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心の筋トレ

スカトー寺のワイルドライフその2

photo:Ota Hiroyuki

私が心を入れ替えるための瞑想修行にいそしむ場であるタイ山奥のスカトー寺。前回は「方丈記の作者・鴨長明もビックリ」という過酷な住環境の話をした。


だけど、それはほんの序の口。スカトー寺での暮らしの本当のハードさは、大自然の中に息づく元気いっぱいの様々な生き物との「共存」を、いやおうもなく迫られることにあるのだ。


そこで今回は、私が滞在中に遭遇した「スカトー寺の愉快(不快)な仲間たち」ベスト5をまとめてみました。


第5位&第4位 イヌとニワトリ


彼らをひとくくりにしたのは、さまざまな共通点があるからだ。


まず第一に、やたらと数が多くて、我が物顔をしていること。


お坊さんにかわいがられ、飼われている恵まれたイヌは、ごく一部。


大半は、村で人間に飼われていたのが逃げ出して野性?化した、野良イヌ、野良ニワトリだ。イヌの場合、村人がわざわざ僧侶に断りを入れて捨てに来るケースもあるという。捨てに来る村人も村人だが、それを平然と受け入れるお坊さんたちも、太っ腹に過ぎないか?


おかげでイヌは勝手に交尾を繰り返して増え放題。ある日、道の真ん中でお坊さんがイヌを捕まえて車に乗せているのを見た。さすがに捕獲作戦を開始したのか、と思いつつ、昼食を取るために集会所を訪れてみて愕然とした。私たちがふだん食事を取っている屋外テーブルのすぐ横で、青空の下、獣医がイヌたちに次々と去勢・避妊手術を行っていたのだ。麻酔を打たれたイヌたちはぐったりと横たわり、テーブルの上には何やら赤黒いものがたくさん入ったビニール袋が置いてある。食欲を失わせるには十分な情景であった……。

photo:Ota Hiroyuki


大半のイヌは、人間を見かけると、のべつまくなしにほえまくる。が、決して自分からは近づいてこない。で、こっちから近づくと、あわてて逃げながらもほえ続ける。典型的な駄犬、というより他はない。


だけど中には例外もある。深夜に「満天の星を見たい」と、懐中電灯を手に散歩に出た時のこと。ふと気がつくと、道の真ん中で、一匹の黒いイヌが無言のままこちらを見つめているのに気がついた。決して大きなイヌではないが、冷たく威圧的な雰囲気は十分に伝わってくる。


それをきっかけに、道の両側に広がる山林の中からも、何やらえたいのしれない生き物たちが息づく気配が濃厚に感じられるようになってきた。


いくら何でもオレ、あまりにも無防備なんじゃないの!?


びびりながらも足早に自室に戻り、それ以来、深夜の散歩は自粛することにしたのだった。


photo:Ota Hiroyuki

話を戻せば、ニワトリも好きな所に勝手に巣をつくり、気ままにタマゴを産んで、子育てをしている。


私が暮らす山小屋の床下でも、オンドリ、メンドリ3羽ずつが住み着いているが、こいつらは私が来ても逃げる気配すらみせない。「この地の主人はオレたちだ」と本気で思っているに違いない。


ひな鳥がピヨピヨ鳴きながら、親鳥の後を付いて歩く様はほほえましいが、ほどなくでかいオンドリとなり、ところ構わず鳴き叫ぶ様は、うっとうしいことこの上ない。天使のような人間の赤ちゃんも、50年たてば面倒くさいオヤジに成り果ているのと同じ。諸行無常である。


第二の共通点は、とにかくよくケンカをすること。ウチの小屋の3羽のオンドリたちも、順位争いでしょっちゅうケンカをし、けたたましい声を立てている。イヌ同士が取っ組み合いでケンカをするのも日常茶飯事だ。彼らを見ていると、「動物にとって、ケンカは欠かすことのできない生活の一部なのだ」と実感させられる。ケンカを封じ込められた文明国のイヌたちは、さぞかし生きづらかろう。ついでに人間たちも。


第三の、そして最悪の共通点は、ただひたすらにやかましいこと。スカトー寺のオンドリたちが元気なのは早朝だけに限らない。滞在当初の寒い夜には、午前1時ごろにオンドリの大合唱が起こってたたき起こされ、それに刺激されたのか、今度はイヌたちの遠ぼえまで始まった。


スカトー寺の夜は、漆黒の闇だ。電灯を消すと、自分の手のひらさえ見えない。そんな闇の中、彼らの大合唱を聞いていると「スカトー寺を支配しているのは人間ではなく、実はイヌとニワトリなのだ」ということを、しみじみと実感させられる。


彼らは当然ながら、日中も元気に暴れまくっている、時には瞑想修行場の前で鳴きまくり、ほえまくり、修行を大いに妨げてくれるのだ……。


第3位 ハチ

photo:Ota Hiroyuki

夜、部屋で電灯をつけていると、2日に1回は飛び込んでくるのがハチ。日本のハチと比べて色が薄く、一見弱っちい感じがするので、当初は「アブみたいなもんだろう」と甘くみていた。


毛布の上でもそもそ動いているのを手づかみで外に放り出そうとしたところ、右手の人さし指に焼けつくような鋭い痛みが!


