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ロシアのゲイに聞いた 「この国に自由はあるのか」(ロシアの謎)

World Now 更新日: 公開日:
2015年、サンクトペテルブルクでLGBTのデモが禁止されたことに抗議する女性 photo: Aleksei Nazarov

「プーチンを支持するゲイ」という皮肉を演じる

 モスクワの金曜の夜。酔ってはしゃぐ若者たちの横で、サーシャ(31)はひとり静かにバーカウンターでコーラを飲んでいた。ここは、同性愛者らが集まるクラブの一つ。「ここに来ると、優しい人ばかりで安心するんだ」

 仕事は鉄道関係という以上話さない。職場にはゲイであることは隠している。「知られたらクビになるか、退職に追い込まれる」

 ロシアでLGBT(性的少数者)であることは、生きづらいだけでなく、危険でもある。SNSでゲイを装って誘い出して監禁・虐待し、その様子を撮ってSNSで堂々と公開までする。LGBT反対派のページには「家族を崩壊させる犯罪だ」「我々の価値観は西欧とは違う」との言葉が躍る。

 ロシアの独立系世論調査機関レバダ・センターが昨年末に実施した調査で同性愛を「非難すべきだ」と答えた人は83%。10年前の76%、20年前の68%から右肩上がりに増えている。

 流れを加速させたのが、2013年に成立した、公の場で未成年者への「非伝統的な性的指向」の宣伝を禁ずる「同性愛宣伝禁止法」だ。社会学者アレクサンドル・コンダコフは「もともと知識がないところに、LGBTを辱める国の方針が加わり『自分はLGBTが嫌いだ』と人々が考えるようになった」と分析する。

 逆手にとったキャンペーン 

それでも、多様性のシンボル「レインボーフラッグ」を掲げる人たちはいる。サンクトペテルブルクのアレクセイ・ナザロフ(40)とアレクセイ・セルゲーエフ(38)もそうだ。だが、目をひくパフォーマンスをしても、メディアの反応はさっぱりだった。

 そこで、今年3月の大統領選前に、皮肉を込めて始めたキャンペーンが「ゲイ・フォー・プーチン(大統領を支持するゲイの会)」だ。Tシャツには肖像の下にレインボーと「我らがプーチン」の文字。「大統領支持を表明する活動さえできないとは言わせない」

「ゲイ・フォー・プーチン」のキャンペーンでつくったTシャツ。プーチン大統領の肖像の下にレインボーフラッグと「我らがプーチン」などの文字がある Photo: Asakura Takuya

 デモ自体は市当局の許可が下りなかったが、キャンペーンは「成功」だった。多くのメディアで取り上げられたのだ。「主要メディアが、運動を真に受けて報道し、他のメディアも追いかけた」とセルゲーエフは笑う。「(真意に)気づいたメディアは、後から記事を削除したけど、『時すでに遅し』だ」

 セルゲーエフは街頭活動ですでに4度、逮捕された。警備会社の職も失った。そんなリスクを冒し、なぜ声を上げるのか。「怖いけど、もうやめられない」。やはり逮捕歴があるナザロフは言う。「これはLGBTだけではなく、すべての人にとっての自由のためだから」

 ソ連崩壊で得た自由。だが、ここ数年で締め付けが徐々に強まり、2014年のクリミア併合のころにほぼ失われた。2人はそう感じている。「国際社会と対立し、国内の異論は封じなければならなくなったのだろう」とナザロフ。ただ、その変化を感じている人は多くない。「欧米流」の押しつけに反発し、強い指導者による独自の民主主義を唱えるロシア。「自分たちは西側から不当に攻撃されており、強い大統領が必要だ」と考えて本当にプーチンを支持する人は、実は、LGBTの間でも少なくないという。「多くの国民は、自分たちには、自由も、民主主義もあると思っているんだ。実際に、政治や社会に関わろうとしない限りはね」

 ロシアは自由だと思いますか? モスクワの繁華街で聞いてみた。デパートの前でビールを片手にたばこを吸っていた男性(33)は「大通りでこんなこともできるし、自由なんじゃないか。ゲイ? 自分には関係ないね」

この取材を終えて日本に帰ると、アレクセイ・ナザロフからある動画が届いた。続きの話は、こちらで。(浅倉拓也)

自由=混乱の記憶、いつまで 駒木明義(論説委員)

「外出時は、手提げ袋を忘れずに。たまごを見かけたら、必ず買っておいて」

ソ連崩壊から3年後の1994年。モスクワ留学中だった私は、ホームステイ先のご主人からこう言い渡されていた。

物価が1年で3倍に上がるインフレのなかで、警察は腐敗し、凶悪犯罪が横行。多くの家ではなけなしの金をはたいて玄関を鉄製の二重扉にとりかえ、来訪者があるたびに身を震わせていた。

高層ビルを背景に高級車が並ぶ本号の表紙のようなモスクワの光景には、隔世の感を覚える。一方で失われてしまったものもある。例えば、政権に目を光らせるメディアや議会。当時のテレビは、チェチェン戦争で新兵が無残に殺されていく様子を生々しく伝えていた。今のロシアでは、ウクライナやシリアについて、こうした報道は考えられない。

ソ連時代には想像もできなかったような自由をもたらしたのは、ロシアの初代大統領エリツィンだ。ソ連最後の指導者ゴルバチョフはそれに先だって「欧州共通の家」の夢を追い、東西冷戦を終わらせた。

だが不幸なことに今、人々の記憶の中では「自由」と「混乱」が分かちがたく結びついてしまっている。今回取材した人の多くは90年代を「最悪の時代」と振り返り、ソ連時代の「安定」を懐かしんだ。プーチンへの揺るがぬ支持の理由もそこにある。

しかし、そもそも、自由と安定は二律背反ではないはずだ。

プーチンの任期はあと6年。混乱の責任をすべて「外敵」に押しつけて愛国心を高めるようなやり方や、国内の情報を統制するソ連国家保安委員会(KGB)さながらの手法が、いつまでも続くとは限らない。