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ジョコビッチの涙

[Part1]王者の二つの「母国」

photo:Reuters

そのリオで錦織の決勝進出を阻み、ロンドン大会に続く2連覇を果たしたのがアンディ・マリー(英)だ。彼には、背負う「母国」が二つある。英国と、スコットランドだ。


3年前のウィンブルドン選手権で、英国男子として77年ぶりに優勝した「国民的英雄」は、スコットランドの小さな町ダンブレーンで育った。


マリーの微妙な立ち位置を垣間見る出来事があった。6月、ウィンブルドンの開幕を控えた記者会見。その前日、英国は明け方まで大騒ぎだった。欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票で、事前の予想に反して離脱派が上回り、残留を訴えたキャメロン首相は電撃辞任を発表した。


感想を聞かれ、マリーはいつものぼそぼそとした口調で言った。「申し訳ないけど、今日そのことは議論したくない」


マリーは2年前、スコットランドで英国からの独立の賛否を問う住民投票があった際には、ツイッターで独立賛成を示唆するつぶやきをして、独立反対派から脅迫めいたバッシングを浴びた。06年のサッカーW杯のときには、「イングランド以外のチームなら、どこでも応援するよ」と口を滑らせた過去もある。だから、発言には慎重になったのだろう。


元来、スコットランド人は欧州志向が強い。6月の国民投票で、英国全体では離脱に賛成する人々が過半数を占めたが、スコットランドでは全32地区で残留派が上回り、英国からの独立をめざす機運が再燃している。


過去にはそんな経緯もあったが、国民は現金だ。国を二分する国民投票の結果を受け、沈滞したムードを救ったのは、マリーの3年ぶりのウィンブルドン制覇だった。


マリーの地元は、国民的英雄をどうとらえているのだろう。かつてマリーが、ロンドンを拠点とするメディアに対し、悔しまぎれに漏らした愚痴を思い出した。「僕が勝てば英国人と呼ぶし、負ければスコットランド人となる」


11月、パリからエディンバラへ飛び、列車に1時間揺られてダンブレーンを訪れた。


町の観光名所になっている、大聖堂近くの郵便ポストを見に行った。ロンドン五輪でマリーが金メダルを獲得したのを記念して黄金に塗られたものだ。近くで30年以上、文房具や新聞などを扱う雑貨店を営むピーター・メルドラム(67)は、幼いときからマリーを知る。


単刀直入に聞いた。勝ったときだけ、英雄扱いするイングランドのメディアのご都合主義を感じませんか?


「この町だけでなく、スコットランドの英雄だし、英国のヒーローだ。世界ナンバーワンを独り占めすることはないよ」。ずいぶん寛大だ。その後も町にあるパブを2軒ほど巡り、酔客相手にイングランドに対する刺激的な意見を集めようとしたが、収穫はなかった。


マリーが初めて世界ランキング1位になった直後だっただけに、数日後の地元週刊紙には誇らしげな見出しが躍っていた。「世界はダンブレーン出身の男の子に畏敬の念を抱いている」


マリーは故郷への愛着がひときわ強い。それは「悲劇の町」としての歴史とも無縁ではない。96年3月、小学校で無差別殺傷事件が起き、教師1人と16人の児童が銃の犠牲になった。自殺した犯人が発砲したとき、8歳だったマリーも兄のジェイミーと共に体育館に向かっていたところだったという。


町のパブで当時の話も聞こうとしたが、一様に口は重かった。メルドラムは言った。「アンディの活躍で、町の名が明るいニュースとして発信されるのはうれしい。彼はここの大聖堂で結婚式を挙げたんだ。地元への愛着が強い何よりの証明だよ」



(稲垣康介)

(文中敬称略)

本編3へ続く




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