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豊かさのニューノーマル

[Part2]「ブラジルのトランプ」ボルソナーロに聞く 一問一答

日本人にシンパシーを感じるというボルソナーロ=10月25日、ブラジリア、玉川透撮影

「ブラジルのトランプ」と呼ばれ、急激に支持を伸ばしている異色の政治家、ジャイール・ボルソナーロ(62)。10月25日、首都ブラジリアの国会議員会館で応じた単独インタビューの内容を、一問一答でご紹介します。(GLOBE記者 玉川透)


――最近の世論調査で支持率を17%を獲得しました。これはルラ元大統領に次ぐ2位の高さですが、この数カ月で急激に伸びています。自分では、なぜだと思いますか。


じつは、私もびっくりしているんだ。今、ブラジルの政治家は全体的に、国民からの信頼が非常に低い。そんな中で、私は17年間、ブラジル陸軍にいた。そして今は議員として7期目。26年間、他の大多数の議員とは異なる議員生活をしてきた。彼らが関心を持っていることには、私は関わろうとはしなかった。これがまず一つだろう。


――支持者にはとくに若い人が多いようですが、その理由をどう分析していますか。


インターネット上のフェイスブック、インスタグラムなどのソーシャルメディア(SNS)が、若者たちに引き起こした現象は興味深いものだ。若者たちは日々、携帯を肌身離さず持つようになった。そこにブラジルとは本当はどういう国なのか、その潜在力はどういうものか、あるいは我々のような議員が他の大多数の議員とはどう違うかを伝えている。これに対し、主要メディアは伝えるべき情報を国民に与えないようにしている。


加えて、13年間続いた労働党政権下のブラジル経済は、彼らのイデオロギーの影響を強く受けすぎた。アフリカ諸国やキューバ、ベネズエラ、南米南部共同市場(メルコスール)の国々との関係を強化しすぎた。

もうひとつ私が非常に心配しているのは、ブラジルにおける中国の存在だ。けっして、中国とのビジネスや関係を絶つというわけではないが、彼らはブラジルの製品を買うのではなく、ブラジル自体を買いに来ていると私は見ている。


――SNSでの支持拡大には、何かモデルはあるのでしょうか。


今、私は(ブラジル国内で)最大数のフォロワーを抱えている議員だが、それはSNSで広告料を払ってメッセージを伝えるようなことで獲得したものではない。また、何かをモデルとしたわけではない。もちろん、米国のトランプ大統領が候補だった時に、すでにそのような手法をとっていたことは知っているし、彼らのほうがずっとうまく活用していると思う。オバマ大統領が候補だった前回の米大統領選のときから、すでにSNSの影響力は強まっていた。

ボルソナーロの熱烈な支持者たち=ブラジル東部ボルタ・レドンダ、玉川透撮影

――欧米メディアなどは、あなたを「ブラジルのトランプ」と呼びます。率直に、どう感じていますか。


(苦笑いして)私は彼よりも金持ちですよ。

トランプ氏が選挙戦の最中に行っていた数々の提案は、私にもよく分かる。米国のメディアは左派の方を向いている。だからフェイクニュースが出てきた。私も「外国人嫌悪家」とブラジルのメディアに頻繁に非難されている。問題のより深い米国でトランプ大統領が考えるように、自分の国に誰でも彼でも入ってきていいというわけではない、と私も考える。自分の家に誰もが入ってきてはいけないのと同じことだ。

 しかし、残念ながらブラジルは今年、新たに法律が制定されて国境がよりオープンになってしまった。本来そういう国であってはいけない。例えば、仮にブラジルではないある国で1万人を受け入れることになり、それが問題になったとしよう。もしその船がこちらに送り込まれてきたら、我々には彼ら全員を迎え入れる義務がある。なぜなら法律にそうしろと書いてあるからだ。そして、彼らにも同じように、年金受給、医療の権利が認められる。これはまさに左派の関心に基づくものだ。この国に混乱をもたらす左派の政策だ。


――あたなが軍事政権を賛美する発言を繰り返していることをメディアなどが批判しています。


(背後に飾っている5人の肖像写真を指さして)これは軍政時代の5人の大統領だ。1964年4月、当時のジョアン・グラール大統領がブラジル議会によって解任された。つまりクーデターはなかった。ブラジル議会が大統領の任を解いたのだから。そして(軍政)最初の大統領として、カステロ・ブランコが1964年4月15日に就任した。彼は当時の憲法の手続きに従い、4月11日に議会から間接選挙で選出された。つまり、ブラジルにはクーデターという表現に値するものがないのだ。あるとすれば、それは左派が作ったうそだ。


そもそも独裁というのは、北朝鮮やキューバのようなものを指す。我々の国には、完全な自由があった。ブラジル国内には、今でも当時を知る60歳以上の人が1千万人以上いる。彼らに聞けば誰でも、あの頃は平和で、治安もよく、お互いを尊重し合い、雇用も守られ、今日とは異なりブラジルは前進していたと話すだろうよ。もし本当にそこまでひどかったというのなら、当時はむごかったとブラジルのマスコミが常日頃から伝える必要もないのだ。おじいちゃん、おばあちゃんは子どもたちに向かって言うだろう、そんなことは実際にはなかったのだと。


――もし大統領になったら、真っ先に何をしたいですか。


それはブラジル国内のことか、国外のことか?

