生まれつき目が見えず、知的障害を伴う自閉症がある一方で、一度聴けばどんな曲でも再現できるピアニストがいる。山口県光市の礒村靖幸さん(35)。覚えた曲は何年たっても忘れないといい、学校などで地道な演奏活動を続けている。
礒村さんに記者の知人が作った未発表曲を聴いてもらった。ギターやキーボードによる4分半の曲。コンポの前で正座し、時折指を動かしたり、スピーカーに手を当てたり。曲が終わるとピアノに向かい、正確に再現した。
複雑な話のやりとりが難しく、中学1年で自閉症と診断された。先天的な脳の機能障害が原因とされるが、曲の再現のほかに、過去60年ほどの年月日の曜日を言い当てる特技もある。
放射線医学総合研究所の高畑圭輔・博士研究員(精神医学)によると、自閉症や知的障害がある一方、特定の分野に天才的な能力を発揮する「サバン(フランス語で『賢人』の意)症候群」の可能性が高いという。報告例は少なく、世界でも現在100人に満たないといわれる。
両親は目の見えないわが子の発育に役立つように、幼少時から繰り返しクラシック音楽を聴かせた。幼稚園から盲学校で寮生活を始め、間もなくそれまで聴いていたクラシック音楽を、教えられたわけでもないのに弾くようになった。小学3年の音楽会ではレパートリーにない映画音楽を披露。直前にブラスバンド部が演奏した曲で、会場を驚かせた。
その後もテレビやラジオで聴いた曲を習得。曲名を伝えれば弾くことができるレパートリーは1万曲以上。二つの曲を同時に聴き、それぞれ奏でることもできる。
自宅の理容室を手伝いつつ、朝と昼に1時間ずつピアノに向かう。1998年に全国心身障害者芸能コンクールで最優秀賞を受賞。県内の学校や団体に招かれて演奏する。母の孝子さんは「演奏で拍手をもらったときが、何よりうれしそう」と言う。
■優れた能力 理由はまだ謎
高畑さんによると、サバン症候群は、一度見た風景を写真のように細部まで正確に描写▽1万冊近い本を暗記▽3桁の整数の3乗を瞬時に暗算――といった事例が報告されているという。
1887年、英国のダウン医師がこうしたケースを「イディオ・サバン」と名付けた。米アカデミー賞を受賞した映画「レインマン」で広く知られるようになり、昨春放映のTBS系ドラマ「ATARU」でSMAPの中居正広さんが天才的な記憶力を持つ主人公を演じ、話題になった。
しかし「なぜ優れた能力を発揮できるのかは、解明できていない」(高畑さん)という。
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〈取材ノート〉
満面の笑みを浮かべ、楽しそうに演奏する礒村さん。その様子、その指先からこぼれるメロディーに涙が出た。ご両親は礒村さんの音楽への関心を大切にしてきた。
中学2年の私の長男にも自閉症スペクトラム障害がある。興味や関心が偏っており、今は昆虫が大好きで、イラストをよく描く。礒村さんのような才能はないが、好きなことが本人の自信や暮らしの潤いにつながるのであれば、大事に伸ばしてあげたい。
(太田康夫)
(2013年4月18日掲載)