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この人に聞く「復興庁」

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江渕崇撮影

■「復興庁できて一気に進んだ」 村井嘉浩・宮城県知事

現時点では復興庁を非常に評価しています。今回の復興の特徴は、住まいを震災前と違う場所、安全な場所に移したことです。あらゆる規制を片づける必要があったが、各省庁を窓口にしていたら、いまも工事ができていなかったのでは。復興庁があったおかげで、一気呵成(かせい)に進められたことが一番大きいと思います。

村井嘉浩・宮城県知事

次はお金の差配です。各省庁にそれほど足を運ばず、復興庁の1カ所だけで済む。出先である復興局もあり、東京まで行かずに打ち合わせができました。

もちろん、当初は混乱していたと思います。混乱時に、全く新しい急ごしらえの組織を作ったので動き出すまでに時間がかかった。そのころに復興交付金の問題がありました。ダメダメと切られ、インパクトのある形で世論を味方につけないと国を突き破れないと思った。出てきた言葉が、「査定庁」です。

交付金をもう少し柔軟に使わせてほしいという例は、市町村と同様にありました。ただ、国民の税金を使う以上、一定のルールのもと誰に対しても説明できるものでなければいけない。国と我々のどちらが悪いということではなく、それぞれの言い分のせめぎ合いでした。

復興予算の地方負担の話が出たとき、「いつまでも税金で何でもやってもらおうという意識ではだめ、甘えすぎてはだめ」という国民の意識を皮膚感覚で感じました。これをある程度認めないと、最後は復興庁に押し切られるんですよ。

地方負担を認める発言をしたのは、有利な条件を引き出すため。その結果、三陸道や市町村が新たに造る防潮堤が引き続き全額国費になりました。長年要望してきたことが一気に片付く。ほかの県ではありえないこと。県や市町村にとって一番いい結果を導くことが仕事だと思っています。

私は今回の復興は間違っていないと思っています。ただ、沿岸部で過疎化が進む田舎でも莫大な財源が必要でした。南海トラフのような場合には、さらに一桁違うでしょう。できないかもしれない。その場合の国の方針を固めておく必要があるでしょう。(構成・中林加南子)

むらい・よしひろ 1960年、大阪府生まれ。防衛大を卒業し陸上自衛隊へ。松下政経塾を経て、自民党県議から知事に。3期目。

■「庁になって哲学が生まれる」 岡本全勝・復興庁事務次官

当初、復興庁のような独立した組織はいらないと思っていました。すべき仕事は決まっているので、各省が淡々とやればいいと。

結果的には、この器があってよかった。本部だと、各省の仕事をホチキスで留めるだけになるおそれがある。全体としての哲学が生まれず、優先順位もつけられない。庁ならできる。復興関係の課題で、どこの省の所管だかわからないと、ここに電話が回ります。各省の間に穴があれば、自分で埋められる。

岡本全勝・復興庁事務次官=江渕崇撮影

復興庁ができた時には、すでに復興構想会議の提言というバイブルがありました。

「防潮堤や高台移転に巨額の税金を投入せず、移住してもらった方が安く上がる」という人もいます。しかし「ふるさとに戻りたい人を精いっぱい支援する」のは日本が戦後民主主義の中で培ってきた国柄。それを支持する政治家と国民がいたわけです。強制移住も辞さない旧ソ連や、自己責任に委ねる米国とは違う。

復興事業の地元負担は異例中の異例でゼロにしました。しかし、自治体に責任をもってもらうためには、数%でも地元負担はあった方がよかったんじゃないか。負担できない自治体は、後から地方交付税で面倒をみるやり方があるのだから。

行革で人手が足りないのに、全国の自治体はがんばって職員を東北に送ってくれました。国もこれまでにない支援をしてきた。被災自治体は、今後は自分たちのアイデアと努力とで復興の道筋を示すことが、国民の理解を得るために必要だと思います。(構成・浜田陽太郎)

