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フランスの果てへの旅

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[Part2]明るい極右が握る街/エナンボモン






北仏リール近くに位置する人口2万7千ほどの小さな町エナンボモンに、世界中から30社に上るメディアが押しかけたという。無理もない。戦後70年ほど左派が握っていたこの町の市政を、2014年の地方選で国民戦線(FN)が掌握した。法的な住所をこの地に移したFN党首マリーヌ・ルペンは、前回の12年大統領選挙の第1回投票で、2大政党の候補を抑え、地区でトップに立った。汚職に手を染めた社会党市政の敵失にも助けられた形だが、もはやここはFNの町なのだ。


かつての炭鉱町が落ちぶれて、貧困がはびこり、極右が支配するようになった――。そんな物語に押し込めようとすると、たちまち裏切られる。もちろん、構造的な失業や格差などの問題は抱えているが、町なかでは新興ビジネスが育ちつつあり、中産階級もそれなりに残っており、うらぶれた感は薄い。古くからのポーランド系などの移民は定着し、南仏の諸都市などと比べて新しいムスリム(イスラム教徒)の移民は決して多くない。


3月に訪れた際に会ったFNの副市長クリストファ・ジュレックもポーランド系移民の3世だ。31歳と若く、親切で開放的。リール大の法学部時代、少し日本語もかじったようで、片言を話す。高校時代は社会党の青年組織にかかわったが、既成政党同士の党派闘争に飽き飽きし、07年FNに転じた。いまや、FN幹部の市長スティーヴ・ブリオワ(44)の片腕である。


この3年の市政で、ムスリム移民関係の予算は削ったのか、監視を厳しくするよう方針を変えたのか、といった意地悪な質問をしても、明るい表情は変わらない。多少監視カメラと警官の数は増やしたが、予算を削った事実はなく、モスク建設は予定通り認可されたという。我々の市政は、人々の声を聴くことから始まり、イデオロギーでなく常識で動いている、と語る。


拍子抜けするくらい排外主義のにおいがしないのだ。


エナンボモンのボタ山
photo:Endo Ken


他方、移民はコントロールしなければという。また、イスラム急進主義がフランスの自由・平等・博愛といった価値と相いれないのだと批判的に言及していた。


EUに対しても離脱を口にするが、欧州自体に批判的なわけではない。超国家が支配する現状よりも、主権的な国家が緩やかに協力する形が好ましい、という。


この青年副市長が憎悪と無縁に見えたとすると、街中のカフェで会った老人は静かに――しかし明らかに怒っていた。現在70歳のジョゼ・エブラーは、かつてこの地区の共産党幹部だった。13年FNに転じ、いまはその熱心な運動家だ。


彼によれば、対独レジスタンス期から共産党が掲げていた(はずの)独立と愛国は、いまやFNでしか実現できない。グローバル化とEUはフランスの独立を侵食し、ドイツ主導の緊縮財政の下、特に若者の失業が蔓延(まんえん)する。かつての移民と違い、現在のムスリム移民はフランスのやり方に従わず、29%もの在仏ムスリムがシャリア(イスラム法)に従う。フランスが掲げてきた政教分離には程遠い。既成政党はこうした現状に甘んじており、FNによる変革が必要だということになる。強烈なナショナリズムだが、やはり排外主義の色は薄い。


目の前で起きているのは、FNの脱悪魔化(悪者扱いされた状態からの正常化、大衆化)かもしれない。FNはごく普通の政党として、すでにこの町の政治風景に溶け込んでいた。


………


大統領選第1回投票の4月23日、エナンボモンを1カ月ぶりに訪れた。ルペンは、開票結果をこの本拠地で見守っていた。結果は、マクロンには及ばなかったものの、2位で決選進出を決めた。


夜8時、その速報がテレビで流れたとき、会場は歓喜に包まれた。長年の支持者と思われる中年女性は、「この瞬間を待ち続けた」と私の目の前で泣き崩れた。あとで話を聞くと、「プレザン」(Present)という極右紙のジャーナリストだという。「マリーヌでないとこの国を立て直せない」と力説していた。


小一時間ほど待つと、マリーヌ本人が現れ、周囲の熱は最高潮に達した。「我々は勝つ」「マリーヌを大統領に」「自分たちは自分たちの国にいる」とコールが続いた。



(文中敬称略)

(遠藤乾)

「傷んだ地方都市 ルーベ」に続く)



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