RSS

オリンピックの魔法がとける日

[Part1]日本メディアはなぜ敗者を追いかける?

筆者が歴代の五輪取材で携帯していたベスト。当時の大会のものや、他国の取材陣や五輪委関係者らと交換した記念のピンが多数付けられている photo : Toyama Toshiki



私はスポーツ記者でもないのに、夏冬合わせて計5回の五輪大会を取材したことがある。所属部署はその時々で異なったが、一貫して担当したのは「外国人選手」の記事を書くこと。さまざまな国の選手や報道関係者と接しつつ、ずっと感じていた疑問がある。


「五輪と国家」の関係っていったい、何だろう。普段のスポーツ観戦では記録や能力重視なのに、なぜ、人は五輪になると自国選手を優先して応援するのか。


もうすぐ韓国・平昌の冬季五輪が始まる。2年後には東京五輪が控える。その前に、じっくり考えてみたい。自戒も込めて。

郷富佐子(論説委員)

ごう・ふさこ 1966年生まれ。マニラ、ローマ、ジャカルタ、シドニーの各海外支局などを経て2017年9月から現職


1996 アトランタ大会

日本のメディアはなぜ敗者を追いかける?


私が「五輪と国家」を考え始めるきっかけとなったのは、1996年夏のアトランタ大会(米国)だった。当時は社会部の駆け出し記者で、2年後に迫った長野の冬季大会に備えた五輪取材チームの一員として現地入りした。それまで警視庁1方面のいわゆる「所轄回り」だったのが、いきなりスポーツ取材の最前線に立たされたわけだ。


技術的な解説記事などは、スポーツ部の記者たちが担当した。私は社会部の先輩2人と、日本人選手の家族などの周辺取材のほか、主に外国人選手の話題集めに走り回った。インターネットはまだほとんど普及しておらず、外国人選手に関するデータは、国ごとのオリンピック委員会や競技団体の取材のほか、各国の記者同士による情報交換を中心に集めた。


開会式の数日前、スポーツ用品の大手企業がスポンサー契約を結ぶ有力選手を集め、アトランタ市内でイベントを開いた。顔見知りのドイツ人記者が「あそこにいる選手には物語(ストーリー)がある。一緒に話を聞こう」と指した先に、「SUISSE」のユニホームを着た体操選手がいた。それが、当時29歳の李東華(リ・ドンファ)だった。


中国であん馬の第一人者だった彼は、その8年前に北京を旅行していたドイツ系スイス人の女性と恋に落ち、スイスまで追いかけて半年後に結婚した。スイス国籍が認められるまでの5年間は中国の体操界からも締め出され、洗車や車の修理で日銭を稼いだという。


21歳から26歳までの、体操選手として一番輝く時期を無駄にしてしまった。代償は大きかったが、「それでも愛は、挫折や失望に勝る。僕はもうリ・ドンファではない。ドンファ・リと呼んで欲しい」と、流暢(りゅうちょう)なドイツ語で明るく語ったのが印象的だった。

リ・ドンファ photo : Reuters

取材が終わりかけたとき、ドイツ人記者が「ところで、君はスイス国歌を歌えるのか」と尋ねた。隣にいた通訳が一瞬、息をのんだのがわかった。「歌えないかもしれない」と思ったのだろうか。「もちろん、歌えるよ」と答えたリは、少し悲しそうに見えた。


試合当日、リはあん馬でみごとに優勝した。スイスがこの種目で金メダルを獲得するのは、実に68年ぶりだった。スイス国旗が掲揚され、リは表彰台のてっぺんで涙を流しつつ、堂々とスイス国歌を歌ってみせた。観客席のスイス応援団が赤地に白十字のスイス国旗を振って熱狂する光景を、今でも鮮明に思い出す。


「国歌」の質問は、西欧の国へ国籍を変えた東洋人への偏見が根っこにあったのかもしれない。そして、リが「確かに歌える」と証明できたのは、五輪という大舞台で勝てたからに他ならない。あれが、「五輪と国家」を考える原点になったように思う。


■閉会式で流れたのは、皮肉にも「イマジン」だった


初めての17日間の五輪取材で最も強烈だったのは、走り幅跳びで4連覇した35歳のカール・ルイスでも、ナイジェリアが男子サッカーで初優勝したことでもなかった。勝敗に関係なく日本人選手を追いかけ、一挙手一投足を報じる日本メディアの姿だった。競技を終えた選手が取材に応じるミックスゾーンと呼ばれる場所では、日本人の有力選手が通るたびに日本の報道陣が殺到し、他国の記者たちが押し出されて怒号が飛び交う事態になった。


イタリア紙のスポーツ記者からは「日本のメディアはなぜ、負けた選手すらも一斉に追いかけるのか」と問われた。「イタリアのメディアだって、イタリア選手を追い回している」と反論すると、「でも負けたら、短いコメントを取るのは外国の通信社に任せる。勝った外国人選手を取材する方が、ずっと面白い記事が書けるよ」と諭された。


確かに、一生懸命取材した外国人選手の原稿が、スペースの都合でボツになったことは何度もあった。東京からファクスで送られてきた五輪紙面は、日本人選手の話で埋まっていた。「読者が求めているからだ」と説明されても、「それをあおっているのは我々メディアではないのか」と言いたいこともあった。


閉幕記事で、朝日新聞は日本のメダル数を「計14個と、前回バルセロナ大会より8個少なかった」と、やや残念そうに報じた。でも、青臭いと言われるかもしれないが、私は「国別メダル数ランキング」より、近代五輪の創始者クーベルタンが演説で用いた「参加することに意義がある」の言葉の方に重みを感じた。そもそも、五輪憲章は「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と定めている。


日本の読者や視聴者は、本当に五輪で日本人選手にしか興味がないのだろうか。読者から本社へ寄せられた意見の中には「(日本人の)××選手の記事が興味深かった」などの声のほか、「五輪期間中は、テレビも新聞も日本人選手の話ばかり。もっと海外の選手について知りたい」という要望もある。


アトランタ大会の閉会式で流れたのは、皮肉にも「イマジン」だった。故ジョン・レノンが「国家がないと想像してごらん。殺したり死んだりする理由はない」と歌う名曲だ。大きな祭りが終わった高揚感はあったものの、何かモヤモヤした思いが残った。


(文中敬称略)


(「人生と五輪とサッカーを続けるわけ」に続く)

この記事をすすめる 編集部へのご意見ご感想

  
ソーシャルブックマーク
このエントリーをはてなブックマークに追加
Facabookでのコメント

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

Information | 履歴・総合ガイド・購読のお申込み

Editor's Note | 編集長から

PC版表示 | スマホ版表示