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創薬の「生態系」最前線 リスク恐れぬ米国の風土

World Now 更新日: 公開日:
米デナリ・セラピューティクス社の生物学者たちの研究室。約30人のスタッフが働く Photo: Nishimura Koji

開発スピードの速さが強み

真新しい実験室で、手袋をはめた白衣の生物学者たちが黙々と実験に取り組んでいた。同じフロアに、化学者や生物工学者の実験室、動物実験の部屋も並ぶ。

8月、新薬開発のベンチャーが集まる米カリフォルニア州に、デナリ・セラピューティクス社を訪ねた。最高執行責任者のアレクサンダー・シュス(44)は「生物学者が薬を考えついてから、動物実験まで数日〜数週という速さが強み。大手なら数週〜数ヵ月の作業です」と語る。

2015年創業のデナリは、米国で最も注目を集めるベンチャーのひとつだ。創業者は、米大手ジェネンテックの元幹部やスタンフォード大学の学長ら。有害物質を排除する脳の関門をかいくぐって薬を送り込む新技術を使い、アルツハイマー病やパーキンソン病などの治療薬の開発をめざす。120人余の従業員の約7割は医者か博士号の持ち主だ。

資金力も群を抜く。創業から薬の治験に入るまでの段階で投資家から約3億5000万ドル(385億円)を集めた。

シュスは言う。「私たちは新しい科学技術で患者を救おうと困難に挑戦している。でも、その意味を理解してくれる人たちがこの国にはいるんです」

「2万5000分の1」の世界

新薬開発の困難さは増すばかりだ。日本製薬工業協会によると、開発中の物質が薬として承認される確率は2万5000分の1。10年ほどで半分になった。

だが、世界をリードする米国の製薬業界では、「ベンチャー」「投資家」「大手企業」の3者が生態系のように絡み合い、着実に新薬を生み出している。

ベンチャーの長所は、一つの方向に集中して開発を進められることだ。

米大手ファイザーに買収された米国のベンチャーの元研究者で、アトピー性皮膚炎の新薬「ユークリサ」の開発に携わった赤間勉(53)は「人も資金も限られる中、完璧でなくても、薬として承認されそうなら次のステップに進む徹底したマネジメントが大きかった」と振り返る。

実行部隊がベンチャーなら、資金力で歯車を回すのがベンチャーキャピタルと呼ばれる投資会社だ。早い段階で新興企業に出資し、その企業が高値で買収されたり、株式を上場したりした際に、会社の持ち分を売ってもうける。

新薬開発には10年単位の時間がかかり、設備投資も大きい。資金を注ぎ込んだあげく、重大な副作用が見つかって発売できなくなることも珍しくない。

それでも大手ベンチャーキャピタル出身で、創薬ベンチャー「アーデリクス」の社長マイケル・ラーブ(52)は言う。「米国の投資家には、リスクをとることを評価する風土がある。その中で何百という会社が生まれ、挑戦を続けている」

大手も有望なベンチャーを虎視眈々と狙っている。「ベンチャーとの連携は、クリティカル(極めて重要)です」。米大手ギリアド・サイエンシズの副社長グレッグ・アルトン(51)が言う。

その成功例が「ソバルディ」など、ギリアドの出した一連のC型肝炎薬だ。

C型肝炎の治療は重い副作用が出ることもあるインターフェロン注射が中心だったが、ギリアドの薬は3カ月の投与での根治に成功。15年には関連する2剤で世界トップの約190億ドル(2兆900億円)を売り上げる大ヒットになった。

もともと、薬の元になる物質を開発していたのは、12年に約110億ドル(1兆2100億円)で買収したベンチャー。まだ多数の患者による治験に入る前だったが、ギリアドの参画で開発費が確保されたうえ、規制当局への申請でもギリアドの蓄積が生かされたという。

アルトンは「大手が二の足を踏むようなことに挑戦するのがベンチャー。一方、我々は世界最高水準の科学者をそろえており、ノウハウの蓄積もある。だから買収も成功した」と胸を張る。

資金集めが課題

一方、日本に目を向けると、資金不足に悩むベンチャーも多く、画期的な成果も少ない。日米のベンチャーを支援するコンサルタントのマイケル・グリーンバーグ(50)は「日本にも優れた研究や技術はあるが、どう資金を集めて、どう利益を上げるのかという感覚を持った人材が少ない。学界での序列が経営に持ち込まれがちなのも問題だ」と話す。

ただ、有力なベンチャーも出てきている。東京大学発で、東証1部上場のペプチドリームはそのひとつ。欧米の大手と続々と提携し、抗がん剤などの共同開発を進めている。

研究開発部長の舛屋圭一(48)は、スイスの大手ノバルティスファーマのトップ科学者として薬を送り出してきた経験を持つ。「創薬が行き詰まったという話は、海外では聞きません。薬を出して患者さんから感謝の手紙が来ると、すごくパワーをもらう。日本に足りないのは、そんな成功体験。ここからも多くの新薬開発に絡んでいきます」

風邪に抗生物質は根拠なし 無駄を省いて「本当に必要な治療」を

photo:Ohta Hiroyuki

勝俣範之氏(日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科部長)

オプジーボは確かに高価な薬ですが、臨床医としては、患者のためにベストを尽くすのが務め。患者さんの自己負担額を気遣うことがあっても、公的医療の財政に直接気を使うことはありません。

