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巡礼と観光編③遍路の定番「白衣」の知られざる事実

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掛け軸に御朱印を集める白衣のお遍路=8月、愛媛県今治市の仙遊寺、村山祐介撮影

流行が生まれ、時を経てやがて定番になる。約1200年の歴史を積み重ねてきた四国遍路もその例外ではない。

いまやお遍路の大半が着る「白衣」。私も袖を通すたびに、自分が中世の巡礼者になったような、コスプレ的な喜びをひそかに味わってきた。だが、遍路の歴史を知ろうと訪ねた愛媛大の四国遍路・世界の巡礼研究センターで、勝手な思い込みだったことを知らされた。

「最近の研究の成果で、広く定着したのは戦後からだったことが分かりました。団体旅行の一種のユニホームでしょうな」とセンター長の寺内浩(61)。いまでは誰もが唱える般若心経も、読まれ始めたのは明治以降という。「遍路はこれまで学問的に研究されてこなかったので、分からないことばかりなんですよ」

意外に最近だった「白衣」の定番化


私ははしごを外されたような気持ちになった。自分の目で確かめようと、四国遍路の団体バスツアーの草分け、伊予鉄トラベル(松山市)に向かった。
順拝部次長の和田学(47)が当時の写真をまとめた古いアルバムを見せてくれた。白黒の集合写真を年代順にたどると、初めて遍路ツアーを催行した1953年は参加者30人のうち、白衣は1人だけ。57年までは1~2割だが、58年には約9割になっていた。「このころから定着したようです」と和田。参加者には今、白衣と金剛杖、輪袈裟(わげさ)の3点をそろえるよう勧めている。

巡礼に詳しい立教大観光学部准教授(文化人類学)の門田岳久(38)は、「バスや旅行会社が巡礼の持ち物や服装、お経のあげ方といった知識やルールを示すことで、巡礼が画一化、標準化されていく契機になった」と分析する。

バスツアーで大衆化


バスツアーは、明治時代から苦難続きだった札所ににぎわいを取り戻す原動力にもなった。

庶民に人気が広がった江戸時代とは対照的に、明治時代には廃仏毀釈で多くの札所で建物が壊された。戦後は国民生活の困窮で、札所に1日数人しか遍路が来ない時期もあったという。58番札所の仙遊寺(愛媛県今治市)副住職、小山田弘憲(36)は「貧乏で寺だけでは食べていけないから、先代、先々代の時代はどこも教員とか保育園とか別の仕事をしながら細々と札所を守ってきた」と話す。

1台で40人ものお遍路を運ぶバスツアーの登場で、体力に自信のない高齢者まで裾野が広がった。生活に余裕ができてレジャーを求め始めた時代のニーズにはまり、テレビや雑誌などのメディアで取り上げられて認知度も高まった。伊予鉄はピークの1984年には年約1千台を運行したという。

その後、カーナビの普及も手伝ってマイカー利用者が大きく増え、健康志向や自分の内面を見つめ直す機運の高まりから歩き遍路も復活するなど多様化が進む。

御朱印でうまった納経帳=8月、香川県さぬき市の大窪寺、村山祐介撮影

各札所でつくる四国八十八ケ所霊場会は、年間の遍路者数を約15万人と推計する。お遍路が必ず求める御朱印は納経帳なら300円、掛け軸で500円。仮に年10万人が納経帳への御朱印を求めたら、売り上げは3千万円になる計算だ。札所運営の安定につながっている。

一方、観光化とともに精神性が薄まることへの苦言もある。ある僧侶はいう。「お経を唱えず、参拝記念のスタンプのように御朱印を求めるお遍路が多すぎる。とりあえず集めようというだけであれば、ポケモンと一緒です」