カラダの悲鳴、ココロの噴火/サラとミハエラの場合
デンマーク人の専門学校生サラ・ツン(23)の場合、煮え切らない心と頭を突き動かしたのは、体の悲鳴だった。
「人生の意味や生きがいのような知的な思索にひたろうと思ってたの。でも、実際の頭の中は足のまめとか、残りの距離とか、どうでもいいことばっかり」
笑顔を見せたり顔をしかめたり。話し好きで社交的な性格が全身からにじみ出るタイプだ。ただ、巡礼に出たのは、そんな社交的すぎる自分に疲れていたからなのだという。人の誘いを断れず、さりとて一人でいることにも耐えられない。自分としっかり向き合おうと、スマホの電源を切って歩き始めた。
でも結局、親しくなった巡礼者たちと一緒に行動を共にしてしまう。ひどく足が痛んだ翌日も、2人から「星空の下を歩こう」と誘われて午前4時に出発。2時間後、カリオンデ・ロス・コンデスに着いた時点で、足はもう限界だった。それなのに、弱音を吐きたくないという見えも邪魔して、誘われるまま次の村まで宿も何もない17キロの区間を歩き出してしまった。
自分にむち打って、やっとたどり着いたカフェで休んでいると、2人が遅れて着いた。「さあ、あと6キロ。次の町まで行こう!」とはやし立てられた。
「もちろん!」。いつものノリで相づちをうった直後、口から出たのは逆の言葉だった。「行けるなら行きたいけど、このままじゃ足がダメになっちゃう」。カラダの悲鳴が口をついていた。そして気づいた。「あっ、私、断れた」
どんなときでも社交的であり続ける必要はないし、自分の意思で決めればいい。「ノーと言えたのは、私にとってとても大事な、小さな一歩だった」
このカリオンから先の17キロは、麦畑が広がる平原にまっすぐな砂利道が延々と続く単調な区間だ。巡礼者もまばらで、意識は自然と自分の内面に向かいがちになる。私がひまわりに強く心を揺さぶられたのも、この区間だった。
その先の道中で、険しい顔で歩いていたルーマニア人女性のプレゼン講師ミハエラ・アペトレイ(44)に声をかけた。何を考えて歩いていたのか尋ねると、せきを切ったように話し始めた。
「昨日までは毎日、体の痛みとたたかってきた。今日は道が平らで楽になった分、痛みが心に移ってしまったようで、とても苦しかった」
いろいろな悩みが去来して、最後に残ったのが先送りしてきた決断だった。
小説家になる夢を諦めきれず、3年で2冊書き上げたが、世に問う勇気が持てずにお蔵入りさせていた。見向きもされなかったらどうしよう。単調な道でそんな尻ごみを繰り返しながら歩いているうち、心の中で「火山が噴火して、積もっていた溶岩を吹き飛ばした」という。
私がビデオカメラを向けると、ミハエラはこう宣言して4回うなずいた。「自分がいい作品だと信じているなら公表すべきなんです。だから私は公表します」