見事に刺されたのだ。アホな私??。幸い、腫れることはなく、痛みも半日ほどで引いたが、「自然を甘くみたらアカン」という貴重な教訓を与えてくれた。


写真は、ハチが部屋の古いクモの巣に引っかかってもがいているところ。このままおだぶつしてくれれば無問題なのだが、そんな弱々しいタマではない。すぐに脱出して再びぶんぶん飛び回る。結局、部屋の電気を消して扉を開け、お引き取りいただくのをひたすら待つしかないのである。


第2位 ヤモリ

photo:Ota Hiroyuki

ヤモリといっても、こんなかわいらしいヤツが室内にへばりついているぐらいでは、さすがの私も動じない。


問題になるのは、夜中にトイレで用を足そうとした時、壁の隙間からこんなヤツがぬっと顔を出した時だ。全長は30センチ前後。

photo:Ota Hiroyuki


文明世界の一員としては、こんな面構えの生物にいきなり遭遇して、いささか穏やかならぬ心持ちになったとしても、やむを得ないところではなかろうか……。


別の機会には、部屋の扉のすぐ上に、二匹の大ヤモリがじっと張り付いていたこともあった。もしもこんなヤツが部屋の中に入り込んできたら、一体私はどうすればよいのでしょうか。


①手づかみで放り出す

②無視してそのまま寝る

③一晩中、眠らずににらめっこする


答え どれも嫌です……。


ネットで調べたところ、このでかいヤモリの正体はすぐに判明した。「トッケイ」という名前だそうだ。そういえば、日中に瞑想していると、「トッケイ」という、すっとんきょうな鳴き声がよく聞こえてくるよなあ。


ウィキペディアを読むと、「アゴの力が強いうえに歯が鋭く、気性も荒いため思わぬケガをすることもあるので取り扱う場合は注意が必要」との記述もあり、余計に気分が萎えた。


とはいえ、毎晩のようにトイレで顔を合わせたり、網戸に張り付いているのをこわごわ眺めたりしているうちに、次第に「こっちから手を出さない限り何もしない」「意外に臆病」ということが分かってくる。


滞在の終盤には、グロテスクな面構えをじっと観察しながら、平気で用を足せるようになった。「人間はどんなことにも慣れられる存在だ」と言ってたのは、確かドストエフスキーだったよなあ……。


第一位 ネズミ

photo:Ota Hiroyuki

スカトー寺の私の部屋を訪れるのは、初めから正体の分かる生き物だけではない。寝ている私の耳元で、何かが部屋の壁をカリカリとひっかく音が伝わってきたり、聞いたこともないようなデカイ鳴き声(多分、何かの虫)が窓のすぐ外から聞こえ続けたりして、眠りを妨げることもある。


中でも驚かされたのは、深夜に何かの生き物が「ドスン、バタン!」と飛び込んできたような音がした時のこと。あわてて跳び起きて電灯をつけたが、何もいない。「生き物がこんなに素早いわけがない、もしかして何かのオバケ!?」と間抜けな考えを抱きつつも、故・水木しげる先生の影響でオバケにはあまり恐怖心を抱いていないので、そのまま寝てしまった。


翌日の深夜、今度は胸を何か小さな生き物の足で踏んづけられて目が覚めた。「もしかしてニワトリ!?」などと思いつつ電灯をつけると、まるまると太った茶色のネズミの姿が――!


「このまま部屋の中を走り回られたらマジでヤバイ」と一瞬青ざめたが、ネズミの側も驚いたのか、網戸に空いた穴から一目散に逃げ出してしまった。



2枚の網戸に一カ所ずつ穴が開いているのには気づいていたけれど、まさかネズミの仕業とは。


あわててお土産用に買っていた手ぬぐいで穴を塞いだが、さらに数日たってみると、その手ぬぐいをネズミが懸命にかじった跡が……。どうもこの部屋、ネズミにとっては大切な通り道、あるいは虫などを狩る場であったらしい。


最終的に、旅慣れた修行者の持参していた粘着テープを借りて穴をふさぎ、ようやく安心した。


数日後、私の小屋の近くの道沿いに、殺鼠剤らしきカラフルな薬物が等間隔で置いてあるのを目撃した。殺生を良しとしないお寺も、やはりネズミの対応には頭を悩ませているようだ……。



以上、「スカトー寺の愉快(?)な仲間たち」ベスト5。いかがだったでしょうか。


他の修行者たちの話を聞いても、私の小屋が他と比べ「千客万来」だったことは間違いない。


とはいえ、冷静になって考えれば、彼らが生命を脅かすほどの悪さをするわけでもなく、脅威の理由の大半は当方の心理的問題、要するに「単純にビビっていた」だけだったことに気づく。(私の師匠の日本人僧侶・プラユキによれば、まれにコブラやサソリが出ることもあるそうだが)


スカトー寺が、瞑想修行の目標として掲げるのは「未来や過去に心を囚われるのではなく、『今、ここにある』のを常に意識し続けられるようになること」だ。


そういう面から捉えれば、私の心を嫌が応にも「今、ここにある脅威」に向けさせてくれるこれらの生き物たちは、実は修行を多いに助けてくれる「善友」(仏の道を共に歩む友人)なのかもしれない……!?



(太田啓之)


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