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記録の力

[Part1]記録軽視?の国に必要なこと

乙事に保管されている1813年の帳蔵建設趣意書
photo:Takahashi Yukari

私が欧米で取材の旅を続けている間に、日本では加計学園問題や南スーダン日報問題をめぐる国会論戦が熱を帯びていった。記録が見つかったり廃棄されていたり、記録はあるけれど記憶はなかったり。日本は記録を軽んじる国なのだろうか。


だが、日本のアーキビストらに聞くと、庶民の記録の営みは一貫して続いていて、特に江戸時代の文書などは保存状態がよいという。その参考になる村が長野県の山間にあると聞いて訪ねた。

八ケ岳南麓にある諏訪郡富士見町乙事区(旧乙事村)は、宮崎駿が「もののけ姫」の着想を得たと言われる、緑深い集落だ。江戸後期に土地台帳などを保存する「帳蔵」が建てられ、いまも大事にされている。区長の五味正文(67)に石造りの蔵の鍵を開けてもらって2階に上がると、文書が入った段ボール箱が整然と並んでいた。和紙に破れや虫食いはなく、墨もあせていない。


帳蔵の建設趣意書には「半紙一行の書付にても、千金に替え難く候」などと記されている。一片のメモ書きでも保存することでもめ事が避けられ、村人の暮らしは安定する──そんな思いが伝わってくる。「藩に年貢などをおさめるのに文書がないと困る。ここは村の治まりがよいと表彰されたこともある」と46年前に区長をつとめた三井清エ門(89)は言う。日本の村が重視してきたのは、こうした、どちらかと言えば事務的な記録だったようだ。

歴代の区長らが蔵を案内してくれた
photo:Takahashi Yukari

政府が残すべき記録はどうか。元学習院大学教授(アーカイブズ学)の安藤正人(65)は「記録軽視の傾向は、明治時代以降の政治文化、とりわけ民主主義の欠如の問題だ」と指摘する。維新後の政府は、欧米流の文書管理システムを一部導入したものの、記録は国民のものだとする意識が根付かなかったという。政府が急速に膨張したために記録の整理や保存が追いつかず、結果として残さない方向に向かったとの見方もある。


日本ではまだ数少ないレコードマネジャーで記録管理学会の元会長、小谷允志(80)はさらに分析を加える。「以心伝心」で物事が処理されがちなところから来る「契約」意識の低さや「水に流す」の言葉に象徴される過去にこだわらない「いま中心主義」、個人の責任をあいまいにしがちな日本の組織の体質、忖度が幅をきかす意思決定プロセス……。


2011年に公文書管理法が施行されて事態は改善されたが、「理念を実践する専門職が足りない」と小谷は案じる。法施行以来、省庁の記録管理担当者研修に協力してきたが、せっかく研修を受けても、日本の役人は2、3年で異動してしまう。専門性の高い人材を増やして官公庁に配置したり、国立公文書館のバックアップ体制を強化したりしていくことが大事だろうという。

───


取材の旅で印象に残っているのは、NARAの記章だ。翼を広げたハクトウワシの頭上にラテン語で「書かれた言葉は残る(LITTERA SCRIPTA MANET)」。記憶は時とともに薄れるが、記録は何十年、何百年と残る。


ノルウェーや米国の記録に対する姿勢といまの日本の記録をめぐるごたごたを考えた時、最も際立つ違いは「未来に対する意識」ではないかと感じた。いまの記録は未来には歴史の一部になる。未来からの視線を恐れて記録を捨てたり隠したりするのではなく、未来から見られているからこそ記録を残す。必要なのは、歴史、いま、そして未来は切れ目なく続いている、という自覚だろう。


(文中敬称略)

(高橋友佳理)

「福田康夫元首相インタビュー」に続く)


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