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心の筋トレ

マインドフルネスの世界的な伝道師


「ああしてい『れば』よかった」という過去への悔恨や、「そうなってしまっ『たら』どうしよう」という未来への不安にさいなまれる「タラレバ思考」。そこから何とかしておさらばし、仕事も人生も飛躍させたい――。


そんな切実、かつ虫のいい願望を抱きつつ、私は2月15日から米国・サンフランシスコを訪れた。目的は世界でも最大規模のマインドフルネスをテーマとするイベント「ウィズダム2.0」を取材すること。中でも、マインドフルネスの世界的な伝道師の1人として知られる元グーグルのエンジニア、チャディー・メン・タンに直接会って話を聞くことだ。


タンは2000年、発足したばかりのグーグルに入社してエンジニアとして活躍する一方、マインドフルネスをベースにした研修プログラム「サーチ・インサイド・ユアセルフ(SIY)」を開発。グーグル社内で人気の講座となっただけではなく、その内容を紹介した同名の本は世界的なベストセラーとなった。


タンは2015年にグーグルを退社し、「サーチ・インサイド・ユアセルフ・リーダーシップ・インスティチュート(SIYLI)」を設立。現在は、企業研修などを通じてマインドフルネスの普及活動を行っている。SIYのプログラムは、一般社団法人「マインドフルリーダーシップインスティテュート」によって、日本でも開催されている。


タンに言わせれば「幸せとは、トレーニングで身につけることができるスキル」であり、その具体的な手段がマインドフルネス、SIYなのだという。



……それって要するに「マインドフルネスさえやれば、誰でもハッピーになれる」っていうことですよね?


そういう話を聞いた瞬間、反射的に眉に唾をつけるのが、新聞記者生活27年、自他共に認めるすれっからしのオヤジ記者としての基本動作だ。だが、心の奥底からは「そんなうまい話が本当にあるなら、是非ともあやかりたい」という、身も蓋もないささやきも聞こえてくる。そうでなければ、あちこちガタの来つつある体をエコノミークラスのシートに押し込んで、時差ボケに苦しみつつ、西海岸までやってくるわけがないではないか。


そこで今回は、オヤジ記者最大の強みである「図々しさ」をフル稼働させつつ、ウィズダム2.0に参加中のタン本人を直撃した。「マインドフルネスって何?」「マインドフルネスって、本当に効くの?」



――マインドフルネスをやれば、52歳の僕でも「タラレバ思考」とおさらばできるんですか?


「もちろんできるさ。始めるのに遅すぎる、ってことは決してないよ。ちょっと実験してみようか。所要時間はたったの10秒。一回息を吸って吐くまでの間、自分のすべての注意力を、自分自身の呼吸を向けてみて」


(……約10秒経過。みなさんもやってみてください)


「どう? 気分が前よりも落ち着いたでしょう」


――うーん。ちょっとだけ……。


「これがすでにマインドフルネスの実践なんだ。たった10秒で効果が上がる理由は二つ。一つは生理的なものさ。呼吸に注意を向ければ、自然に呼吸が深くゆっくりとなる。それによって副交感神経が刺激され、リラックスできるんだ」


「もう一つは、よりパワフルな理由だ。君が後悔するには、自分の心を『過去』に飛ばす必要があるし、不安を感じるためには、心を『未来』に向けなければならない。だけど、君自身の呼吸は『今、ここ』で起こっていることで、過去も未来も関係ない。だから、君は後悔や不安から解放されて、落ち着きを取り戻せるってわけさ」


「もちろん、この落ち着きは一呼吸限りの一時的なものに過ぎない。だから、日々の生活でも落ち着いて過ごせるようになるためには、『今、ここにいる』ために多くの練習が必要になるんだ」


――ちょっとした不安や後悔については、深呼吸を繰り返せば何とかなる。それぐらいは僕だって知っていますよ。だけど、僕が悩まされている「タラレバ思考」は、そんなに生やさしいものじゃない。繰り返し発作が襲ってくる中毒症状みたいなものなんです。それも変えられるっていうんですか?