おかもと・まさかつ 1955年生まれ。78年、自治省(現・総務省)入省。麻生太郎首相の秘書官などを経て、震災直後に、被災者生活支援本部の事務方トップに就任。

■ 「効率だけで語れない」 平野達男・初代復興大臣

被災自治体は当初、かなり大がかりな復興計画を描きました。仕方のないことです。人口が減る前提で地域計画をつくった経験は、この国に乏しい。首長さんが「この町は人が減ります」なんて言えません。

だから復興庁が必要なのです。自治体と議論を重ね、現実に計画を近づける。「査定庁」だとさんざん批判されましたが、逆にムダなものを認めて将来、空き家だらけの街になったら、それもマスコミは批判するでしょう?

平野達男・初代復興大臣=江渕崇撮影

復興費用の地方負担ゼロは前代未聞の政策ですが、当時はそれを是とする議論が大半でした。だから復興庁が厳しく切るしかなかったのです。自民党の竹下亘さんが復興相に就いたときに3時間話しましたが、まったく同じ考えでした。

技術的な観点からは決して復興が遅いわけではありません。ただ、5年たっても仮設住宅という現実を前にすれば、被災者にとっては絶対に遅い。彼らに対し、私たちが誇れるものは、何もありません。

高台移転は、被災者の多くが望んだのです。一方、被災者に直接お金を配って自力再建を促した方が、安く早く復興できると経済学者は言います。それを突き詰めると、山奥に住むと除雪にカネがかかるのでふもとに下りてきてくれ、という社会になります。でも、税金は地域として復活させることを前提に使うべきです。経済効率を度外視した考えかもしれませんが、社会は非効率性を内包しているのです。

私たちは100年後、200年後を考えて最善の策を選んだつもりです。後世に迷惑をかけないよう、増税もしました。これだけの復興ができる国は日本ぐらいではないですか。(構成・江渕崇)

ひらの・たつお 1954年生まれ。農水官僚から参院議員に。岩手県選出。2013年4月に民主党を離党。

■「阪神の教訓どこへ」 室崎益輝・神戸大名誉教授

復興の枠組みや各省への予算配分、自治体の計画がほぼ固まってしまった後に、遅れて復興庁ができたことが後々まで尾を引いています。権限があるのは復興交付金の配分ぐらいで、国の復興全体をリードする存在になれなかった。

復興費用の全額国費負担は、自治体の依存心という形で弊害が出ています。すぐ空き家になる立派な公営住宅や必要以上に大きな防潮堤をつくる。わずかでも自治体が自分でお金を出せば、必要なものを安くつくる工夫をするはずです。

室崎益輝・神戸大名誉教授=江渕崇撮影

今回の復興は阪神大震災の教訓が十分生かされていません。市街地の大規模な再開発は、人口が増えていた神戸ですら失敗しました。大きな商店街を人口減少が著しい三陸でつくろうとしているのです。質が求められる時代に、まだ量を重視した復興になっています。

復興構想会議の提言に問題がありました。安全を前面に出しすぎたせいで、経済や文化、景観など、防災以外の要素が犠牲になった。これだけ大規模に不便な高台への移転を進めた例はありません。

代替案はいくらでもあります。低地は高床式の建物にしたり、地盤をコンクリートで高くしたりすれば、元の場所で早く安く再建できます。個人にお金を渡すのが難しいなら、コミュニティー単位で配れば、地域に合った再建策を見つけられます。もっと大胆に、避難路だけ整備すればいいという考え方もありえます。

大災害が再び日本を襲うかもしれない。狭い権限の範囲内で、自治体の箸の上げ下ろしまで口を出すのは弊害が大きいことが今回分かりました。復興全体をリードできるような国の機関のあり方を、いまからしっかり考えておくべきです。(構成・江渕崇)

むろさき・よしてる 1944年生まれ。元日本災害復興学会会長。ひょうご震災記念21世紀研究機構副理事長