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薬とカネ

[Part3]「途上国の薬局」インドはいま




「途上国の薬局」と呼ばれる国がある。インドだ。安価なジェネリック薬(後発薬)を開発し、貧しいアフリカの国々などに輸出。エイズなどに苦しむ途上国の多くの人命を救ってきた。


「私たちは、薬の値段がいかに人の命を左右するか、身をもって知っている」。インドの首都ニューデリーのNGOで働くルーン・ガンテ(51)は、そう言う。1999年に患者団体「デリーHIV(エイズウイルス)陽性者ネットワーク」を創設。薬の価格の引き下げなど、治療環境の改善を求めてきた。


ガンテがHIVに感染していると診断されたのは、97年のこと。だが、先進国の大手製薬会社が売っていた抗HIV薬は、年間1万ドル(約110万円)もした。当時はインドの世帯の9割以上が、年収5000ドル(約55万円)以下。ガンテを含む多くの人にとって、1万ドルもする薬は存在しないも同然だった。「医者も『いい物を食べ、運動して、祈れ』と言うだけですよ」。エイズを発症し、なすすべなく死んでいく友人も何人もいた。


だが、その状況は劇的に変わる。2001年、インドの製薬大手シプラが年間350ドル(約3万8500円)の薬を発売。03年にはガンテも自費で投薬を始められた。「分かりますか? 薬の値段で、世界が変わったんです」


シプラが安価な薬を開発できた背景には、インド独特の特許制度があった。シプラの薬は欧米の製薬会社が開発した物質を使っていたため、欧米の法制度では特許侵害に当たる可能性が高い。しかしインドは当時、物質を独占的に使う特許を認めていなかった。「当時の制度で、できることをやった。手の届く価格で薬を患者に届けることが使命だった」。シプラの最高財務責任者ケダール・ウプアディー(40)は、そう説明する。


インドではこの制度の下、先進国の薬のコピーをつくって自国で売り、欧米で特許が切れた後に後発薬として売り込むビジネスが拡大。97年、年間30億ドル(約3300億円)ほどだった製薬業の生産高は10年で3倍になった。




遠のく安価な薬


しかし、事情は変わってきた。


後発薬よりも独自開発の先発薬に強いメーカーが多い欧米日は、こうしたやり方を「開発投資へのただ乗り」と厳しく批判。譲歩を迫られたインドは、95年の世界貿易機関(WTO)加盟を受け、05年についに物質特許を認めた。


これで、インドでコピー薬をつくるのは難しくなった。日本貿易振興機構(JETRO)ニューデリー事務所・知的財産権部長の菅原洋平(40)は「05年以降、インドでの医薬品の特許の取得件数が多いのは、欧米の大手。一部に独自の特許制度が残っているが、知的財産権を守ろうという意識は決して低くない」と話す。


インドメーカーの立ち位置も変わってきた。互いの競争が激しくなり、先発薬より効果が高かったり、飲みやすかったりする付加価値の高い後発薬の開発が必要になった。技術力も上がり、先発薬を手がけるメーカーも出てきた。


このように巨額の開発資金を使って独自性の高い薬を出す立場になれば、特許の保護期間は長い方が有利になる。インド製薬業連合の事務局長ディリップ・シャー(76)は「今の規定の20年より長く必要だとは思わないが、インド企業にとっても特許の保護は重要」と言う。


photo:Kodera Hiroyuki


そんな中で、市民の間では安い薬が手に入らなくなるという不安が広がる。


「RCEPはいらない!」。南部の都市ハイデラバードで7月下旬、農家や医療関係者など約500人が、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)に反対するデモを繰り広げていた。


RCEPは日中韓やインドなど16カ国の経済連携。特許を巡るルールづくりの議論も進んでいる。


デモに参加したNGO「国境なき医師団」のリーナ・メンガネイ(41)は「私たちの活動で使う抗HIV薬の8割以上は、インド製。RCEPの問題は、日本などが知的財産を特許で独占する制度の強化を求めていること。おかげでインドから後発薬が出るのが遅くなれば、医療支援に悪影響が出る」と訴える。


インドへのWTOの影響を研究してきたジャワハルラル・ネルー大学教授のビスワジット・ダール(59)も「WTOの協定に従った結果、インドでは特に抗がん剤などで明らかに価格が上がった。特許保護が今より強まれば、同じような問題が世界に広まるだろう」と指摘する。


インドの後発薬の輸出先は、欧米日を含め100カ国以上。先発薬の特許の保護期間が長くなれば、後発薬が出るまでの期間も延び、世界中の消費者たちが影響を受けるというわけだ。


先進国側は、新薬が特許で守られないと、1品目につき1000億円にものぼる開発資金が確保できないと訴えている。だが、ダールはこう反論する。「彼らは巨額の費用を示して高価格を正当化するが、詳細は明らかにしない。特許保護の強化が必要だというなら、まず実際の費用を開示するべきだ」


(西村宏治)

(文中敬称略)

「奇妙な商品『薬』」に続く)




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