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記録の力

[Part1]極北の凍土で守り抜く記録


今年に入り、記録をめぐる政治家や官僚の振る舞いが注目を集めた。加計学園の学部新設問題では省庁の内部文書が当初「怪文書」呼ばわりされ、陸上自衛隊の南スーダン日報には隠蔽(いんぺい)疑惑が持ち上がった。示された文書が「記憶にない」の一言で片付けられた場面もあった。記録ってそんなに軽いものだっただろうか。記録を残して公開することは民主主義にとって大切なことではなかったか。欧州や米国の公文書館などを訪ねて記録の番人たちに会うことにした。記録の意味、記録の力、記録の危うさ。深く考えさせられる旅になった。


Archic World Archiveの扉
photo:Tahakashi Yukari

気温は零下5度。北極圏バレンツ海を望むノルウェー領スバールバル諸島最大の島、スピッツベルゲンの山中にある炭鉱跡は、7月半ばでも凍える寒さだった。極北の地を訪ねようと思ったのは、今年、この廃坑が世界の貴重な記録を保管する「Arctic World Archive(北極圏世界記録庫)」としてデータの受け入れを始めたからだった。最長で1000年間の保管が可能だという。


海抜250メートル、永久凍土の山腹に掘られたトンネルにはトロッコレールが残る。足を取られないように歩いて約10分。ヘルメットのライトが照らす先に、大きな扉が見えてきた。中に入ることは認められなかったが、二重の扉の奥にブラジルとメキシコ両国政府が委託した文書などが、特殊フィルムに書き込まれて保存されているとのことだ。


「ここはスバールバル条約で非武装地帯として軍事行動が禁止されている。地震や津波の危険性も低く、凍土の地盤は安定している」。民間企業とともに記録庫を運営するノルウェー国営企業ストレ・ノシュケのビジネス開発担当、ポル・バーグ(43)が、なぜ記録庫がここに造られたのかを説明してくれた。戦争や災害だけでなく、太陽嵐に含まれる電磁波のリスクも想定しているという。


この記録庫はビジネスだが、500年、1000年という時間感覚でここまでの記録保管を求めるのはノルウェー流だ。それはどこから来るものなのか。首都オスロの国立公文書館を訪ねると、その「源流」といえるものがあった。


ノルウェー国立公文書館の書庫を案内するアーランド・ペターセン
photo:Tahakashi Yukari

山を背にしたガラス張りの建物は、窓から差し込む光がまぶしい。だが地上4階建ての公文書館は、山腹の奥へと広がり、そこから30メートルほど掘り下げた地下6階の構造。保管庫は地下部分にある。核攻撃に耐えることを目指した設計のため、分厚い扉の前には放射能を落とすためのシャワーも取り付けてあった。ここには西暦980年から2013年まで1000年余りの記録が所蔵されている。


なぜここまで厳重に保管するのか? 案内してくれたアーランド・ペターセン(43)は「もし戦争があって政府の施設がすべて燃えてしまっても、政府の記録はここに残る。それをもとに国を再建することができる」と答えた。その最たる脅威とは? 「基本的にはソ連(現ロシア)だった。この建物は東西冷戦時代に造られたからね」。スカンディナビア最北部でソ連と国境を接していた小国ノルウェーは、核攻撃を受けて壊滅的な打撃を受けるという最悪のシナリオも描いていたということだ。


そうまでして記録を守り抜こうとする背景には、ノルウェーの歴史があると公文書館国際コーディネーターのオレ・ガウスダル(49)は言う。「何世紀もデンマークの支配下にあったノルウェーで独立の機運が高まったのは19世紀。自分たちの歴史が求心力になった。歴史家たちが史料を発掘し、1817年設立の公文書館も一翼を担った」。デンマークの支配、スウェーデンへの割譲をへて独立を果たしたが、第2次大戦末期にはナチスドイツに占領された。その後、冷戦の緊張が続いた。


ノルウェーは世界で最も安定した民主国家の一つに数えられる。しかし、そこに至るまでには、国としての独立や存立が脅かされた場面があった。大げさにも思える厳重な記録保管の意識は、そんな道のりを投影しているのだろう。


(文中敬称略)

「記録は復讐する」に続く)


たかはし・ゆかり

1982年生まれ。青森、奈良の各総局、社会部などを経て現職。アラビア語を専攻していた大学時代の2002~03年、エジプトのカイロ大学に留学。





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