「そうだよ。練習すればするほど、より多くの安心を、努力なしに得られるようになる。心が過去や未来にさまよい出そうになったら、その都度注意を呼吸に戻せばいい。それを一回やるごとに、君の脳の注意力は鍛えられる。筋力トレーニングで、一回ダンベルを上げるようなものさ。やればやるほど君の脳は強化され、現在にとどまり続ける能力は高まることになる」


――僕を苦しめている「タラレバ思考」の一つは、「色々と取材してもおもしろい事実が集まらなくて、ひどい記事を書いてしまったらどうしよう?」という不安なんですけど。


「不安などのネガティブな感情をコントロールするには、三つのステップがある。第一は、これまでにも話してきたやり方で、心を落ち着けることだ。1秒で済むこともあれば、数分かかることもあるけど、訓練を重ねれば誰でも確実に落ち着くことができるようになるよ」


「そして第二のステップは、落ち着いた上で、ネガティブな感情それ自体をていねいに観察することだ。もしも君が川で溺れている最中に、川を見ることができたとしたら、君はすでに川から顔を出していることになる。それと同じように、君が自分の感情を自分で観察できるとしたら、それはすでに、感情に完全に巻き込まれた状態からは抜け出しているんだよ」


「感情を観察するのに有効な方法は、自分の顔や首、肩、背中など様々な部位について、凝りや痛み、圧迫感など、どのような身体感覚を抱いているか、自覚してみることだ。感情とは心よりもまず、体で感じるものだからね」


――じゃあ、不安を感じている時にはどんな身体感覚があるんですか。


「人によって違うね。でも、君の場合は顔のこのあたり(額から目元の付近)に緊張があるように感じるな」


――タンさんには、僕の顔は緊張しているように見えるんですね(そう言われれば、眉と眉の間にヒクヒクした感じがあるような気も……)。


「ちょっとだけね(笑)」

「話を戻せば、感情をコントロールするための第三のステップは、ネガティブな感情を引き起こした状況それ自体を捉え直すことだ。例えば君の場合だと、取材して記事を書くことを、ストレスの源ではなく、自分の成長の機会と捉え直す、とかね」


――僕にとって問題なのは、将来の自分の成長じゃなくて、「とにかく次の記事で、ドジを踏まないですむか」ということだけなんですけど。


「じゃあ、僕自身の話をしよう。実は僕も人前で話をする時にはいつも、『失敗してすべてを台無しにしてしまいやしないか』と恐れているんだ。だけどある時、親友が僕にこう聞いてきた。『僕はエンジニアだから、データに基づいて判断する。君自身についての過去のデータを見せてみろよ。君が最後にすべてを台無しにしてしまったのは、一体いつのことだい?』とね」


「僕は、自分の過去を振り返ってみて、こう答えた。『一度もない』とね。それで友人は即座に『君が抱いている感情には根拠がない』って結論づけたわけ」


「これが状況を捉え直すってことさ。事実に基づいて冷静に考えることで、自分の感情を相対化するんだ。これって、君の場合にもあてはまるんじゃないの? 一体、君が本当にとんでもない記事を書いてしまったことがあるのかい? 本当は、いつもそこそこ読める記事を書いてきたんじゃない?」


――うーん。そう言われればまあ、本当に箸にも棒にもかからないような記事は、あんまり書いたことがないような……。妻にはいつも「またムダな心配をしている」って笑われているからなあ。


「そう。大切なのは、いつも三つのステップを踏むことだよ。落ち着くこと、観察すること、そして考えること。それだけさ」


何やら、タンの明晰な頭脳と巧みな話術でやり込められてしまった気もするけれど、ここまで言われればマインドフルネス、実際にやってみないわけにはいかないでしょう!

 

というわけで、サンフランシスコの次はタイのバンコクに。明日からタイ東北部のチャイヤプーム県にあるスカトー寺に滞在し、まるまる一週間「瞑想修行」を体験する。マインドフルネスのルーツは、東南アジアに伝わる「上座部仏教」の教えにあるとされているからだ。


そして上座仏教は、ブッダが2600年前に創始した「原始仏教」にも近いとされる。


「型から入る」という言葉もあるので、このように現地で衣装も調達した。「より本格的な修行で自分自身のバージョンアップを果たそう」という魂胆だが、本当に修行が進み過ぎて、一週間後に自分が「出家したい」とか言い出したら、どうしよう……。


(太田啓之)

(文中敬称略)


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