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在宅介護の限界を広げた自動排泄処理ロボットの使い方

LifeStyle 更新日: 公開日:
甲州優さんとマインレット爽のデモ機 photo:Hamada Yotaro

Q:お母様を在宅で介護するまでの経緯を教えてください。
甲州:2006年春に、当時72歳だった母が脳出血で倒れました。4歳年下の父と名古屋の実家で暮らしていた時のことです。一人娘の私は、埼玉から毎週末、2歳と小学生の子どもを連れて、入院中の母を見舞いました。病院での母の様子を見ていて、「在宅でみたい」という気持ちが強まったのです。

Q:なぜですか?
甲州:寝たきりになる前は綺麗好きで着物を着こなし、髪も結い上げてきちんとしていた母が、お風呂も入れてもらえず皮膚は粉を吹き、髪もボサボサになり鼻汁もこびりついている。居たたまれない気持ちになりました。

Q:介護施設や老人ホームなどへの入居は考えなかったのですか。
甲州:気管切開で人工呼吸器をつけ、たんの吸引が必要。胃ろうによる経管栄養という、いわゆる「医療度の高い」状態です。そんな母を、受け入れられる施設はほとんどありません。

ようやく見つけたところは、入居一時金が最低でも1千万円、月々の費用が25万円でした。しかも、埼玉の自宅近くに呼び寄せたとしても私の自宅から車で1時間。私が月々の入居費用のため働けば、母に会いに行く時間もなくなります。そんな事情もあり、断念しました。

Q:では、どうやって介護したのでしょうか。
甲州:ちょうどその時、自宅から徒歩1分ほどのアパートに空き部屋が見つかったので、思い切って父母を呼びました。ただ、在宅介護を支える体制を整えるまでが一苦労でした。当時は24時間対応の訪問看護や在宅医療のサービスは少なく、ケアマネジャーにも10人くらい断られた末、ようやく看護師出身のケアマネにケアプラン作成を頼むことができました。

Q:どのような方針で在宅介護にのぞむことにしたのですか?
甲州:母の介護生活は長くなると予想されました。精いっぱいの介護をするためには、家族介護者の健康と生活を守る体制が必要だと考えました。夜はなるべく寝て、休息をとる。そのためには、使える制度や道具は何でも使うと。ただ、難病患者向けの負担軽減策も使えず、経済的な不安はありました。脳卒中患者の生命予後を調べて、貯金をどのくらいのペースで取り崩すのかを計算しました。

Q:具体的にどのような介護が必要だったのでしょうか?
甲州:在宅ケアで必要なのは、たんの吸引、食事、排泄、体位変換です。たんの吸引は日中の多い時で1時間に1回、夜間帯で2-3時間に1回。胃ろうによる食事は1日3回。介護保険を限度額まで使ってヘルパーを頼み、全額自費で家政婦さんも雇って頼めることはやってもらいました。介護保険でレンタルできる用具の中に、体位変換機能付きのエアーマットがあったので、それも利用しました。

Q:自動排泄処理ロボットは、どうやって見つけたのですか?
甲州:両親を呼び寄せる前、在宅介護に役立つ道具を探しに、東京ビックサイトで開かれた福祉機器展に行きました。そこで、自動排泄処理ロボットのパンフレットを見つけ、モニター募集と書いてあったのですぐ連絡してモニターになりました。両親が引っ越してきた時には、機器のセットはできていました。

Q:どのような使い方をしたのですか?
甲州:家族が眠れるように、夜間帯に使いました。夕方あるいは夜に装着すれば朝までの間は、排泄物を自動で処理し、陰部の洗浄と乾燥をしてくれますので、オムツ交換は必要なくなります。

Q:介護負担はどう軽減されたのでしょうか。
甲州: 母は尿便ともに、本人がコントロールできない失禁状態でした。一度、調整が必要になって数週間、装置が使えなくなったことがありました。その時、あらためて分かったのですが、自分が眠いときにオムツを交換するのは、とてもつらい。1人でやると、片付けまで含めて15-20分はかかります。一晩に1回ならまだしも、2回となると……。睡眠の質が格段に落ちます。自分が行きたくてトイレに行くのとは、わけが違うのです。
たんの吸引も必要ですが、数分で済みます。夜のオムツ交換までやっていたら、私も父も体力がもたなかったかもしれません。
排便は、ヘルパーさんが来ている時にするとは限りません。一緒にいると臭いで気づきますから、オムツを開けます。そこに便があったら、見なかったことにはできません。いまオムツ交換が必要なのにヘルパーはいない。だから自分でやる……。これが、全国の在宅介護をしているご家庭で起きていることではないでしょうか。

Q:7年間の在宅介護を振り返って、いま何を感じますか?
甲州: 介護のスケジュールを最優先に考える7年間でした。お風呂は何曜日、何時からヘルパーが来るといったことを考えながら、自分が安心して外出できる時間帯を見極めるのです。

母が亡くなったころ、ちょうど「東京オリンピックが7年後に開かれる」というニュースが流れました。そのとき、「あと7年、あの生活が続くとしたらすごくきついなあ」と思ったのが正直なところです。

(聞き手・GLOBE編集部 浜田陽太郎)



甲州優(こうしゅう・ゆう)

1967年生まれ。看護学校卒業後、脊損専門病棟・骨運動器・内科病棟で臨床経験を積み、その後専任看護教員を10年。退職後は非常勤講師として学生に講義をするかたわら、非常勤で訪問看護師を行う。現在、メッセンジャーナース(医療の受け手と担い手の架け橋になる看護師)認定協会事務局員。