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マグロ取材を通して考えたこと 依光隆明

World Now 更新日: 公開日:
マグロは売り場の目立つところに置かれることが多い=岩堀滋撮影

産卵地が消える?

クロマグロを調べ始めたきっかけは、そんな話を聞いたことだった。

1年前、東京の都心で開かれた小さな勉強会に長崎・壱岐島から2人の漁師がきていた。彼らがそこで訴えていたのが、「このままでは産卵地が消える」。日本海がクロマグロの産卵地なのだが、そこが風前の灯になっているという話だった。産卵に集まったクロマグロを巻き網船が一網打尽にしている、と訴えていた。

環境保護の目が厳しくなっているこの21世紀にまさかそんなことが。そう思いながら調べ始めると、調べはやがて止まらなくなった。奥が深いといえばいいか、漁師の思いに企業の思惑、国の考え、果ては外国の動きも絡んで一筋縄ではいかない世界が見えた。

一筋縄ではいかないということは、簡単には結論が出ないということでもある。考えなければならない問題は、少なくとも3つあるように思う。①胃袋を満たす問題②漁業者の取り分③野性をどう見るか――。

①国民の胃袋を満たすために国は国際交渉をし、養殖技術にてこ入れし、資源が枯渇しないぎりぎりまで漁獲量を確保しようとする。資源量と漁獲量のせめぎ合いを、お役所的な言葉にすると「資源管理」になるだろう。国としては可能なぎりぎりまで獲らせたいが、海の資源量はつかみにくい。諸外国の思惑もある。②の問題がこれに絡む。

②漁業者の問題をざっくり分けると巻き網企業VS一本釣り漁師となる。企業にとっては利益を上げることが善であり、獲っていいのなら獲るのは当たり前。対する零細漁師は巻き網が獲り尽くすからマグロが減る、と憤る。昔から漁業を生業としてきたのに、このままでは廃業だ、と。この問題の行き着く先は規制の中身になる。水産行政として、マグロの獲り分をどう分配するかという問題だ。当然、簡単には結論は出ない。

③野性という表現は適当ではないかもしれないが、個人的にはこの表現を使いたい。天然のクロマグロは野生動物だと思う。だからこそ漁師はクロマグロに畏敬の念を持っている。しかし野生のクロマグロが魅力的であればあるほど、人が飼いならすのは難しい。胃袋を賄うためには野性を削る必要がある。野性を削り、胃袋を賄うのに適したマグロを作る。それを国が先頭に立って進めている。しかし待てよ、と思う。野生動物であるからこそクロマグロは魅力的ではないのか。家畜化したクロマグロが野生のクロマグロと交配したりする危険はないのだろうか。これも話は単純ではない。

江戸時代、クジラといえば背美鯨(セミクジラ)だった。絵に描かれた鯨のほとんどは背美鯨であり、1頭獲れば七浦が潤うとも言われたらしい。でっぷり太って肉はたくさんあり、しかも美味だった。肉ばかりではない。ひげも油も骨も、余すことなく使われた。

あまりにも人間に好まれたがゆえに獲られ続け、西洋型の捕鯨がとどめを刺した形となって背美鯨は人の前から消えた。絶滅には至っていないが、今や姿を見せただけでニュースになるほど数は少ない。

クロマグロが背美鯨になる可能性はないのだろうか。回転寿司に行ってもマグロがあるし、スーパーにも刺し身がたくさんある。もちろん居酒屋にもあるし、刺し身の盛り合わせではマグロが王者のごとく自己主張している。しかし当たり前のようにあることが、いつまでもあり続けることを意味しているわけではない。

そうそう、冒頭の疑問に話を戻さないといけない。このままでは日本海の産卵地は消滅するのだろうか。「分からない」と言うほかない。大事なのは産卵地がなくなるかどうかではなく、産卵地がなくならないように心がけることかもしれない。産卵地のことに目を向ける人がたくさんいれば、いつの間にか消滅していたということにはならないだろう。

マグロを食べるとき、これは野生のマグロかな、なにマグロかな、どこで獲れたのかな、どうやって獲ったのかな、と思う。つまり生きているときの姿に少し思いをはせるだけでマグロの未来がちょっとだけ明るくなるような気がする。
(依光隆明)