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「大国の思惑通りにはならない」 反旗をひるがえした人口5万の島国

World Now 更新日: 公開日:
イバイ島の住民たち。壁が板張りの簡素な家が並ぶ photo: Kogure Tetsuo

「米軍基地にあるものが、ここにはない」

5月、米軍が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の迎撃実験を初めて成功させたとき、標的となった模擬弾が打ち上げられたのが、この基地だ。基地の北側には、地元住民が暮らすイバイ島という小島がある。ただこの島には、米軍基地内の埠頭から出る米軍のフェリーに乗らないとたどり着けない。地元住民であってもイバイ島に出入りするには、米軍基地の通行許可がそのつど必要だ。

1935年には16人しか住んでいなかったイバイ島には、9614人(2011年国勢調査)が暮らす。首都マジュロ(28000人)に次ぐ「第2の都市」だが、実態は、0.3平方キロ余りの土地に板張りでトタン屋根の簡素な家がひしめき合う。長屋の一間を見せてもらうと、中にはベッドがひとつ。夫婦と613歳の5人の子の全員が暮らしているという。

クワジェリン環礁にある米軍基地

「クワジェリン(基地)にはクオリティー・オブ・ライフはあるが、ここにはない」。埠頭のベンチで不平を並べ立てたのは、ハロルド・ブトゥナ(57)だ。

水道水は海水を処理する装置が故障すると、供給がストップ。基地で自由な往来を制限され、修理部品を持ってくるのに数日かかる。

それでも、仕事があるから人々は集まる。政府統計によると、基地で働く人の平均年収は国平均の約1.8倍の18399ドル(約202万円)。900人以上が働き、ブトゥナも基地内のゴルフ場で芝生の手入れの仕事をしている。

マーシャルが大国に「支配」されるのは、これが初めてではない。19世紀にドイツが保護領とし、第1次世界大戦後は日本が統治した。47年に米国の信託統治領に。米国はビキニとエニウェトクの両環礁で4658年に計67回核実験を続け、周辺住民が「死の灰」を浴びた。86年に独立したが、外交や国防の権限を米国にゆだねて米軍基地を置く代わりに、米国から財政支援を受け、人々はビザなしで米国に渡航できるという米国との「自由連合」の形だった。

「何百年か前に生まれたかった。ドイツとも日本とも問題があった。そして、いまは米国と。外国人がいる国には、これからも問題が起こるだろう」。イバイで生まれ育ったクワジェリン環礁開発局幹部アンジョジョ・カブア(39)が漏らした。

そんな声に、同環礁選出の国会議員、デビッド・ポール(42)は言う。「両面を見ないといけない。イバイの生活環境はマイナス面だが、米国に自由に往来できることはプラスだ」。現実を受け止めつつ生きる道を模索するイバイの姿は、この国の葛藤を映し出す。

一方でマーシャルは、海の資源を武器に、大国に対して声を上げ始めた国々の最前線にも立つ。6月下旬、マジュロでは、マーシャルやナウル、キリバス、ソロモン諸島など赤道に近い8カ国でつくるナウル協定国グループ(PNA)の閣僚会議が開かれた。

「カツオやマグロは我々の貴重な資源。管理するのは権利だ」。人口1万のツバルの天然資源相、プアケナ・ボレハムは強調した。PNAの目的はこの海域にやってくる日米などの船のカツオ・マグロ漁を、団結してコントロールすること。カツオでは世界の漁獲量の半分を占める好漁場で日本向けはかつお節になる。

PNA10年にマジュロに事務所を開設した。12年に各国のEEZで外国船に課す入漁料に高額な共通の「最低価格」を導入。11日あたり1万ドルを超える入漁料が各国に入る仕組みをつくった。各国の入漁料の合計は10年には6000万ドルに過ぎなかったが、16年には45000万ドルにもなった。

「我々よりはるかに大きな国々との関係力学が変化した」とPNA事務局長のルドウィグ・クモル。「海のOPEC」。発言力を強めるPNAを産油国になぞらえる人も出てきた。 

私たちは使い捨てか 声上げる詩人キャシー

「私たちはディスポーザブル(使い捨て)なのでしょうか」。大国に翻弄されてきた歴史から抜け出し、自らの言葉で世界を動かそうとする詩人が、マーシャル諸島にいる。キャシー・ジェトニル・キジナー(29)。サンゴ礁でできた祖国で、米国は核実験とミサイル実験を繰り返してきた。今度は、地球温暖化で平均気温がわずかに上がれば、国民は移住の危機にさらされるという。

キャシー・ジェトニル・キジナーさん(撮影:市川美亜子)

 

2010年のある朝、洪水で自宅の庭まで水があふれていた。危機を伝えようと詩をユーチューブにアップすると、SNSを通じて世界中で再生された。14年の国連気候変動サミットで詩を朗読したのをきっかけに、気候変動に抗う太平洋島国の象徴的な存在になった。

「プラチナ製の名札の陰に隠れた人たちが、たとえ私たちなんか存在しないふりをしても、私たちはみんなで戦う」。6月、日本の団体「アース・カンパニー」の招きで来日し、被爆地・広島などを訪れて詩を朗読した。小柄な身体からあふれ出す言葉で、大国や、動こうとしない政治家や官僚への怒りを表現する。

核被害と気候変動。キャシーは二つの問題を「ディスポーザブル(使い捨て)」という言葉を使って表現する。「根っこは同じ。大国は自分たちのために太平洋をごみ捨て場にしてもいいと考え、そこに住む人たちを使い捨てにしている。小さくて貧しい国だから、どうなってもいいのでしょうか」

トランプ米大統領が温暖化防止の新たな国際ルール「パリ協定」からの離脱を表明した時は、ツイッターで「アメリカ、いい加減にして。付き合いきれない」と怒りをあらわにした。

太平洋諸国への関心が高まったのは、SNSの発達も大きく影響していると感じる。「以前は声を上げても太平洋の中にとどまっていたが、いまは力強い言葉は瞬時に世界中に拡散され、人々を動かす。そんな中で、太平洋の若い世代にも大国に従うのではなく、自分たちの未来をつくっていこうという自信が芽生えている」。キャシーは島で若い世代のリーダーを育成する団体を立ち上げ、動き始めている。

「アミモノ」に「ツカレナオース」太平洋と日本の縁

太平洋の島国と日本の縁は深い。

明治以降、働き口を求めて日本各地から多くの移民が島々に渡った。特にパラオ、ミクロネシア、マーシャル諸島の3国(ミクロネシア地域)は、第1次大戦後の1920年から第2次大戦が終わるまでの間、日本が委任統治をした歴史が残り、人口の2割以上が日系人ともいわれる。

葉の繊維を編み込んだ伝統的な手工芸品「アミモノ」(編み物)、「カンコウダン」(観光団)、「センキョ」(選挙)など日本語由来の言葉が今でも使われており、パラオでは乾杯をする時に「ツカレナオース(疲れを治す)」とのかけ声をかけることもあるという。パラオの元大統領クニオ・ナカムラなど、政治家や著名人の中にも日系人がいる。一方で、太平洋戦争の激戦地となった島々も多い。14カ国の島国の地域だけで日本人兵約25万人が戦死したといわれる。サイパンや西部ニューギニアなどを含めると、約55万人の戦没者を出した。