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政治のことは嫌いでも、民主主義は嫌いにならないでください

[Part1]ロナウジーニョの故郷で考える




私たちが「最善」と信じてきた民主主義。しかし、世界各地で今、その信頼が揺らぎ始めているように見える。民主主義は政治体制の「センター」でいられるか。アイドル好きの記者が考えた。



政治家や政党に政治決定を託しても、自分たちの意見を十分にくみ取ってくれない──。そんな代表民主制の「弱点」を補う試みを約30年前に始めた、ブラジル南部の町がある。ポルトガル語で「陽気な港」を意味するポルトアレグレ。変幻自在の足技とはじける笑顔で、世界のファンを魅了したサッカーの元ブラジル代表、ロナウジーニョ(38)の故郷でもある。


市内のアパートで、元市長オリビオ・ドゥトラ(76)は誇らしげに語った。「スーパースターのロナウジーニョも子供の頃はファベーラ(スラム街)で育った。少なからず、この仕組みの恩恵を受けたはずだ」


仕組みとは、ドゥトラが市長に初当選した翌年の1989年、世界に先駆けて導入した「市民参加型予算編成」(参加型予算)。自治体の限られた予算をどの事業に優先的に配分するか。市当局や議会だけでなく、住民が集会に参加して議論を深めながら決める。


きっかけは、軍政下の70年代。工業で栄えたポルトアレグレは、労働力となる農民たちが移り住んだが、交通や下水道、電気などインフラが整わず、環境汚染が進んだ。住民が集会を開いて市に改善を求めても、軍政下で聞き入れられることはまれだった。


ドゥトラによると、ある住民集会で市の担当者が言い放った。「予算とは短い毛布のようなものだ。足が寒いと言って引っ張れば、頭が出てしまう。逆もしかり。全てをカバーできる予算というものはない」


これに対して、参加していた女性が言い返した。「毛布はサイズを決めてから作るものでしょ。でも、あなた方はサイズを測る時、私たちに一度も意見を求めなかった。もし正しいサイズがあらかじめ分かっていれば、私のところもカバーされたのに」

市の担当者はぐうの音も出なかったという。ドゥトラたちは集会の後、彼女の言葉を振り返り、公共の予算は市当局や議会まかせにせず、市民自身が考えるべきだという結論に至った。この発想が85年の民政移管後、ドゥトラの市政で花開くことになる。


当時、参加型予算は「貧者の救済」を第一に掲げていた。貧困層向けの集合住宅や上下水道の整備などファベーラの環境改善に優先して予算があてられた。一方で、ドゥトラはこう振り返る。「長い軍政下で、市民に『政治に参加しない文化』が根付いていた。参加の意欲をかき立てるのは容易ではなかった」


参加型予算はその後、世界的に注目され、ブラジルの他の自治体や南米諸国、欧米の都市に広がった。


しかし、「成功モデル」ともてはやされたポルトアレグレで今、参加型予算は岐路に立たされている。


地元リオグランデ・ド・スル州連邦大学教授のルシアノ・フェドッチ(59)によれば、参加型予算で約8千件の公共事業が実現したのに対し、約2300件は手つかずのままだ。原因は財源不足。ここ数年の不況で市の税収が落ち込み、昨年ついに参加型予算の仕組みそのものを凍結せざるを得なくなった。


フェドッチの調査によると、参加型予算の集会参加は1990年時点でわずか628人だったが、2002年は1万7397人に増加。ブラジル経済が冷え込んだ15年には2万661人に跳ね上がった。数字だけ見れば、課題だった住民の熱意は冷めていないように見える。しかし、フェドッチが過去数年の参加者の社会階層などを分析したところ、低所得、低学歴、アフリカ系の参加率が高い一方、中間層や富裕層が低いことが分かったという。


「貧困層が必要な対応を求めて積極的に集会に足を運ぶ一方、中間層以上に無関心が広がっている。格差社会のブラジルで公的資金の公平な分配をめざしたのに、かえって分断が進んでいる」と、フェドッチ。


それでは、参加型予算は失敗だったのか?


フェドッチは首を横に振る。「参加型予算は代表民主制と完全に置き換わるものではないが、市民の政治参加を広げるという意味で補完的な貢献はできる。民主主義に『酸素』を与えて元気にするようなものだ」


(文中敬称略)


(「『最悪の体制』ドイツ女性の教訓」に続く) ※4月3日公開予定です。


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