切り抜いていました。その年金を全部、それに注ぎ込むアウトローぶりに小さい頃からぐっと引かれるところがあって。

本がぎゅうぎゅうに詰まった書棚の写真なんかを見てぐっと来る人と来ない人がいると思うんです。僕らの世代は、部屋は汚い方がかっこいい、本はたくさんある方がいい、と考えるところがありますね。それは好き嫌いではなくて、モノをいっぱいためている人への憧れなんですよ。平成に入ると、そういう感覚はなくなりましたよね。今は作家もきれいな部屋に住んでいるんでしょうし。


――どうしてそんな風に変わったのでしょう。

僕らが子どもの頃にテレビ番組「ウルトラQ」の影響で怪獣がブームになって、ソフトビニール製のオモチャが出始めたんですよ。当時はそのフィギュアや怪獣の写真、カードをどんな風に展示するかクリエイター的な感覚を発揮する部分がありました。ケースごとフィギュアを壁に押しピンで留めるとか、写真をスクラップ帳に貼るとか。自分でケースをつくる人までいて。ほかにもレコードなら帯をのれんみたいに部屋に貼ったり、マッチ箱を部屋の桟に並べたりね。

今はゲームやアニメのキャラクターカードを集めるにしても、ホルダーやケースが付いていて、「これはこれに入れなさい」と大人が言うでしょ。自分独自の集め方や飾り方を考えることができなくなってしまいましたよね。テレビでも以前は同じ番組が何年もやっていたのに、いまはすぐに新しい番組が始まる。昭和はまだ文化と消費が結びついていなかったところがあって良かったと思うんです。


――消費の仕方やサイクルが変わってきているということでしょうか。

「こんなの時代遅れだ」という感覚は、1980年代くらいから出てきたんじゃないですか。「この服にこの靴は合わない」とか。本当はそんなこと勝手じゃないですか。ずっと好きな服を着てても、モノを持っててもいいのに「ダサい」とか言うようになって、古い新しいがモノの価値をはかる尺度になってしまった。

一方で、「古いモノがいい」とか言って、高く売りつけるような人たちもいる。新しい方と古い方の両極で操作しているでしょ。となると、逃げ道はもう、マイルールを作るしかないんですよ。僕は、「変わってるな」とわりと言われる方ですけど、「遅れてるね」とかは言われたことがない。それは必死でマイルールを主張してるからじゃないですかね。


――消費の意味が昔とは違うという点は、「モノを買わされている」というミニマリストの感覚と共通する部分があります。

そうですね。モノを集める方法論もないし、部屋でどう展開するかというアイデアもないから、買っても捨てるしかないですよね。次の新しいやつを買わされてますから。かつてのモノを取って置けば買わされてるって気持ちはないんでしょうけど。今の人たちは買わされているけど、捨てさせられてもいるのではないでしょうか? 昔の電化製品は一生モノだと思ったじゃないですか。いまはもう壊れるように、摩耗するようにつくってありますよね。捨ててもらわないとモノが売れないから。それはつらいですよね。


――それでもミニマリストには共感できませんか。

だって、何かアイテムがないと、そんなに面白い人間じゃないっていう、自負でもないですけど、大した人間じゃないと思い込んでいますから。バンバン、モノを捨てる人たちは、ありのままがすごいと思っているのかもしれないですね。僕は、たいしたことない人間ですけど、いろいろ面白いモノを買ってきましたから、と生きてきた。そんなにモノをなくして、自分が残る自信がありません。自分を取り巻く世界も含めての自分ですしね。僕は怖くて素っ裸では勝負できません。こっちから見ると、そういう人は自信ありすぎでクラクラします。


――モノと「自分」の間には深い関係があるということですか。

今は旅行に行っても、友だちに土産物をあまり買って来ないと思うんです。前は、土産物を買うことで、自分の旅行話を得意げにできるから買ってきたわけじゃないですか。自慢話の起爆剤として土産物をあげるけど、それがないと自分の話ができなくてつまらないんですよね。

よく、「おれ、昔それ持ってたんだよね」と言う人がいますけど、今持っていないとダメなんです。昔持っていた人はけっこういるんですけど、「まだ持っている」というところがおかしいわけですから。

誰だって買えば持てるわけですけど、それを後生大切に持っているという人がようやく話題の中心になれるんですよね。モノって現物さえあれば、ちょっと主張できるところがあるじゃないですか。


――モノへの執着はありますか。

恋愛と似ていて、本当はカーとなってすぐ冷めるんですよ(笑)。趣味ならそれでいいんですけど、モノを集めるのは僕の場合、仕事だから、冷めるわけにはいかないんです。だから冷めていないふりをしているうちに復活するという繰り返しです。でも4年ぐらいためて本でも出したら、すっかり忘れるんですよ(笑)。普通の人より、本当は飽きるのが早いと思います。

例えばゴムヘビは、どう好きかを一生懸命、自分にプレゼンするんです。「ネチャネチャしてるじゃん」「こっちは固い」「いろんな種類がある」とか。そうしていると、あるときはすごく好きになれるんです。でも、そのうちぷっつり忘れる。それが人付き合いと一緒だと思われるのが怖いんです。性格だから仕方ないんですけど、それを良しとしたら本当にダメだと思うんです。だからそれも改善できるんじゃないかってことが、僕のアンチミニマリズムなのかもしれません。



――どこかではミニマリストと似た部分があるかもしれないと感じている。

そうですね。本当は、モノを捨てたらいいに決まってますよ。部屋も広くなってすっきりしますから。でも、それはあまりにも冷たいじゃないかと。

だから仕方なく捨てる時には、モノに目を書いてみるんです。そうするとなかなか捨てられませんよ。目がつくと生きている気がするから、「かわいそう」となりますので(笑)。


――人生の最後に手元に残すモノを3つ挙げるとすれば何ですか。

棺桶に入る時にサングラスはさせて欲しいんです。いざ出棺ですという時、参列した人は僕の顔を見るじゃないですか。あの時にサングラスをしておかないと、違う人なんですよね(笑)。だから、僕の場合はサングラスをしておかないと、みんなに悪いし、誰の葬式に来たのか分からないから、サングラスだけはかけさせてもらって、あとはすべて捨ててもらっていいです。

僕が集めたモノは、他の人にとって価値はないですからね。自分が価値をつけたモノは、自分にしか管理できませんから。本当は原宿や銀座に、コレクションを展示する記念館を建ててくれる人がいれば、捨てずに済むんですけどね。誰か、そこよろしくお願いします(笑)。




みうら・じゅん

1958年2月、京都市生まれ。イラストレーター、エッセイストなど。武蔵野美術大学に在学中だった80年、漫画家デビュー。97年に「マイブーム」で新語・流行語大賞受賞。「ゆるキャラ」の名付け親でもある。miurajun.net



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