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オリンピックの魔法がとける日

[Part1]五輪のこれから

リオ五輪開会式に参加した難民選手団 朝日新聞社


五輪のこれから

難民選手団で 国家の枠組み超えた取り組みも


アマチュアリズムからプロ化と商業主義に門戸を広げ、政治と関わりながら成長した五輪。その魔法がとけ、屋台骨になってきた「国家」が消える日は来るのだろうか。


観衆が自国選手を応援するのは、程度の差こそあれ愛国心からだ。穏健な愛国心はスポーツ観戦を楽しくするかもしれないが、排他的になれば差別につながる。五輪取材では、日本に限らず各国メディアが自国選手ばかりを報じ、国別メダル数を比較することで過剰にあおっていると感じることもあった。報じる側も自覚すべきだと思う。


カナダ五輪委員会事務局長のクリストファー・オーバーホルトは、見る側の変化を指摘した。「いまの観衆が求めているのは、自国選手の活躍だけではない。国籍に関係なく、弱者が強者に勝つ驚きや感動も求めている。ウサイン・ボルトが人気者なのは彼がジャマイカ人だからではないし、もし彼が無名選手に負けても、五輪ファンは熱心に見る」。そして、20代の息子2人の行動から、「ネット世代の若者が得たいのは、簡潔でフレッシュ、かつスマートな情報だ。冗長で愛国心をあおるだけの報道では、共感は得られない」とも語った。



IOCも「国家」の枠を超えた取り組みを始めた。2年前のリオデジャネイロ大会で初めて「難民選手団」を結成し、難民となって母国・地域から参加できない選手へ道を開いた。シリアや南スーダンなど4カ国出身の10人が五輪旗を掲げて入場行進した。東京大会でも継続する方針だ。


五輪と国家の理想的な関係とは何か。悲観的に言えば、国家が存在し続ける限り、世界のどこかで争いは続くだろう。時勢に機敏に反応しつつ、影響力を高めさえする五輪に、底知れない力を感じる。


結局、20年以上抱えてきたモヤモヤは消えなかった。ただ、五輪と国家の望ましい距離感を考えるうえで、「平和」が答えの中心にあると私は信じている。五輪が国家間の争いに利用されるようなことが決してないよう肝に銘じつつ、選手ひとりひとりの物語を追うことで、いつか答えにたどり着ければと思う。夢想家と言われるかもしれないけれど。


(文中敬称略)

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