ですが、オプジーボのような高額薬を使える環境を整えるためにも、当然ムダな医療は慎むべき、と考えています。

現在、医学界で世界的話題となっているのが、米国発の「チュージング・ワイズリー(賢い選択)」運動です。科学的根拠に乏しいムダな医療をなくし、本当に必要十分な薬や検査だけを患者に提供しよう、という趣旨です。

例えば、風邪に対する抗生物質の投与は医学的にまったく根拠がありません。風邪のウイルスには抗生物質は効果がないからです。

がん治療の領域でも無駄遣いは多い。早期乳がんの手術後にCTスキャンなどの検査をやり過ぎたり、抗がん剤の副作用で減った白血球を増加させる薬を、本来は不要な場合にまで投与してしまったり。

医療費だけではなく、患者の「生活の質」の面から見て大きな問題だと考えているのが、終末期のがん患者に対して過剰な抗がん剤治療を行ってしまうケースが多いことです。

一般論で言えば、亡くなる3カ月前には、抗がん剤治療は終わらせているべきです。しかし、NPO法人がまとめた「がん患者白書2016」によれば、亡くなる1カ月前でも、抗がん剤などの積極的治療を行っていた人が65%もいました。

抗がん剤治療では、初めはよく効いた抗がん剤も、次第にがんの側に耐性ができて効かなくなる。それで次々と抗がん剤を変えていくのですが、進行がん患者の場合、延命効果が期待できるのは、2番目に使う抗がん剤ぐらいまでです。

それが効かなくなった後も延々と抗がん剤治療を続けると、残された貴重な日々を副作用で苦しむばかりか、生存期間も短くなりかねない。

一方、緩和ケアには生活の質を高める効果と一部には延命効果もあることが、医学的に証明されています。抗がん剤の治療をやめ、緩和ケアを充実させることで、最期の日々の生活の質を大幅に引き上げられます。

確かに、回復の可能性を信じている患者に医者が「抗がん剤の使用をやめましょう」と勧めるのは難しい。だけど、患者とよく話し合い、適切なタイミングで抗がん剤治療を終わらせることは、がん専門医としての義務だと思います。

もう一つの大きな「ムダ」は、抗がん剤治療を入院して受けるケースが多いことです。

抗がん剤の最もつらい副作用である「吐き気」については、近年優れた吐き気止めが開発され、ほとんどの固形がんでは抗がん剤治療が外来通院でできるようになりました。米国ではすでに9割以上が通院です。にもかかわらず、日本では「初回の抗がん剤治療は入院治療」というのが慣習化している。抗がん剤の専門医が少なく、感染症など副作用への対応に自信がないのも一因でしょう。

一方で、「ムダではないのにムダ扱い」されようとしているのが、高齢者への抗がん剤治療です。一部で「高齢者への抗がん剤治療はムダ」という主張がありますが、これには医学的根拠が乏しい。

抗がん剤は副作用の大きな薬ですから、高齢者には特に慎重に用いるのが当然です。だけど、実年齢ではなく、治療時点の患者の実際の体力がどの程度かという「生理的年齢」で判断するのが国際的な常識です。人間は高齢になるほど、同年齢でも身体状態のばらつきが激しいからです。

抗がん剤使用について年齢で一律に制限すれば、多くの患者から治癒や延命の可能性を奪いかねない。

高齢者の場合、積極的な治療を希望するかどうかという、本人の意向を確認することも大切ですが、ムダかどうかの判断は、まずは医学的根拠に基づいて行うことが大切です。

 かつまた・のりゆき 1963年生まれ。国立がん研究センター中央病院などを経て2011年日本医科大武蔵小杉病院腫瘍内科教授。著書『「抗がん剤は効かない」の罪』『医療否定本の嘘』など。

リアルに、クールに薬とつきあう 取材を終えて

薬の世界には、ものすごい量のカネとデータが渦巻いている。一部の製薬会社がカネに目がくらみ、治験データを改ざん・隠蔽(いんぺい)するケースもかつてはよく見られたが、英NICEでの「カネとデータ」を巡る激しい攻防を取材していると、「そんなごまかしはあっという間にばれるだろうし、今後は減っていくだろう」と思わざるを得ない。

日本ではこれまで、少しでも効果があれば、どんなに高額な薬でも公的医療保険で面倒をみてきた。だが、高齢化で医療費が急増し、薬価も跳ね上がる中、それをいつまでも続けられるわけがない。費用対効果の考え方は何らかの形で取り入れざるを得ないし、今後は「効果があるかもしれないけれど、公的医療では使えない薬」も出てくるだろう。

だけど、それを「命に値段をつけるのか」と批判するのは極論だと思う。仮に「9割以上のがんが治る」という特効薬が開発されれば、高価でも「費用対効果が抜群」と判断され、公的医療で使用できるはずだ。一方で、「費用対効果が問題になる薬」というのは、要するに「高い割に効き目は限定的」ということ。オプジーボも今のところ、そういうレベルの薬と言わざるを得ない。

それに、現行の薬の多くは、症状を抑える働きはあっても病気を根本から治す力はない。そして、副作用のリスクは常に存在する。

基本的には体によくないが、うまく活用すれば自己治癒力を引き出したり、生活の質を保ったりできる──。一部の特効薬を除いて、薬とはその程度の存在であると自覚しつつ、過剰な期待を寄せずにつきあうのがよいのではないか。