(両方を聞きたい)外向きには通商関係をもっと緊密にしたい。相手国として日本はもちろん、韓国、イスラエル、米国などとの通商関係を強化したい。たくさんの通商上の合意を結びたい。パートナー関係として多くのことができればと思う。ただし、コンセッション(公共施設等の運営権)方式としてではない。この二つは大きく異なる。もちろん、こうした外交政策はブラジルの外務省の管轄であるが、対外政策として基本的に私は今話したような考えを持っている。


ブラジル国内向けには、この国にはやることがたくさんありすぎて。暴力、失業、役所の縦割りの非効率性……。神様、たすけてください。そう祈りたいぐらいだ。

丘の斜面に張り付くように家々が並ぶファベーラ(スラム街)=10月27日、ブラジル南部ポルトアレグレ、玉川透撮影

――ブラジルでは治安悪化が深刻化しています。犯罪対策をどう考えていますか。


それは議会が決めることで、私の意向だけでは決められない。ただ、刑法のいくつかの条項は改められなければならないと考えている。一度罪が確定したら、当人は最後まで償わなければならない。裁判所や司法評議会にそれを決めさせてはいけない。ブラジル刑法、特に刑罰の実行の部分がたるみすぎている。


ただし、このテーマは議会によるところが大きい。私の一存で決められることではないし、大統領がブラジルの将来を決めるのではない。大統領は、多くのテーマで国が正しい道に進むよう方向づけを手助けすることはできるだろうが、議会でそれを承認しやすくなるように、同じような考えを持つ人を選ぶという国民のサポートが伴わなければならない。


――経済分野の政策では、起業家を特別に扱い、国内市場での自由競争を奨励すると主張していますが。


大事なのは、国が起業家たちの邪魔をする存在となってはならないことだ。ブラジルには規制が多すぎる。この国で会社を開設しようとすれば、90日を要する。会社を閉じる時もほぼ同じだけの時間がかかる。仕事をしたいと考えている人たちには、もっと簡単に仕事ができるようにしなければならない。生産者にとって、政府は税金を引っぺがしに来るものとしか今は見られていない。税負担は今のような状態であり続けてはならない。誰もこのような状態には耐えられない。我々の国は他国に比べて国民の税負担が重いのだ。


――世界では今、ポピュリストと呼ばれる人々が勢いを増しています。しかし、たいがい自分は違うと言います。あなた自身については、どう思いますか。


本当のところを説明しよう。つい先日、アルゼンチンで選挙があった。全てのメディアが、ポピュリストは負けなかったと伝えた。現マクリ大統領が、議会で過半数を確保できた。ブラジルのメディアにとって、負けたポピュリストというのは誰かといえば、クリスティナ・フェルナンデス前大統領を支援する人々だった。フェルナンデス氏は、ブラジルのルラ元大統領やルセフ前大統領のお友達で、政治的なつながりがあった。つまりポピュリストというのは、ルラであり、ルセフであり、労働党だった。その彼らが、私をポピュリストだと言って非難する。(つまり、彼らこそポピュリストということ?)そういうことです。政治の世界では、よく見られることだ。(政治家が互いに批判するときに、相手をポピュリストだということ?)まさにそういうことです。

ファベーラ(スラム街)で遊ぶ子供たち=月日、ブラジル南部ポルトアレグレ、玉川透撮影

――来年、日本を訪問する計画があると聞きました。その目的は?


日本や韓国を訪問したいとは考えているが、まだ決定ではない。もちろん招待してくれるなら行くけどね(笑)。その目的は、私はイスラエルにもその理由で行ったが、どういう国なのか、現地を見て知りたいというのが目的だ。教育、治安、刑務所の様子、議会訪問、農業分野ではどんなことをしているのか、イノベーション、原発などの発電所を見てみたいと思う。


現在、日本と韓国が抱えている北朝鮮との問題は、トランプ氏がいたから両国にとって非常に良かった。両国だけではない、世界にとって良かった。もし金正恩が、原爆だ水爆だといった誇大妄想をし続けて、世界のどこかにそれを撃ち込むと言うのなら、遅かれ早かれ我々全員にとっても脅威になるからだ。


――日本に対するイメージは?


シンパシーを感じている。私は長いこと、バーレ・ド・ヒベイラという地域に住んでいた。そこにはレジストロという、日本人の移民が多い街がある。日系人の友達がたくさんいた。そこでは、日本人が物乞いをしていたり、悪いことをしていたりしたのを見たことがなかった。我々にとって、皆さんの文化は見習わなくてはならない例だと思っている。


(女の子の写真を見せて)これは私の7歳の娘です。私は大尉なんですが、議員になってすでに退役しています。でも、ベッドの中ではまだまだ現役ですよ(大笑い)。日本語のあいさつでインタビューを終えましょう。アリガト



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