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大学ってなんだ?

大学はなんのためにあるのか/オックスフォード大・苅谷剛彦教授インタビュー








大学は何のためにあるのか。日本の大学が直面する課題はなにか。元東京大学教授で、現在、オックスフォード大学社会学科および現代日本研究所教授を務める苅谷剛彦さん(現代日本社会論・教育社会学)に聞いた。 (聞き手・後藤絵里)




――大学は何のためにあるのでしょうか。

photo:Goto Eri

近代国家の発展のためにつくられた日本の大学と、王権や教会の権威から独立し、自由な精神を育むために自然に生まれ発達した欧州の「University」では、大学という言葉が意味する概念も違います。


ここオックスフォードでは、市民社会の誕生と大学の発展が相互に影響し合いながら進んできた歴史がある。役に立つ「実学」という概念の登場はずっと後になるわけです。


そうした経緯から生まれたため、数世紀にわたり、大学は時の権威から独立したコミュニティーの中で自由な精神を持つ特権的知識層、言い換えれば、市民社会の形成を担う知的エリートを育てる役割を果たしてきました。彼らは学問を通じて自由な精神を身につけ、社会を変えていく原動力となったのです。もっとも、当時は英国人男性しか、その資格を満たさなかったのですが。


――なぜ学問によって精神が自由になるのですか。


たとえば、伝統的な指導法であるチュートリアル。教師と学生とがほぼ一対一で向き合い、書物や文献について対話を通じて思索を深めていく。オックスフォードでは、学生や教員の専門分野を聞くときに「あなたは何を読んでいますか?」と尋ねます。学問の基本に「読む」ことが前提としてあるからです。


批判的に読まなければ、それについての論文も書けません。膨大な文献を読み、分析して自分の論を打ち立てるという訓練を積み重ねるうちに精神は自由になっていく。それが何百年も続くオックスフォード教育の伝統であり、この大学の根幹です。時代は変わっても、この根幹を変える必要はないのです。


――いわゆるエリート教育でしょうか。


確かにこれほど恵まれた環境で勉強できるのは才能や富に恵まれた一部の特権的知識層だけでした。英国の社会は、そうした特権的市民がノブレスオブリージュとしてリベラルな社会を形成・維持してきたことを理解し、彼らの存在を認めてきました。もちろん、庶民の間にエリートに対する反発があるのもまた事実ですが。


――大学をめぐるグローバルな競争をどうごらんになりますか。


いま起きているのは英語圏を中心に、世界中の大学が、世界中からお金や学生を集めてくる競争です。たとえば、私が所属するニッサン現代日本研究所は1980年代に日産自動車による寄付で設立されました。現在はその寄付をもとにした基金の利子収入で主に運営されています。オックスフォードは英国の企業にのみ依存する必要はないのです。残念ながら、日本の大学はこの競争にまともに参加できていない。


――大学としての歴史が浅いからでしょうか。


歴史と伝統だけではトップクラスの座を維持することはできません。英語圏の大学であるという強みはありますが、優秀な卒業生を継続して世に送り出し、世界的な評価を得るには、教育や研究の質を維持する不断の努力が必要です。そのための仕組みがチュートリアルやカレッジという手厚い教育システムですが、この高価で豊かな仕組みを維持するにはたいへんお金がかかる。それを支えるのが卒業生や企業からの莫大な寄付金です。寄付に値する教育だと認めてもらうため、大学は世界が自分たちに何を求めているかにつねにアンテナを張っている。私がここにいるのも象徴的です。世界中から学生を連れてくるためには、教師もまた、世界中から連れてくるわけです。


――米国、日本、英国と3つの国で大学教育に携わってきた教授からみて、日本の大学の課題は何でしょうか。


日本の大学はこれまで、あまり教えることに重きをおいてこなかったと思います。過酷な大学入試をくぐり抜けることで、学生の一定の基礎学力は保証され、入学後に大学から学生にかける勉強の負荷も少ない。大学の4年間は社会に出る前のモラトリアム期間で、社会に出てもう一度学び直すのが日本のやり方です


最近はグローバル化の波に押され、国も大学も競争を意識するようになり、政府も資源の重点配分に取り組んでいます。以前のように、何も改革努力をしないところにも均等に助成された時代よりは、ましですが、残念ながらこの仕組みは先生も学生も社会も幸せにしない。使命感や情熱がある先生たちの努力で資金を獲得しても、それで大学全体が動くわけではないからです。何がおこるかといえば、手を挙げた人たちは通常の仕事にさらに仕事が上乗せされ、激務の末に燃え尽きてしまう。給与面でも彼らをもっと優遇するとか、時間を自由に管理させるといった支援体制がないと、競争に参加しても疲弊するだけです。


一方で、企業には新人を一から育てる余裕はない。大学を出て得られる仕事の数も減った。それでも高卒よりはと、家庭は必死で教育資金を工面する。税金が介在しないので、これだけ経済が悪くなっても大学教育は政治問題にならず、仕組みは変わらずにきた。


日本の大学はいまこそ、グローバル競争という言葉に踊らされず、自分たちの強みをきちんと分析し、地に足をつけた議論をすべきです。志を持って取り組んでいる教育者が元気になれる仕組みづくりは、大学の質の向上をもたらし、学生にとっても社会にとっても有益な結果を生み出すはずです。




かりや・たけひこ

1955年、東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了、米国ノースウエスタン大学大学院博士課程修了(社会学)。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、2008年から現職。セント・アントニーズ・カレッジフェロー。著書に「教育の世紀」「階層化日本と教育危機」「教育と平等」など多数。近著に「イギリスの大学・ニッポンの大学」(中公新書ラクレ)。










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