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オリンピックの魔法がとける日

[Part1]人生と五輪とサッカーを続けるわけ

試合前、イラク選手(右)から花束を渡されたイタリアのピルロ選手


2004 アテネ大会

それでも、人生と五輪とサッカーを続けなければいけない


五輪取材を重ねるなかで、「五輪と政治は切り離せない現実なのだ」と実感した瞬間があった。ローマ特派員として取材チームに加わった、2004年のアテネ大会だ。


米同時多発テロ事件後に初めて開かれる夏季五輪となったアテネ大会は、「史上最大の厳戒五輪」と呼ばれた。会場周辺にミサイルが配置される一方で、初めて200を超える国・地域が参加した。


私はアテネ入りする1カ月前まで、バグダッドでイラク戦争を取材していた。03年4月のフセイン政権崩壊後、イスラム過激派による駐留米軍への攻撃が激化し、日本人を含む人質事件や自爆テロも頻発した。


当時、朝日新聞バグダッド支局が入っていたパレスチナホテルも、反米・反西側メディアを掲げる過激派勢力からロケット弾などによる攻撃をひんぱんに受けた。直撃された場合の被害を最小限に抑えようとベランダに土のうを積み、ガラスでけがをしないように窓へマットレスを立てかけた。そうやって夜をやり過ごしても、砲弾による爆音と振動の中で明け方を迎えたことがたびたびあった。


そんなイラクからアテネへ移ると、厳戒態勢下とはいえ「戦争から平和へ」を地で行く思いがした。仕事柄、気持ちの切り替えは早い方だという自信が崩れたのは、7万5千人の観衆がスタジアムを埋めた開会式の冒頭だった。派手に打ち上げられた花火の音がイラクで毎日のように聞いていた爆音と重なり、動悸(どうき)がして座り込んでしまった。「大丈夫、ここはアテネだ。バグダッドじゃない」と自分に言い聞かせた。


アテネ大会にはイラクも参加していたので、出発前の選手たちにバグダッドで取材した。「銃撃戦に巻き込まれるのが一番怖い。弾丸より速くは走れないから」と話した女子の陸上選手には、返す言葉もなかった。元国軍兵士でフセイン政権時代に逃亡を余儀なくされた柔道選手は、全日本柔道連盟などの協力で、大会前の1カ月を日本で合宿した。「柔道だけに打ち込めるなんて、夢のようだった」と話してくれた。


そうして臨んだアテネ取材で、忘れられない「事件」が起きた。


■命の大切さは、何かと比べられるものではない


男子サッカーの3位決定戦が行われる日、ギリシャ北部テッサロニキの会場のプレスセンターをのぞくと、知り合いのイタリア人記者たちが深刻な表情で話し込んでいた。何事かと聞くと、「イタリア人記者がイラクで武装勢力に殺された。選手たちが動揺しており、試合できる状況ではない」という。


この日の試合は、イタリア対イラクだった。米国にとって、欧州同盟国のなかでイタリアは英国と並ぶ「有志連合」の柱だ。イラクの武装勢力はイタリア部隊の撤退を繰り返し求め、イタリア政府は拒否していた。3位決定戦は、悲劇の犠牲者の母国と、悲劇が起きた国の戦いに変わった。

1998年長野大会でのメモ帳

イラク選手団長は、報道陣に「殺したのはイラク人ではない」と言い切った。イタリア人記者からは「どうしてイラク人が殺していないと、あなたにわかるのか」との声も出た。


一番驚いたのは、当時の国際サッカー連盟(FIFA)会長、ゼップ・ブラッターの言葉だった。試合30分前に突然、「会長が緊急会見を開く」との知らせがイタリア報道陣に流れ、私もあわてて駆けつけた。ブラッターは沈痛な表情で「非常に悲しいことが起きた」と述べつつ、何度も同じフレーズを口にした。


“Still, life and the Olympics and football must go on”(それでも、人生と五輪とサッカーを続けなければいけない)


「life」とは、「生きること」そのものだ。それを「五輪」や「サッカー」と同列に並べたことに、私はショックを受けた。命の大切さは、何かと比べられるものではない。


実際、試合は予定通りに行われた。ただ、雰囲気は異様だった。イタリア選手は右腕に喪章を付けており、試合前にピッチでイラク選手からイタリア選手に黒いリボンを付けた花束が渡された。通常はチームごとに行う記念撮影で、両国選手が一緒に肩を組んだ。イタリアのサッカー関係者は「FIFAが全部、お膳立てした」と話し、「こんなのは偽善だ」と吐き捨てたイタリア人記者もいた。


考えてみれば、五輪は常に政治と共にあった。1936年ベルリン大会は、ナチスの宣伝に徹底的に利用されたし、72年ミュンヘン大会ではテロでイスラエル人選手らの命が失われた。冷戦下ではモスクワ、ロサンゼルスの両大会がボイコット合戦となった。五輪の夢だけを胸に練習に耐えたあげく、不参加で悔し涙を流した選手たちの話は、世界中で何度も聞いてきた。


試合中、バグダッドにいる同僚記者に連絡し、現地の様子を聞いた。電気が完全に回復せずエアコンを切ったカフェで、満員の客が衛星放送のテレビへ「行け、イラク!」と叫んでいるという。


試合は1対0でイタリアが勝った。イタリアの監督は、やつれきった様子で「イラクで亡くなったイタリア人記者のご遺族の気持ちを思うと、勝利を喜ぶ気分にはならない」と話した。


両チームとも、一切、笑顔はなかった。


(文中敬称略)


(「メープルリーフの国際デビューの舞台に」に続く)

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