色彩を持たないトビアスと、彼の巡礼の年/トビアスの場合
「ジグソーパズルの最後の一片がはまったような感覚でした」
聖地まで歩いて4時間ほどの村アメナル。大学2年のドイツ人トビアス・シェーフェル(20)はカフェで、道中に体験した「強烈な瞬間」を振り返った。
話は8年前までさかのぼる。
成績優秀で、12歳で飛び級した直後から、いじめを受けた。誰も口をきいてくれず、学校にいる間はいつも一人きりだった。「僕は深く傷ついて、もうこれ以上傷つかないですむよう、自分自身と感情の間に壁をつくったんです」
16歳になって、何かおかしい、と気づいた。怒りや愛情、失望。ずっと「壁」の奥に隠れてきたことで、あらゆる感情を持てなくなっていた。自分に自信も持てなかった。「感情が死んでしまって、色彩のない世界を生きていました」
そんなとき、巡礼から戻った友人の話にひきつけられた。ただ歩いて考える。自分が必要なのはこれだと思った。
仏南部から歩き始めて16日目。聖地までの中間点、カリオン・デ・ロス・コンデスの先の台地を歩いているとき、どこまでも歩けるような気がした。一緒に歩いていた巡礼者たちを置いて、1人でペースを上げた。体の痛みは感じなくなっていた。「自分は何者か」「人生のゴールは何か」。ずっと自分に投げかけてきたいくつもの問いを考え続けた。
2時間が過ぎたとき、強烈な感覚に襲われた。感情と心と体がそれぞれ、あるべき場所に収まり、再びきちんとつながった感じだった。「壁」は完全に壊れ、もう隠れている必要はないと思った。画面に吹き出しがポップアップするように、人生への問いの答えも一斉に浮かんだ。
そこまで聞いて、私はちょっと引っかかった。自分が何者かなんて、40過ぎの私だって答えに詰まってしまう。
「それで結局、君は何者だったの? 人生のゴールって何だったの?」
品定めするような、意地悪な聞き方になってしまったことをすぐ悔やんだ。
「僕はトビアス、20歳です。これが僕なんです。どう表現すればいいのか難しいんですが、自分が誰なのかという感覚がまさに分かったんです」
トビアスはひるまず続けた。
「学業を終えて、就職もしたい。そのあと結婚したい。できれば立派な家を建てて、車も欲しい。幸せな生活をして、願わくば子供も欲しいし……」
目覚めた青年の大志といった物語を勝手に期待していた私は少し拍子抜けしてしまったが、トビアスの口調に迷いはなかった。見せてくれた日記には、そんな問いと答えが、きちょうめんな字でびっちり箇条書きされていた。
「壁」が壊れてからは歩くことが楽しくて仕方なくなり、連日30キロ、歩き続けた。1週間が過ぎたとき、急に家族や友人に会いたくなって、電話をかけまくったという。
もう巡礼を終えて、日常に戻る準備が整ったよ。そんな「感情」からのサインだったのかもしれない。